月別アーカイブ: November 2014

三百二十八話 まさかの店干し!

なんで、こんな裏返しの写真が載っているのかというと。 店内で、洗った服を乾かしています。 まさかの店干しです。 “ 別注のパンツもセーターもまだ届いてねぇぞぉ ” って、前回の blog で訴えたら、腹いせにこんな暴挙に出やがった。 洗い加工の後、まだ乾いてもない濡れた製品を箱詰めにして送りつけてきた奴がいる。 ANSNAM の中野靖です。 東京は雨続きで、思ったように天日乾燥が進まない。 このままでは、さらなる納期遅れは免れない。 そうなれば、間違いなくあの底意地の悪い小言を聞かなくてはならない。 このうえなく、ウザい。 訊けば大阪は晴れているらしい。 え〜い、濡れたまま送っちまぇ! 大阪で乾かせば良いじゃん! だいたいそれくらいの手を貸したって、罰はあたんねぇだろうって話だよ! しかし待てよ、あの店のことだ。 全量送りつけた日には、またどんな言いがかりをつけられるかわかったもんじゃない。 ここは、ひとつ大人の対応で、ちょっとだけ送って様子を窺うのが得策だろう。 あれ? 意外と俺、今日は冴えてんなぁ。 あぁぁ、それにしても面倒臭ぇ。 どうせがこんな筋書きに違いない。 さらに、お目出度いことには。 Musée du Dragon に別注製品が届いたこの日、大阪は朝からガッツリ雨です。 てめぇ、どんだけなんだよ! 製品については、乾いてからご案内申し上げます。 取急ぎ、ご報告まで。    

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三百二十七話 退行か?それとも進化か?

Musée du Dragon の皆が、あるひとつの電話番号を憶えている。 自宅の番号より、実家の番号より、友達の番号より、誰の番号より馴染み深い。 なぜなら、掛ける回数が一番多いから。 でも、短縮ダイアルへの登録は、誰もしようとしない。 なぜなら、その番号を廻さなくて済むならそれにこしたことはないと、誰もが思っているから。 この呪われた電話番号を廻す時には、かならず良からぬ事態に見舞われている。 呼出し音の後には、決まって電話口にひとりの男がでる。 御存知 ANSNAM デザイナー 中野靖だ。 撚り上がりは? 織り上がりは? 染め上がりは? 縫い上がりは? 洗い上がりは? 間に合うのか? 間に合わないのか? それよりなにより、できるのか? できないのか? 帰ってくる答は、いつも。 「大丈夫ですよ」 そして、大丈夫だったためしはない。 デビュー以来、一〇年近くずっとこんな調子だ。 年々酷くなっている気さえする。 Musée du Dragon にとって。 とても残念な事には、この ANSNAM じゃなければ駄目だという顧客を多く抱えてしまっている。 さらに残念な事に、この ANSNAM の服創りは、中野靖以外の人間の手には負えない。 では、一体その服はどういったものなのか? 二〇一四年冬、すったもんだの末にようやく届いた服がこれだ。 … 続きを読む

