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四百六十七話 隔絶された商い 其の二  

四百六十六話からの続きです。 並んで待った挙句に注文したのは。 自家製ピクルスを添えた猪肉のハンバーガー NZ産ゴーダ・チーズと地元野菜のバーガーサンド トマト・ソースとチーズのピッツァ 食い物はその三品で、飲み物は以下の三品を。 Pale Saison 英産麦芽/山口県産蜂蜜/米産ホップ/野生酵母 Chamomile Saison 独産麦芽/クロアチア産無農薬カモミール/チェコ産ホップ/野生酵母 鳥取県産完全放牧牛乳 品書をそのままに写すとこんな具合だ。 で、味はどうか?と訊かれると。 これが、なかなかお伝えするのが難しい。 これだけの人を並ばせるのだから、此処ならではの個性の強い味を想像していたのだが。 拍子抜けするほどに、主張のない控えめな印象を受ける。 猪肉のハンバーガーなどは、言われなければそれが猪肉だと気づかないだろう。 都会の仏料理屋が、Gibier などと気取って供する皿から漂うあの野獣臭さも全くない。 こんな山奥にわざわざ足を運ばせるには、ちょっと物足りない味にも思えたのだが。 食べ進み飲み進むと、その評価は変わっていく。 どれもいままで食べてきたものとなにかが確かに違う。 野獣臭くない猪肉、独特の酸味が残る野菜、干草が香る牛乳、軽い食感のパン生地など。 なんと言ったら良いのか、少しづつ泌みるような旨さが伝わってきて。 いくらでも食べられそうな気がする。 高級料理屋の磨かれた旨さではなく、田舎家の卓にあったような素朴な旨さだ。 だけど、それは、つまらなくはなくて、とても居心地の良い大切な味のように想う。 意外なことがあって。 僕は、食物においてふたつだけ嫌いで滅多に口にしないものがある。 ひとつはビールなどの発泡酒で、もうひとつが漬物だ。 なのに、自家製ピクルスを食いクラフト・ビールを飲んで、これは旨いと感じた。 何故かは分からないが、Talmary は好き嫌いを超えた地物本来の魅力を備えているのかもしれない。 廃園となった保育園を地元住人と改築した店舗。 食材から燃料までの大半を地域内で手当てしつくられた品。 過疎地域への移住者を受入れ雇用した人。 「ヒト」「モノ」「場」が、 これほどに佇まい良く構築された店屋を他に知らない。 それでいて、何気ない雰囲気を装って在る。 Talmary … 続きを読む

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四百六十六話 隔絶された商い 其の一 

鳥取の山奥に連れられて。 考えさせられる光景を見た。 鳥取県八頭郡智頭町 過疎地と呼ぶのもなんだけど、やっぱり過疎地なんだろう。 あなた、明日からここでなんかやって稼いでちょうだいね。 はい、分かりました。 と、応じる商売人はまずいないだろう。 生活費の面倒みるから暮らしてちょうだいねでも、腰が引ける。 閉ざされて在る山の奥だ。 だが、ここでなければというひとがいるらしい。 稼業はパン職人で、ビールも創っている。 廃園となった保育園を店屋としていて、そこで食って飲むこともできる。 TALMARY 一〇時開店で、訪れたのは十一時前。 駐車場は満杯で、扉の前にはひとが並んでいる。 店屋のおんなの子に。 「これって、パンを買うひとの列なんだよねぇ?」 「はい、そうです」 「じゃぁ、ここで食べるんだったら並ばなくてもいいよね」 そんな都合の良いはなしあるわけねぇだろう!このおっさん初めてかぁ?馬鹿じゃねぇの! そう思ってるんだろうけど口には出さず、可愛い笑顔で。 「それはそうなんですけど」 「こちらで召上るのでしたら、廊下で待たれている方から順に案内させていただいております。」 「えっ!マジでぇ!」 入口から見えない奥の廊下にひとが同じように並んでいる。 ここんちのパンには、中毒にでもさせるなんか特別の添加物でも混入されているのか? そして、ふざけるな!パン如きに並べるか!という意固地なおっさん的論理はここでは通用しない。 なぜなら、見渡す限り自販機ひとつない山奥で、嫌なら空腹と乾きを堪えて山を下りるほかない。 だから、こうして並んでいるひとには通じるものがあって。 Talmary のパンやビールにありつくというただひとつの目的だけに来て並んでいるのだろう。 それほどのパン好きやビール好きなのか? そもそも味なのか? それともこの店屋が掲げる理念への共感なのか? 或いは過疎地再生への慈善的意識なのか? いまひとつ納得がいかないし、不可思議だ。 まぁ、こういった店屋をまったく知らないわけではない。 ただ、ここまで購買行動の原理を頭抜けて無視した店屋というのは珍しい。 そういった意味に於いては。 自身の Musée … 続きを読む

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四百六十四話 洗うだけで増える?

