月別アーカイブ: June 2013

二百三話 饂飩一杯の値打ち

齡五〇を越えた男が、飯を喰う如きのために並んで待つなんてありえない。 ずっとそう思ってきたし、実際並んだこともなかった。 そんな人間が、炎天下一時間半という長い時を無為に刻むことになる。 それもよりにもよって、饂飩一杯のためにである。 なんでこんな羽目になったのかは言いたくない。 もう途中から目的が何だったのかもよくわからなくなっていて、意地だけで並んでいたように思う。 並んでいる人達の年齢性別風体は様々だ。 老人、主婦、夫婦、OL、運転手、高校生、観光客から、なにしてるかわかんないオッサンまで。 平日の昼間にこの人達は、一体どういう了見でこの場にいるんだろう? ⎡一口すすって不味かったら、即座に席を立ってやろう⎦などと腹の中で唱えつつ。 待つこと一時間も過ぎようかというあたりで、不思議なことに気づく。 さすがに笑顔で待っている人もいないが、かといって文句を言う輩もいない。 しかし、喰い終わって暖簾をくぐる人は、いちおうに上機嫌である。 ⎡ごちそうさん、また来るわ⎦ 中には、うるさそうな厄介なオヤジも少なくないというのに。 時折、冷たい御茶が並んでいる人に振舞われる。 店のおんなの子なんだが、とにかくペコペコひとりひとりに頭を下げる。 ⎡暑い中お待たせしてすいません、ほんとにすいません、椅子とかご用意しましょうか?⎦ あたりまえの口上なのだが、その平身低頭ぶりは半端ではない。 転売屋を並ばせて自慢気にしているどっかの店屋の販売員とは大違いだ。 一時間三〇分さすがに潮時かという頃、ようやく声がかかる。 並んでいる間に注文を通してあったので、腰をかけるとまもなく運ばれてきた。 牛蒡天ざる饂飩と鳥ささみ天丼。 饂飩をたぐって、出汁に浸けて、すすって、思わず苦笑いしてしまった。 悔しいが、確かに旨い。 多分、出汁は、煮干しとかは使わず鰹だけなんだろう、雑味もなくスッキリと切れがいい。 麺は、ここまでしなくてもというくらい意味不明のコシがある。 麺切り鋏が添えられているくらいだから、箸では捌けない強さだと亭主自身自覚しているのだろう。 次に、牛蒡天なんだけど。 この饂飩屋には海老天を供するつもりはないらしく、品書きにもない。 気になるのは、小皿に盛られた黄色い塩で、カレー塩だという。 牛蒡天にカレー塩をつけて喰う。 牛蒡の臭みも消え、天麩羅の衣油にカレー粉が馴染み 、これはもう完全にアリである。 畜生、うめぇなぁ。 そして、鳥ささみ丼へ。 鉢の底から、白飯、温玉子、ささみ天麩羅で、きざみ葱と出汁がかけられている。 まぁ、玉子かけ御飯に天麩羅が寄添っているような JUNK 感まるだしの丼だ。 … 続きを読む

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二百二話 女王陛下と謎の石庭

空梅雨の京都。 いやぁ〜、折角行くなら寺社仏閣もブランド処に限るよなぁ。 ということで、誰もが知ってる龍安寺です。 寺には、⎡龍安寺の石庭⎦として名高い枯山水の方丈石庭がある。 この庭には、多くの研究者を悩ます謎が秘められているという。 悩んだところで、永遠に解明かされることはないと思うが。 謎は四つある。 ひとつめは、⎡刻印の謎⎦ 室町時代、相阿弥の手によって作庭されたと伝えられてきた。 しかし、庭石の裏に刻まれた⎡小太郎・口二郎⎦の刻印が見つかり定説が揺らぐ。 詰まるところ何処の誰が創ったのかさっぱり知れない。 ふたつめは、⎡作庭の謎⎦ 狭い空間に大小一五個の石を配した庭。 この抽象化を極めた作庭に、何を託そうとしたのか。 未完?風景?宇宙?説諭? そして、禅の世界観が込められているとも言われる。 だが、作庭者の表現意図は今だに不明のまま。 みっつめは、⎡遠近の謎⎦ この石庭は、全てに於いて水平に創られている、いやそう見える。 だから、僅か七十五坪の空間が圧倒的な広がりをもって眼前に迫るんだろう。 しかし、実際には白砂面や土塀には微妙な高低差が工夫されており、鑑賞者の錯覚を誘う。 極めて高度な遠近法が駆使されているのだ。 室町期に、これほどの水準で遠近法の概念が日本にあったというのも不思議であろう。 よっつめは、⎡土塀の謎⎦ この庭を傑作と言わしめる構成要素のひとつが、百八十センチと低く構えられた土塀である。 龍安寺自身も、まるで名画の額装と称しているがそのとおりである。 油土塀という工法で、土に菜種油を錬り合わせ塗仕上げていく。 白砂 から反射を柔らげ、風雪に耐える堅牢さを備えるという見事な左官技術が生かされている。 また、土塀を境に地面は内外で八〇センチほどの高低差があり、外より内が高い。 詳しくは知らないが、この高低差は石庭の耐久度にかなり寄与しているのだと聞いた。 もし、同じ高さに設定されておれば、庭は今の世に現存していなかっただろうと唱える識者もいる。 偶然か?必然か? 偶然であればこれはもう奇跡であり、 必然であれば 名の知れぬ作庭者の職能は計り知れないというこになる。 ざっと四つの謎はこんなところではあるが、僕にはもっと不思議なことがある。 そもそも、これほどの世界的遺産について、な〜にも解らないというのはどういうことなのか? 近世では、龍安寺の見所は池泉回遊式庭園とされ、石庭はほとんど注目されていなかった。 さらに明治期には、廃仏毀釈によって寺は困窮し、狩野派の襖絵もぜ〜んぶ売払うまで追込まれた。 … 続きを読む

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