月別アーカイブ: December 2015

四百二十話 姓は車、名は寅次郎

顧客の皆様。 Musée du Dragon が幕を閉じるって聞いて。 どういうつもりなんだ?とか。 これから何処へ行けばいいんだ?とか。 やめないでくれとか。 いろいろと有難いお言葉を頂戴しておりますが。 皆様、よ〜く胸に手を当ててお考えください。 あぁ、これで Musée du Dragon で大枚を叩かずに済むとか思ってらっしゃいませんか? 心の片隅どころか、ど真中でそんな安堵の気持が芽生えていませんか? どうですか? 縁起でも無いことを申し上げますけど油断は禁物ですよ。 世の中なにが起こるか知れたもんじゃありません。 実は、僕、昔っから旅烏の如き的屋商売に憧れていまして。 車寅次郎みたいな。 そういう者になりたいという願望が、今でもあるんです。 北は小樽から南は博多まで、お客様の居られるところならどこへでも。 想像してみてください。 或る日突然、一杯に服を詰め込んだ鞄を下げた僕が門の前に立ってるんです。 「こんちわぁ!毎度ですぅ!」 怖いでしょ? まんざら、無い話でもないですよ。 その節は、ひとつ宜しくお願いいたします。 みなさんが僕を忘れても、僕はみなさんを忘れませんから。 ということで、本年もご愛顧戴きまして有難うございました。 心より御礼申し上げます。 迎えられる年が、顧客様にとってより良き年となりますように。  

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四百十九話 巴里の女と倫敦の男

Jane Birkin と Serge Gainsbourg 倫敦の女と巴里の男というカップルは有名だけど。 その逆の巴里の女と倫敦の男というのはどうだろうか? 巴里の薔薇と讃えられる美貌の大女優 Catherine Deneuve と。 Sex Pistols を産んだ PUNK の父である Malcolm Mclaren と。 天才詐欺師の異名をもつ男の方は、二◯一◯年四月二二日に倫敦で逝った。 女は、今でも巴里左岸に暮らしている。 Catherine Deneuve と Malcolm Mclaren 僕は、この男女を心から敬愛してやまないのだが。 何を敬愛しているのかをここで語り始めると止まらなくなるのでやめておく。 一九九四年、Malcolm Mclaren によって一枚の名盤が世に送り出される。 盤には、奇跡的な一曲が収録された。 アルバム名は “ PARIS ” で、曲は “ Paris Paris … 続きを読む

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四百十八話 これが、その服です。

Sir Charles Spencer Chaplin あなたの最高傑作は?と尋ねられた喜劇王は、常にこう答えていたという。 それは、次回作です。 僕も気取ってそう言いたいところだが、そうもいかない。 THE CLIMAX COAT この服をそう名付けて、そういうことにした。 まぁ、こんなところでご勘弁ください。  