用事は江ノ電鎌倉駅近くにあったのだが。 久しぶりだったのでひとつ手前の北鎌倉駅で降りて歩くことにする。 ここ北鎌倉を愛した映画人は多い。 松竹が、撮影所をそれまであった蒲田から大船に移した頃からだろうか。 木下恵介監督・小津安治郎監督・小林正樹監督など往年の巨匠から山田洋次監督まで。 皆さん、松竹組である。 松竹大船撮影所も今はもうなくなってしまったが、 その頃の風情はこの街から消えてはいない。 それは、昭和のインテリ達が好んだ雰囲気で。 激することなく淡々と風潮に抗って暮らす様が、まだこの家並みには窺えるように想う。 風情は申し分ないのだけれど、それにしても蒸して暑い。 北鎌倉在住の知合いによると。 湿気だけは何年暮らしても慣れるものではないのだそうだ。 切り通しの肌もじっとりと濡れている。 線路脇の看板に「銭洗い弁天まで二〇分」とある。 弁財天は水神で、弁財天の水で銭を洗うと浄めた銭が何倍にもなる。 こういった民間信仰は各地にあるが、鎌倉にもあるらしい。 洗うだけで銭が増えるという魅力的で手間いらずの御利益に是非とも与かりたい! 嫁に訊く。 「遠回りになるけど、洗う?」 「 うん、洗う」 鎌倉に建ち並ぶ数々の古刹名刹を素通りしてきた挙句に夫婦が口にしたのは。 お参りしようでもなく、手を合わせようでもなく、拝もうでもなく。 「洗う」の一言で、 もうお金頂戴と言っているに等しい。 が、欲に駆られた人間に待っているのは御利益ではなくお仕置きというのが相場だ。 銭洗い弁天までの道のりは、平坦ではなく山道で途中崩れて足場の悪いところも。 そもそも参道ではなく、葛原ヶ岡ハイキングコースと記されている。 のこのこ革靴で出掛けるような道筋ではない。 気温は三四度を超えていて。 湿度は MAX に達して。 頭から水を浴びたような姿で、服は何色だったか分からないほどに変わってしまっていて。 仲良く銭を洗おうとか言っていた夫婦仲も険悪に。 「これいつ着くの?もう遠に二〇分経ったよねぇ?さっきの看板嘘じゃん!」 「知らねぇよ!」 「ねぇ、ちょっとぉ!側に寄んないでよ!気持悪いんだからぁ!離れなさいってぇ!」 「なんで、そうやってオッサンは馬鹿みたいに汗かくのかなぁ?どっか悪いんじゃないのぉ?」 … 続きを読む

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四百六十三話 夏の終わりに

夏の間ずっと騒がしかった海の家もすっかり片付けられて。 浜が、地元湘南人の暮らしへと戻ってくる。 波乗りに、犬の散歩に、爺いの徘徊にと。 過ごし方はひとそれぞれだが、住人にとってはなくてはならない浜なんだろう。 僕は、夏の初めと終わりにこの浜が好きで来る。 由比ヶ浜は、ほんとうに良い浜だと想う。 さて、そろそろ晩飯時かな。 MANNA へ。 由比ヶ浜には、数件知った飯屋があるけれど。 伝説のおんな料理人 原優子さんの皿はどうしても外せない。 浜から江ノ電駅に向かって七分ほど住宅街を抜けて歩く。 途中、立派な構えの蕎麦屋が一軒在って。 垣根越しに蕎麦屋の広い庭を覗くと。 庭先の卓をふたりの爺いが囲んでいる。 ふたりとも八〇歳くらいだろうか? とにかく髭面の日焼けした年寄りである。 麻の白シャツに短パン姿でむっつりと向き合って酒を飲んでいる。 卓には、バケツほどもある銀製のアイスペールに山盛りの氷が積まれていて。 そこには、値の張りそうなシャンパンが二瓶突き刺してあって。 どうやら、ふたり別々の銘柄をそれぞれに手酌で注いでいるらしい。 夏の終わりの夕暮れに潮風にあたりながらシャンパンを煽って、〆に蕎麦を啜るって趣向かぁ? 早よ死ね! だけど、そういう格好が嫌味なく板についていて、見事に粋な風情を漂わせている。 銀座や北新地辺りの無理と無駄を重ねた贅沢なぞ寄せつけない余裕と貫禄だろう。 あぁ、おとこもこうなると上等だよなぁ。 おそらく、このふたりの爺いは由比ヶ浜の住人に違いない。 蕎麦屋の垣根越しにではあったが、この海辺の街が継いできた底堅い格を見たような気がした。 そして、近い将来このふたりの爺いも由比ヶ浜の波打ち際を徘徊するのかもしれない。

