五百一話 壱岐の島は、こんなとこです。

食を目当てに、他にはなんの期待も抱かずここまでやって来たけれど。
この國には、変わらず守られてきた姿が今尚あるのだと知った。
一三四平方キロの島まるごとにそうなのだから、ちょっとした驚きだろう。
壱岐の島は、未開の地ではない。
古代よりひとが暮らし他所との交易も盛んで、隅々にまでひとの手が及んでいるはずの島なのだが。
律令制度で統治されていた頃。
駐屯した東国の防人が目にした風景と、いま眼前にあるそれとさほどの違いはないのではないか。
そう想わせる不思議な空気感が漂っている。
断崖の景勝地に立っても、案内板もなければ、注意書きひとつもなく、安全柵すらない。
この興醒めさせない配慮の無さが、とてもありがたい。
で、壱岐の島は、こんなとこです。

日出

日没

干潮

満潮

壱岐牛

屈指の子牛産地で、壱岐で産まれ育った子牛は島外へと。
その後、主に松坂などで成牛となり、銘柄牛として高値で取引されるらしい。
すこし哀れなはなしではあるが、霜降りで味は良く値は安い。

漁船

壱岐の漁船装備は、まるで軍用だと言われるほどの性能を誇る。
また、かつて帝国海軍の操艦を鼻で笑った技術は今も健在なのだそうだ。
北の大間、南の壱岐と称される鮪船団は、南での漁を終えると獲物を追って北上する。
烏賊釣船も、同じく北へと向かう。
やはり、玄界灘の荒海で鍛えられた漁師は腕前が違うのだろう。
すべて一本釣りが、壱岐漁師の掟だと聞く。
鮪、烏賊、クエ、鮑、雲丹、サザエなど。
醤油はつけず、壱岐産の塩で食う。
どんなに大枚を叩いても、都会ではまず口にできない贅沢な味だ。
島のひとから聞いた言葉がある。
” この島ですべてを賄って生きていけます ”
真実なのだと思う。
だから、変わらない。
旅を世話してくれた壱岐出身の知人に。

大阪なんか引き払って、とっとと故郷に帰れよ!

 

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