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四百十七話 牡丹鍋

こやつを喰ってみた。 一二月一八日は、世話になった画家の祥月命日で。 毎年この日に、画家の生家である丹波篠山に出向いて生前の不義理を詫びる。 今年は暖冬だといわれていたが、前日からの寒波に影響されて全国的に寒い。 平野でも寒いのだから、山里ではもっと寒い。 生家では、画家の女房が出迎えてくれる。 「寒い中遠いとこまで悪いなぁ、それに忙しいんだろ?」 「遠いからとか、寒いからとか、忙しいからとか言えた義理じゃありませんから」 「まぁ、干柿でも食べな」 「干柿 って?これ御自宅で干されたんですか?」 「そうだよ」 このひとが、干柿を軒に吊るしている姿なんて昔では想像すらつかなかった。 東京時代。 画家の女房は、業界切っての洒落者で通っていて洗練された感覚には誰もが一目を置いていた。 東京と丹波、どちらが彼女のほんとうの姿なんだろうか? まぁ、どちらも素敵だから良いのだけれど、ふとそんなことを想ったりもする。 「それにしても寒いなぁ、そうだ、ちょっと牡丹鍋でも突つきにいこうか?」 「牡丹鍋って猪肉ですか?でも、祥月命日に猪肉喰うのもどうなんですか?」 「別に良いじゃん!おまえなにを年寄りみたいなこと言ってんだよ!」 その昔は旅籠だったという料理屋に連れていかれた。 この里が並々ならない経済力を誇っていた時代を想い起こさせるような立派な普請の料理屋である。 一二月の猪猟解禁日を越すと、冷凍ものではないほんものの牡丹鍋が始まる。 その日に地元猟師から直接買い入れた猪を捌き、身を一枚一枚薄切りにしていく。 赤身と脂身が紅白にはっきりと分かれた猪肉を花びら状に飾って大皿に盛る。 その様子が、牡丹に似ることから牡丹鍋と名付けられたのだそうだ。 黒大豆味噌と白味噌を合わせた出汁で、地元丹波産の野菜や山芋とともに戴く。 濃厚なのだが、意外とさっぱりとした風味で旨い。 煮ていくと味が濃くなっていく。 そういった場合には、追い出汁で整えたり、溶き玉子に潜らせたりするのだそうだ。 好み的には、玉子ですき焼き風に仕立てるより最後まで味噌だけで味わった方が良いと思うけど。 いくら新鮮とはいえ猪は猪なんだから多少の野獣臭さは覚悟していた。 だが、拍子抜けするほどそういった臭みはない。 猪肉の鮮度や料理人の腕にもよるのだろうけれど、古来より愛された山の滋味に違いないと思う。 「いやぁ〜、これほんと旨いですよ」 「そう?ご馳走した甲斐あった?」 「はい、やっぱり食いものはその産地で食うのが一番だと改めてそう思いました」 「ご馳走になって、ありがとうございました」 ここで画家の女房が、妙なことを言い出した。 「そうそう、年末に丹波の黒豆を煮て送るから」 … 続きを読む

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四百十六話 幕引き

場末に在る服屋の亭主が引退するっていうだけである。 まったく世間的にはど〜でも良い瑣末なはなしだと思うんだけど。 大手業界紙の記者が取材したいと言う。 「もう何年も前から雑誌の取材もお断りしているし」 「そもそもやめようかっていう奴の言分なんて誰が耳を貸すんだよ」 一旦そうやってお断りしたのだが。 お世話になっている方とも関係のある記者だったこともあって結局お受けすることになった。 「で、どうして長年続けてこられたミュゼ・ドゥ・ドラゴを閉じられるんでしょうか?」 「自信が無くなったから」 「はぁ?自信ですか?」 「今日より出来のいい明日にする自信がないんだよ」 「饅頭屋だって、拉麺屋だって、服屋だって、店屋なんてもんはみんな一緒だよ」 「今日喰った飯が、昨日喰った飯より不味い飯屋なんて誰も暖簾を潜らないでしょ」 「何年営んできたとかに価値なんかなくて、明日の出来が問われるのが店屋だと思うけどね」 「それでも続けられる方もいらっしゃるんじゃないですか?」 「いるのか?いないのか?それは知らないよ、だけど結末は同じだろうな」 「そんな店屋どのみち潰れるから」 他にもいろいろと勝手なことを喋ったけど、要点はそんなところだったような気がする。 で、どんな記事が紙面に載ったのかを僕は知らない。 読まないから。 だけど、本音で正直に語らせてもらえたのは良かったと思う。 最後に、これからの才能ある若い方達には? 知らねぇよ!そんなの!やりたければやりゃぁ良いじゃん!