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四百五十三話 Bubbly Night in KOBE

後の世代にとっては、ほとほと迷惑な存在でしかない世代が未だこの国には生息している。 世の中は、いつだって幸福に満ちているもんだと信じて疑わない団塊の世代。 きっと今日より明日は良い日なんだと自分に言い聞かせて暮らしているバブル世代。 もう希望はないのだと諭しても聞き入れやしない。 こういう昭和の無形文化財的な人達には共通した好物があって。 その好物を眺めるとどんな嫌なことだって忘れられるらしい。 もうここまでくると、ちょっとした特技だといっても良い。 その好物のひとつが夜景。 なんせキラキラ光るものが堪らなく好きだ。 Disco Ball とか Mirror Ball とかそういった類の光物を想起させるのかもしれない。 まぁ、どちらも今や死語だけど。 そして、小洒落た外車を駆って山に登り夜景を見下ろせば、どんなおんなも落ちると確信している。 恥ずかしいのを通り超えて憐れみたくなるほどの馬鹿だ。 なんせ、夜景評論家などというふざけた肩書が通じた時代だったんだから。 先日、そんな馬鹿の好物を眺めようと世継山に登った。 夕刻、新神戸からロープウェイに乗って頂へ。 そして、陽が暮れると。 こうして、神戸の夜景が眼前に。 Bubbly Night in KOBE 綺麗は綺麗なんだけれど、国史上稀に見る不出来な世代の事情があたまを掠めたりもする。 悪気があったわけではないが、それだけに罪が重い。 これから先も。 浮かれた時代を知らない若い方々に、ご苦労をおかけすることになるのだろう。 ほんと、ごめんなさい。

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四百五十話 残余の美

青時雨に湿る高瀬川のほとり。 森鴎外や吉川英治が綴った情緒を、この歓楽街に嗅ぐことはもはや叶わない。 三〇年前、上席に連れられ通った小汚い小料理屋も姿を消した。 甘鯛の酒焼きを喰い終わると、女将が膳を下げ再び椀を手に戻ってくる。 頼んでないと告げると、失笑された。 喰い残した皮と骨に出汁をかけ吸物として供するのだと云う。 齢八〇近い女将が、誰が喰った皮と骨かを一々確かめているとは到底思えない。 京都人と付合うには、潔癖であっては務まらないのだと悟ったのを憶えている。 訊けば、外でそんな喰い方をする京都人は、今はもういないのだそうだ。 ひとも街も、時と共に変わりゆく。 久しぶりにこの界隈に宿を取り、仕方がないと言い聞かせながら木屋町をぶらつく。 そういや、川のどん突きに骨董屋が在って、時折足を運んでいたのを思いだした。 まだ、営んでいるのだろうか? 素晴らしい骨董屋だったが、その分敷居も相応に高い。 Galerie 田澤 都屈指の名店は、昔と変わらぬままそこに在った。 Galerie 田澤は、骨董屋というよりは古美術商の域に近いかもしれない。 事実それだけのものを所蔵し、商われている。 坪庭へと続く町屋を場として。 鋭利な審美眼を通して許された名品が臆することなく設えられてある。 洋の東西を問わない美がそこに凝縮され異彩を放つ。 多くの芸術家や文化人や収集家を魅了し続けてきた空間は、いささかも褪せてはいない。 その名を知られた店主の田澤とし子さんはご不在で、息子さんに迎えられる。 一八世紀から一九世紀の硝子器を中心にご案内していただく。 製法にまで及ぶ講釈は、もの静かで、的確で、奥深く、興味深い、なにより耳に障ることがない。 店屋の亭主とは、斯くあるべきなのだろう。 しかし、懐の具合も鑑みると、なんでもというわけにはいかないのが辛いところで。 あれこれと辛抱強くお付合い願った末、一九世紀初頭に英国で創られた硝子器を求めることにした。 二室に分かれた心臓みたく不思議なかたちをした硝子器で、他所では見たことがない。 せっかくの Galerie 田澤なのだから、此処ならではという目利きで決める。 「ところで、おかあさんは?」 「父が亡くなってから少し弱りましたけど、なんとかやっております」 「今、山科の自邸から店に向かっておりますんで、逢ってやってください」 若奥様に添われてやって来られたとし子さんにお逢いする。 少し目を患われていて、杖をつかれてのご出勤だ。 「二〇数年ぶりでしょうか?お元気そうでなによりです」 「近くに参りましたもので、なにかいただこうと思い、息子さんにお相手願っておりました」 … 続きを読む