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三百二十六話 海辺の家の先々

家屋というものは、生きているのだと思うことがある。 この海辺の家は、家主も家も盛りだった頃、大勢の客人で賑わっていた。 正月ともなれば、ひとが廊下にまで溢れる勢いだった。 僕や嫁が学生だった頃の話で、もうずいぶんと昔の話だが、ついこのあいだの事のようにも想う。 ちょうど一年前、家主が逝ったこの古館を手放さないと決めた時、もうひとつ考えたことがあって。 どうせ手放さないんだったら、昔そうだったようにひとが集う家にしたい。 しかし、齡六十年を越えるこのボロ屋を、当面建替えずにそうすることが自力で適うのだろうか? 壁に、床に、天板に、建具へと。 とにかく、掃除して、修繕して、塗装してを進めていく。 言っておくが、Reform ではない、あくまでも修繕である。 なので、ボロ屋は、ボロ屋のままで、若返りもしていないし、見違えるようにもなりはしない。 だが、そうやって手を入れていくと、不思議なことが起こる。 今までどうやっても動かなかった建具が動いたり、軋んでいた床が音ひとつ立てなくなったり。 修繕の手が届いていない箇所までもが、自己再生するように良くなっていく。 まるで、息をしているかのようにも思える。 「あんたら、建替えるだのなんだの勝手なことをお考えのようでっけど」 「儂、まだまだお役に立てまっせぇ、生来丈夫にできとりまんねやさかい 」 「今時のそこいらにおるペナンペナンの玩具みたいな家とは違いまんねや」 ボロ屋には、ボロ屋の言分があって、そんな声も聴こえてきそうな具合である。 それよりなにより、ここに居ると妙に落着くのだ。 此処に棲むのは週に一日だが、なんだかホッとする。 それは、訪ねてきてくれる人もそうらしい。 そもそもに於いて、他に褒めようもないだろうからそう言うしかないのかもしれないが。 年が明けた初春の寒い日に、画家の女房がやって来て泊まっていった。 この方の審美眼は、屈指の現代美術家だった亭主のそれをも凌ぐほどに鋭い。 気質からだろうか、誰にだろうと、社交辞令は言わない、お世辞も口にしない。 昔から、そういう方だ。 「ほぉ〜、おまえの言うとおりボロいっちゃぁ、確かにボロいなぁ」 「だけど、この空気感は悪くない、それだけに、弄くったり、建替えたりするのは難しいねぇ」 夜中になった頃。 「 ところで、わたし此処でなにやってんだろう?」 「東京時代から、他人を泊めることはあっても、他人の家に泊まることは絶対になかったのに」 「この家のせいかなぁ?」 帰りがけ。 「何をどう弄くろうと、それは住むひとの勝手だろうけど、此処だけは残した方が良いよ」 未だ手つかずの台所で残せと言ったのは、大工が漆喰壁に造り付けた古ぼけた大きな食器棚だった。 亡き義母の指図に大工が応えたもので、確かに指物師とは違う大工ならではの造作かもしれない。 … 続きを読む

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三百二十五話 毛を起こすだけの仕事人

  服になんか頓着しない。 世の中には、こう思っている人は意外と多いと思う。 男だと、なおのこと多いのかもしれない。 まぁ、着るものなんて、安けりゃ安い方が良いっていう考えもわからなくはないけれど。 値段の高い安いに関わらず、譲れないこともある。 着心地だ。 この歳で、着るものにまでストレスを感じるなんて勘弁してもらいたい。 どんなに安くて格好良い服でも、我慢比べみたいな着心地の悪い服は我慢ならない。 逆に、一見何の変哲も無い服でも、心地良く身体を包んでくれるような服だと欲しくなる。 多少無理をしても手に入れたくなる。 オヤジの生態は、生理的欲求に極めて我が儘で繊細である。 ちょっとした忍耐を強いられただけで、具合が悪くなってしまうこともある。 オバチャンみたいに図太くは暮らせないのだ。 そこで、そういった不安のない安全で快適な服をひとつご紹介したいと思う。 Vlass Blomme から届いた “ Hand Raised Knitting Hoodie ” 英語だとこんな感じだろうが、“ hand raised ” とは?あまり聞き馴れない言葉だと思う。 起毛工程を手作業によって施すという意味なのだが、一般の方には想像しにくいだろう。 僕でも、景気が良かったバブル時代の頃に、一度その現場を見たことがあるくらいだ。 Vicuna だか Baby Cashmere だったかのコート生地の起毛を依頼したように記憶している。 コート一着が、高級外車の値段を軽く越えていたので、念のため立合うようにと言われた。 馬鹿げた事が街中に溢れていた時代で、誰もがそれをあたりまえだと思っていた。 大阪の南、泉州地域は、古くから高級毛織物産地として栄えてきた。 近年、さすがにその栄華も過去のものとなりつつあるが。 … 続きを読む

