百九十話 新世界の仕事人

⎡ねぇ、あれ何?⎦
⎡なに言ってんの、通天閣だろ⎦
⎡マジでぇ〜、ナマ通天閣デビューじゃん、でも低くっ〜⎦
⎡やめろよ!浪速の誇りだぜ⎦
大阪市立美術館の正面玄関で嫁が騒いでいる。
⎡ちょっと案内してよ、アンタこの界隈詳しいんでしょ⎦
叔父が通天閣の下で劇場を経営してたこともあって、ガキの頃にはよく訪れた。
⎡だけど三十年以上も前の話だからもう変ってるんじゃないかなぁ⎦
美術館から歩道橋を新世界方向へと向かう。
⎡どっこらしょっと⎦
⎡アカン!アカン!パンツ丸見えになるやんかぁ!⎦
もう、すっかり丸見えなんだけど。
女子中学生が、ジャンケンで勝った方をおぶって歩くという遊びを橋の上でやっている。
一体、いつの時代の遊びをやってるんだ?
その脇を、白無垢の花嫁と紋付袴の花婿が通り過ぎてゆく。
花嫁のお腹はパンパンに膨らんでいる。
白無垢より分娩衣に着替えた方が良いんじゃないの?
っていうか、こんなところで、そんな格好で、なにやってんの?
歩道橋を降りて横断歩道を渡れば、そこは新世界商店街である。
⎡ちょっとぉ〜、あのおじさん、オシッコしちゃってるよ⎦
⎡信号待ちのついでにやってんじゃないの?⎦
⎡………………………… 。⎦
商店街に入ると、嫁は右見たり左見たりしながら目を丸くしている。
⎡やっべぇ〜、河豚が空飛んでるよ⎦
⎡ “ づぼらや ” の行灯だろ、写真とかで見て知ってるでしょ?⎦
⎡うん、でも空飛ぶ ナマ河豚は初めてだから⎦
⎡だから、行灯だって⎦
せっかくなので、ジャンジャン横丁にも足を向けてみることにする。
⎡ねぇ、この辺りの人って串カツ好きなの?⎦
⎡あぁ、二度付け禁止ってやつだよ⎦
⎡それ聞いたことあるわぁ⎦
⎡喰ったことないんだろ? この際、ちょっと喰ってみる?⎦
⎡喰わない!⎦
途中に、見覚えのあるような無いような服屋があった。
今は知らないし、この服屋かどうかも定かではない。
まだ在るとは思えないので、多分違うんだろうと思う。
昔、恐ろしい接客技術を駆使する使い手がこの界隈の服屋にいた。
“ マジックハンド ” と呼ばれる “ E ” 難度の技である。
背広の上衣を試着している客の後に背後霊のように立って、滅多なことでは離れない。
両手を客の肩先に置いて指先を器用に素早く動かす。
肩幅や袖丈を指で手繰り巧みに調節し客の身体に沿わすので、鏡の前でも立位置は変えない。
そこで名人は、殺し文句を口にする。
⎡御客さん、ようおうてはるわぁ⎦
⎡着て産まれてきはったみたいや⎦
⎡ほな、お買上ちゅうことでサンキュウでっせえ〜⎦
“ 新世界の仕事人 ” と呼ばれた男の磨かれた職人芸である。
叔父は、よく通って買っていたらしい。
しかし、洒落者だった叔父は 、買求めたブカブカの背広に袖を通すことはなかった。
ただ、“ 新世界の仕事人 ” の芸を面白がって通ったんだと思う。
芝居小屋の木戸銭的な感覚に近い。
売手も買手も、互いにすべてを承知で演じる。
興行師と服屋の亭主、同じ街に産まれて、育って、暮して、そして逝った。
街場に生きる大人の流儀が、粋だとまかり通った時代だった。
もう今では、見る事も聞く事も難しくなったけれど。
小綺麗なだけで口程の個性も無く、丁重で機械的な接客には情も技も無く、あるのは欲だけの街。
そんな、建替えに沸く新しい街には欠片もない “ 街場の品格 ” が、この界隈にはあった。
そして、目を凝らせば今もそこかしこにあるんだろうと思う。
隆盛と衰退を繰返しながら、難しい時代をしたたかに生抜いてきた浪速の Soulful Town “ 新世界 ”
通天閣と共に百周年を迎える。
広場に、ド派手な絵が描かれた赤いバスが停まっていた。
難波行きの無料送迎バスらしい。
⎡うわぁ〜、あの派手なバス乗ってみたいなぁ⎦
⎡タクシーに乗るより面白そうじゃん⎦
デンマーク人の観光客と連立って新世界を後にする。
車中では、運転手が街を案内してくれる。
案内で、このバスが新世界の串カツ店舗組合のボランティアで運行されているのを知った。
嫁が、殊勝なことを言う。
⎡今度串カツ食べに来なきゃなんないね、でないとタダ乗りだよ、これ⎦

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