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四百四十一話 幕末対決! 国芳 対 国貞

道玄坂に在る Bunkamura THE MUSIUM へ。 此処は、松濤の超高級住宅街と猥雑な風俗街とが背中合せにくっついているという妙な街だ。 僕にとっては、まことに縁起の悪い場所でもある。 鬼門だと言っても良い。 此処に来ると碌なことはない。 ちょうど Bunkamura を通り過ぎて一分ほどのところに ANSNAM のアトリエが在った。 あの中野靖の ANSNAM だ。 一月に店を閉じて、もうすっかり奴の存在など忘れ去っていたのだが。 さすがに、この辺りを歩けば思い出さずにはいられない。 あぁ、奴は今頃どうしてんだろう? Musée du Dragon を閉じた同日に、此処松濤のアトリエも閉じたらしいけど。 いやいや、気にしてはいけない。 知ったことではない。 関わってはならない。 せっかくの展覧会が台無しになりかねない。 気を取り直して本題に入ろう。 方角は凶だったが、会自体は吉だった。 幕末の浮世絵両雄が渋谷で激突。 俺たちの国芳、わたしの国貞。 この表題は、なかなかに洒落ている。 幕末の江戸。 財政は緊縮抑制下にあり、質素倹約・風紀粛正が市中を暗く覆っていた。 天保の改革による謂われ無き糾弾に筆一本で対峙した歌川国芳は、江戸庶民の HERO だった。 抜群の筆さばき、奇想天外ともいえる着想、不屈の反骨精神は、まさに幕末の PUNKER … 続きを読む

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四百三十五話 天神橋へ

嫁が言う。 「ねぇ、あんたってさぁ、大阪生まれの大阪育ちよねぇ」 「ってことは」 「何気に神戸っ子のふりしてるけど、がっつり浪速っ子なんだぁ」 「へっ、へっ、気の毒に」 「そんな生粋の浪速っ子の割には、大阪のことなんにも知らないよねぇ」 「なんでそんな残念なことになってんの?」 まぁ、浪速っ子が残念か否かは別の筋合いとして、確かに大阪で生まれたし育った。 卒業してからの勤先も堂島だったし、その後継いだ会社も店も梅田に在る。 学生時代の一〇年間を神戸に通っていたというだけだ。 しかし、大阪への馴染みが薄いという点では嫁の言う通りなのかもしれない。 何故か? 多分、大阪という土地は僕にとって、働く場所であって遊び場ではなかったのだろう。 北新地の BAR や CLUB を徘徊してはいても。 それは仕事の延長であって気のおけない遊びではなかった。 もうそんな昭和の仕事文化も失われ、今ではなんの説得力もありはしないが実際にはそうだった。 単なる職場としての大阪しか知らない。 そう想うとちょっと寂しい気もする。 これを機会に、大阪の街場で、飲んだり、食ったり、買ったりしてみるのも一興かもしれない。 さて、どこから始めるか? ちょうど梅の季節で、梅と言えば天満宮で、天満宮と言えば天神橋筋だろう。 そういう訳で、天神橋へ。