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三百二十四話 日々そこにある贅沢

商売柄、金銭的に恵まれておられる方々に接する機会も多い。 中には、自分とは棲む世界が明らかに違うという浮世離れした方にお目にかかることもある。 お金持ちにはお金持ちの、貧乏人には貧乏人の、それぞれ誰しも悩みを抱えているだろうから。 一概に、財の高だけで、ひとの幸不幸は量れるものではない。 まぁ、たくさん有るに越したことはないけれど。 五〇歳も半ばになると、ひとにとって贅沢な暮しとはどんなものだろうか?と考える時があって。 暮しと言っても、衣・食・住と色々にあるので、なかでも食についての話をさせて戴く。 これまで、いろんな国で、いろんな飯を喰ってきた。 そこで、一等旨かったのは何か?と訊かれると、迷わずこの時の此処のこれを挙げる。 暮れの出張で越後に赴いたが、産地が豪雪に見舞われ、村内で年を越す羽目となった。 新潟県の栃尾、今では市町村合併により長岡市になっているらしいが、よくは知らない。 産元や機屋に誘ってもらったが、家族団欒の正月を邪魔するわけにもいかず、ひとり宿に居た。 もっとも、婆さんと嫁とで切盛りするその宿も正月は客を取らず家族で過ごすつもりだったらしい。 迷惑な客人だったろうけど、こればかりは諦めてもらう他ない。 元旦の朝、ひんなか(栃尾弁で囲炉裏)端に膳が設えてあって、婆さんが付合ってくれる。 「あんさま、いきで、どこもいがんねぇ、こんげでも、あがらっしゃい」 寒鰤が入った油揚げの雑煮、竈炊きされた天日米の白飯、凍み大根の煮物などが並ぶ。 なにがどう旨いというよりも、ありふれた食材が、ここまでの味になるということに驚かされた。 しかし、この米も、大根も、油揚げも、鰤も、僕のために用意されたものではない。 正月に帰って来る亭主のために、嫁が、地物の中でも最高のものを目利きし味付けしたものだ。 他人の口に入れるつもりなどなく、僕はたまたま亭主のお下がりを頂戴したに過ぎないのだと思う。 誰が調理して、誰が喰うのか分からない喰物ほど、始末に悪いものはない。 百貨店やスーパーの総菜、コンビニ弁当、ファミレス、ホテルの宴会料理など。 調理人からは客の顔は見えない、客からは調理人の顔は見えない、旨い不味い以前の話だろう。 果たして人間が作っているのかどうかも怪しい。 屋台の親爺が供する夜鳴き蕎麦の方が、よほどに有難い。 飯屋も服屋も似たところがあって、対象が広ければ広いほど、不味かったりつまらなかったりする。 だから、僕は、出来る限りこじんまりとした路地裏に在る飯屋を選ぶことにしている。 贅沢な食とは? そう考えると、HOME MADE に行着くのではないかと思う。 昨日、横浜の友人から、家で焼いたというパンが届いた。 かたちも味もそれぞれのいろんな種類のパンが包まれてある。 今月は、義母の一周忌にあたる。 そんな想いもあって、贈ってくれたのかもしれない。 言葉にすると軽くなってしまうけれど、ひとの気遣いとは有難いものだと思いながら戴いた。 マジで、うめぇ〜。 高級パン屋の是見よがしな味とは違って、食べ飽きない品の良い風味があって、とにかく旨い。 それにしても、ここんちの御主人は、毎朝こんなパンを喰って出掛けているのか? … 続きを読む