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四百十五話 心遣い

振り返ってみると。 顧客様に支えられてこれまで暮らしてきたのだとつくづくとそう想う。 商いが、どうのこうのということでは済まされない。 身体の具合が悪い。 親が逝った。 不動産を売買する。 家を建てる。 など。 門外漢故に自身の手に余るという大事があれば、素早く手当てしてくださる。 それも、それぞれの業界で知られた一流の方々がである。 とても有難いはなしなのだ。 手に余るような大事じゃなくても、気にかけてくださる。 先日も顧客の方に。 「忙しくて行けないけど、目白の永青文庫でやってる春画展だけは観たかったなぁ」 そう愚痴った次の週末、その顧客の方が来られて。 「これ、ついでに買ってきたから」 大英博物館に特別出品された春画展の図録だった。 ついでと言われるが、この分厚い図録一冊一キロ五◯◯グラムの重さがあって。 ご自身の分もとなると図録だけで三キロである。 とんでもない面倒をおかけした。 また、こんなものも届けてくださった。 京都、東本願寺門前近くに明治三◯年創業のおはぎ屋があるらしい。 今西軒という屋号で、おはぎだけを商ってきた老舗和菓子屋で。 つぶ餡、こし餡、きなこ餡の三種類のおはぎがあるのだそうだ。 だが、どれも朝一◯時には売切れるのだという。 なので、朝京都で求められて大阪に届けていただいたことになる。 そう聞くと、店内でパクリとやってご馳走様というわけにもいかない。 海辺の家に持ち帰って、今は亡き京の名工が拵えた器に盛っていただくことにした。 なるほど。 おはぎはおはぎなのだが、紛れもない京菓子としての品の良さが伝わってくる味である。 おはぎ屋の近くに錺屋という宿があって、此処のおはぎを目当てに泊まるひともおられるとか。 希少な味を有難うございました。 それにしても、ひとがそれぞれ何に悩み、何に喜び、何を欲するか? 心内のほんとうを推し量るのは難しい。 それだけに。 行き届いた心遣いには、金銭の高を超えた値打ちがあるのだと思う。 感謝です。

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四百十四話 これが ANSNAM の服です。

注文していた ANSNAM の Suits が無事に届いた。 ほんの一部なんだが。 まぁ、ひと悶着もふた悶着もある相手には違いない。 しかし、これだけの服を他所で手当てするとなると正直難しいという現実があって。 それだけに、余計腹立たしい。 とにかく、もうちょっとの辛抱だと自分に言い聞かせるのだけれど。 ちっ!むかつく!  

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四百十三話 焼芋釜

ひとは、能力を超えて忙しいと敢えて不合理な行為をしてみたくなるものかもしれない。 北摂に在る母宅を整理していると、茶釜のような陶器が出てきた。 収められていた箱には、取扱い説明書が入れられていて読むと。 芋を焼く釜らしい。 芋を焼くだけで他にはなににも使えない代物だという。 まったくなんでこんなものを買って、使いもせずに何十年もの年月後生大事に抱かえているのか? 昭和一桁世代である親の考えることは解せない。 捨ててやろうかとも思ったが、焼芋と聞いてふと思い出した。 秋暮れの海辺の家で。 庭の落葉を熊手で寄せて火を焚き、そこへ芋を仕込んで焼いていた義父の姿が浮かぶ。 義父が拵えたもので、僕が口にした唯一の喰いものがこの焼芋だった。 焼芋かぁ。 今では、庭で焚火などすると消防署が飛んできて始末書ものである。 ならば、この焼芋釜なるもので海辺の家の伝統料理を再現してみるか。 そんな暇はどこにもないんだけど、どうしてもやってみたくなる。 そこで、いま一度説明書に目を通す。 底の金具に芋を置き、水も入れず四◯分から五◯分空で焚き続けるのだそうだ。 そうするととても旨い焼芋が出来るのだと記されてある。 電子レンジとオーブン・トースターで五分もあれば出来るという嫁の助言にも耳を傾けず。 やってみた。 ところが、これがうまくいかない。 ガス焜炉を強火にして焚くのだが、暫くするとピコピコ鳴って弱火になる。 嫁に。 「なぁ、このガス焜炉壊れてんだけど」 「なにやってんの!壊れてんのはアンタの頭でしょ!」 「焜炉で空焚きしたら安全装置が作動して鳴るにきまってんじゃん」 「マジかぁ?」 「忙しい最中に家燃やさないでよ!」 もっともな御意見を戴いたのだが、ここで止めるのも癪だ。 壊れた頭で考えついたのが、四つある焚口を時計周りに順に使用するという方策。 ピコピコ鳴ったら次の焚口へ、この柔軟かつ画期的なやり方は効を奏する。 一巡したところでただの芋が焼芋という立派な料理へ。 ただの芋とは言っても、薩摩芋は “ 安納芋 ” ジャガ芋は “ きたあかり”  一応こだわってみた。 … 続きを読む

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