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三百八十話 画家の正体

休日の月曜日。 点検修理で一◯日間ほど阪神高速道路の一部区間が通行止めになると聞いた。 地道を通って海辺の家に行くのも面倒なので、何処か他所へ出掛けることにする。 久しぶりに画家の女房の顔でも拝みにいこうか。 吉田カツ。 今でも、大抵の日本人が一日一度はその作品を目にして暮らしている。 商業美術を離れ画家となり、東京から此処丹波篠山へと移り棲んだ。 生涯を絵描きとして過ごし、画業は最期のその時まで絶えることはなかった。 カツさんほど、絵を描くこと以外なにもしなかった人を僕は他に知らない。 微塵の妥協も許さない画業が産んだ作品群は、現代美術界に於いて陽の当たる場所を棲家とした。 没後、主要作品は四散することなく “ 何必館 ”  京都現代美術館に所蔵されている。 なんだかんだ言っても、才にも運にも恵まれた良い画家人生だったろうと思う。 業界では心底怖いひとだと評判だった。 一緒に仕事をすることになったと言ったら、皆に大丈夫か?と訊かれたくらいに。 だけどひとの相性とは異なもので、怒られても不思議と怖いと思ったことは一度としてない。 僕が企業を退職して独立する時、これを企画事務所の ID に使えと一枚の絵を渡された。 「え〜、こんなの名刺に刷ったら相手に恥ずかしくて渡せませんよ」 「なんで?」 「なんでもなにも、これってオチンチンでしょ?」 「馬鹿!こんなんで恥ずかしがってたら、この先やっていけるかぁ!いいから黙って使え!」 「いまいち説得力ないけど、カツさんがそう言うんなら、まぁ、どうもありがとうございます」 オチンチンの御利益かどうかは不明だが、この名刺を差出した最初の相手からでかい仕事が舞込む。 とにもかくにも、仕事につけ遊びにつけこの画家夫婦にはよくして貰った。 が、四年前の暮れに画家は逝ってしまう。 なので、この山里に足を向けるのは命日にあたる年の瀬で、初夏の丹波篠山は初めてである。 いつもの色に乏しい山合いの風情ではなく、一面緑の濃淡に染められた田圃をゆくことになる。 こういう土地での暮らしも悪くはない。 晩年、絵筆が持てなくなった画家は、それでも色鉛筆を握って絵と向き合う。 画家の視点は、この地の風景や産まれ育った古屋での暮らしに向けられていて。 誰に見せるための絵でもない。 自身の欲求を満たすためと、残して逝くであろう女房のためにだけ描かれた絵である。 その一連の素描は、今でも画家の女房の手に残されている。 描かれた日付毎に整理されていて、その一番新しい日付の作品には直筆の文が添えられてあった。 “もはやぼくにとって、絵は自身の性癖によるものでしかない” … 続きを読む

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三百七十六話 憧れの宿屋へ

  どうしても気になってしようがない宿屋がある。 その宿には横浜中華街南門筋のなかほどで出逢った。 どうやら現役らしい。 僕の嗜好を心から軽蔑している嫁が言う。 「いいよ、泊まっても、っていうか泊まれば?」 「えっ?いいの?」 「但し、おひとりでどうぞ、わたしはヨコハマ・ニュー・グランドにするから」 何年経っても、どんなに説いても、わかろうとしない者にはわからないものなのだ。 過去にも一度試みたことがある。 千曲川のほとりで、こういった類の宿屋にお連れしたところ。 沸点を軽く超えてキレられたのをよく憶えている。 新婚旅行での事だった。 屋号は “ 旅館オリエンタル ” と掲げられていて、裏口には別の名称が記されてある。 “ 東方旅社 ” とは、中華表記なのか? この有様では “ 飯店 ” と名乗るのは憚られるのか? わからない。 結局、泊まることもなく、なかに入ることもなく、望みを叶えぬまま横浜をあとにしたのだが。 それでも気になってしようがないので、帰ってから調べてみた。 世のなかには、やはり嗜好を同じくする同胞がおられるもので、その宿泊体験を語られている。 要約すると。 宿銭は二五◯◯円で、空調設備はない。 創業については確かなことはわからないが。 結構な歳の女将が嫁いできた頃にはすでに在ったので、爺さんの時代からなのだろう。 宿帳には船名を記す欄があることから、横浜港に寄港する船員達を相手に営まれていると思われる。 風呂と便所は部屋についていて、外観から想像するより普通に泊まれる。 雰囲気としては下宿感覚である。 部屋の前には、宿泊客が残していったぬいぐるみや漫画本が積んであって娯楽には困らない。 意外と言っては失礼だが、結構繁盛していてほとんどの部屋が埋まっていたらしい。 … 続きを読む

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