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三百二十三話 こんなもんで、誤摩化されないぞ! 後編

引っぱりに引っぱった挙句の後編です。 今回、新作は foot the coacher だけで、AUTHENTIC SHOE & Co. にはないと聞いていた。 そのないはずの新作が、実はあるのだという。 “ an éude shoes no.1 ” 僕が、この靴に執着する理由を解するひとは少ないと思う。 いや、多分いないだろう。 竹ヶ原敏之介君本人だって理解しないかもしれない。 無名の靴職人だった頃から今日まで、途切れることなく彼の靴とずっと付合ってきた。 そして、僕は、靴評論家ではない。 身銭を切って、生きる糧として真剣に向合ってきたつもりである。 だから、靴をどうだこうだと評して、それで終りというわけにはいかない。 その立場で、敢えてこの靴の是非を問おうと思う。 この靴の外観上には、古典的要素は見当たらない。 おそらく、この靴を製作するにあたって、視界には過去にあった古典靴の残像はなかったのだろう。 その意味に於いて、前作の Spencer Shoes も含め、今までの竹ヶ原敏之介の靴とは明らかに異なる。 では、竹ヶ原敏之介の靴らしくないか?と問われれば、これまた明らかに彼自身の仕事だと言える。 一切の装飾を排し、まるで黒く塗装された木型が剥き出しで置かれているような禁欲的な風情。 この last には、古典靴にはない奇妙な均衡がある。 それは、製靴史上名靴と称され、手本とされてきた均衡とは一線を画しているように思える。 前衛的とも、近未来的とも評していいのかもしれないが、とにかく独創であるに違いない。 これまでの竹ヶ原敏之介の流儀は、 古典靴を独自の視点から眺め解釈し解体して、再度構築するというものだったように思う。 … 続きを読む

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三百二十二話 こんなもんで、誤摩化されないぞ! 中編 

三百二十一話 前編 からの続きで、Authentic Shoe & Co. での一幕です。 竹ヵ原君が、ダンベルや水筒に続いて、今度は、雨用具を見せるという。 肝心の靴はどうした? そんな想いもあったが、久しぶりに顔を合わせたんだし、付合うことにする。 「これなんですけど」 「おっ、U.K. Oiled Jacket じゃん」 U.K. Oiled Jacket は、一八〇〇年代の終り頃に英国で産まれた。 以来、厳しい英国の風土のなかで、野外着として育ってきた Historical Wear である。 Royal Warrant の称号を持ち英国王室の方々も愛用されている Barbour に象徴される。 一九六四年 Days Trials Circuit で、 Steve McQueen が着用したのも、この U.K. Oiled Jacket だった。 こういった Historical … 続きを読む

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三百二十一話 こんなもんで、誤摩化されないぞぉ! 前編

“ foot the coacher ” 二〇一五年春夏の新作を見に来いと言うので、土砂降りの雨のなか原宿に行く。 雨というだけでも、機嫌が悪いのに。 目の前に置かれた新作は、嫌いなものばかり。 スニーカーとか、VIBRAM 社の #9107 sole が装着されたデカ底の玩具みたいな靴とか。 もう機嫌の悪さは、MAX に。 ただ、誤解のないようにだけ言っとくけど。 あくまでも Musée du Dragon の偏った主観であって、世間的にそうだというわけじゃない。 むしろ、逆かもしれない。 番頭の岩渕君が、応対にやって来る。 「なぁ、マジで俺に喧嘩売ってんのかよ? なんだよ、これ?」 「ちょ、ちょっと、蔭山さん落着きましょ、ねっ、そうしましょう」 「そうすれば、段々良く見えてきますから、ねっ、そういうもんなんですよ、靴は」 「誰に向かって講釈こいてんだよ? 安もんの占師みたいなこと言ってんじゃねぇぞ!」 「あのね、よ〜く落着いて聞いてくださいよ、今、こういう靴が新鮮で、評判良いんですよ」 「ほう〜、正面きって面白い事言うじゃねえか」 「要は、俺が世間からズレてて、目端の利かないオッサンだって、そう言いたいわけかぁ?」 「あぁ〜、もう駄目だぁ」 「なにが駄目なんだぁ!聞こえてんぞぉ!小声で呟いたって、まだ耳はいかれてねぇからな!」 「そうだぁ、蔭山さん、別の部屋へ行きましょ、ねっ、そうすれば、機嫌だって良くなりますから」 「外で煙草でも吸ってくるわぁ、その方が落着く」 「でも、外、雨ですよ、濡れちゃいますよ」 「小姑みたいに、いちいちうるせぇんだよ! 知ってるよ! 一緒に来いよ」 … 続きを読む

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