六百十七話 もうひとつの島

淡路島の南端沖、ちいさな島がもうひとつ浮かんでいる。
淡路島の住人か、釣り人、古代史探訪者でもないかぎり、よく知ったひとはいないと思う。
神代の昔、周囲一〇キロにも満たない島は、国生みの舞台として古事記や日本書紀にも登場する。
淡路洲とか磤馭慮島(おのころじま)とか 呼ばれてきたが、今は沼島という名だ。
こうした国生み話に浪漫を抱く方もおられるだろうが、僕はそれほどでもなく興味はそこではない。
紀伊水道北西部にあたるこの海域は、圧倒的な豊かさを誇る魚場だと地元漁師はいう。
紀淡海峡と鳴門海峡のちょうど真ん中に在る沼島で、ふたつの潮流が重なる。
そこへ、島から豊かな栄養分が流れ込み餌となる小魚が育つ。
こんな漁場は、滅多とないのだそうだ。
沼島鱧、島の岩礁に棲みつく瀬付き鯵など、島でしか口にできない幻の魚も獲れる。
そして、冬場となると虎河豚 。
淡路の三年虎河豚は、下関の天然物にも引けを取らないと聞くけど本当なのか?
実のところ真の狙いは夏場の瀬付き鯵なのだが、その下見も兼ねて沼島に渡ってみようとなった。
海辺の家から明石海峡大橋を渡って神戸淡路鳴門自動車道を西淡三原ICまで南下。
降りて県道三一号線を土生港へ、港の駐車場に車を停め、ここから先は船で沼島に向かう。
沼島汽船の “ しまちどり ” に乗船し約一〇分ほどで島に着く。
淡路島の建設会社から、沼島なら此処が良いと勧められて食事だけの予約をしておいた木村屋旅館。
船着場から徒歩圏内の場所だが、車で出迎えてくれる。

変哲もない風景だが、対岸みたく俗化されていない瀬戸内の漁村が素のままにある。
目当ての木村屋旅館も、昭和の港街によく在った料理旅館まんまで気取りがなくて良い。
部屋には、すでに鍋支度が整えられていた。

これが、三年虎河豚かぁ。
二年ものの倍近くまでになるが、そこまで育つのは稀らしい。
天然物と比べどうかと訊かれると見極める舌の都合で自信はないが、歯応えも味も遜色ないと思う。
河豚刺しの薄造りも、色絵の皿が透けて図柄が見えるという料亭仕立てではないものの旨い。
船場の旦那衆が、河豚と“ 福 ” をかけて振舞う北新地の飾り立てた味とは違う漁場の野趣がある。
身もさることながら、白子と呼ばれる河豚の卵巣が格別だ。
天麩羅にしたこの白子は、天然物を超えるかもしれない。
わざわざ船で渡ってくるに値するという噂にも納得がいく。
女将さんに肝心な話を訊く。
「 幻とか言われる瀬付き鯵って、この辺りで獲れるの?」
「あぁ、わたし達は、トツカアジって呼んでるけど、夏場に獲れますよ」
「ほんと、此処でも食べれる?」
「えぇ、もう皆さんこの夏の予約されてますから、是非またいらしてください」
「来る、来る、いや来させていただきます」
「ところで御客さん、島の観光課が、試験的に上立神岩を車で案内してるんだけど行かれます?」

旅館まで車で迎えに行きますって、これゴルフ場のカートだよね。
今日明日二日間の試験運用で、運転者と案内人のふたりが付き添ってくれるという。
未舗装の山道を揺られて登っていくと視界がいっきに開けて眼の前に海が。
岩礁の中に、黒い岩がそそり立っている。
乗船までの時間潰しで正直あまり期待していなかったものの、これはこれでなかなかの景観だ。
伊邪那岐命と伊邪那美命が夫婦の契りを交わした御柱なんだそうだ。
観光課の方によると、この島には他にもいろいろと見所があるらしい。
次回は、船で島を一周する漁船クルージングを勧められる。
観光課の職員としての仕事なんだろうがなかなか推しが強い。
昨今、急激に進む淡路島観光開発バブルにあやかろうとの気持ちはわからなくもない。
しかし、小洒落たカフェが建ち並ぶ碌でもない島になるのだけは避けていただきたいものだ。
僕は、このままでいたほうがずっと良いとは想うけれど。
まぁ、島には島の事情があって、いづれにしても余所者が口をだすことでもない。
そういえば、この島では、子供達がすれ違う度に挨拶をしてくれる。
着いてから、もう何十回 “ コンニチワ ” と言っただろう。
いつまでも、この風情と人情を大切に豊かな漁場を守っていってほしいと願う。

さぁ、次は夏場にトツカアジだな!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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