二百三話 饂飩一杯の値打ち

齡五〇を越えた男が、飯を喰う如きのために並んで待つなんてありえない。
ずっとそう思ってきたし、実際並んだこともなかった。
そんな人間が、炎天下一時間半という長い時を無為に刻むことになる。
それもよりにもよって、饂飩一杯のためにである。
なんでこんな羽目になったのかは言いたくない。
もう途中から目的が何だったのかもよくわからなくなっていて、意地だけで並んでいたように思う。
並んでいる人達の年齢性別風体は様々だ。
老人、主婦、夫婦、OL、運転手、高校生、観光客から、なにしてるかわかんないオッサンまで。
平日の昼間にこの人達は、一体どういう了見でこの場にいるんだろう?
⎡一口すすって不味かったら、即座に席を立ってやろう⎦などと腹の中で唱えつつ。
待つこと一時間も過ぎようかというあたりで、不思議なことに気づく。
さすがに笑顔で待っている人もいないが、かといって文句を言う輩もいない。
しかし、喰い終わって暖簾をくぐる人は、いちおうに上機嫌である。
⎡ごちそうさん、また来るわ⎦
中には、うるさそうな厄介なオヤジも少なくないというのに。
時折、冷たい御茶が並んでいる人に振舞われる。
店のおんなの子なんだが、とにかくペコペコひとりひとりに頭を下げる。
⎡暑い中お待たせしてすいません、ほんとにすいません、椅子とかご用意しましょうか?⎦
あたりまえの口上なのだが、その平身低頭ぶりは半端ではない。
転売屋を並ばせて自慢気にしているどっかの店屋の販売員とは大違いだ。
一時間三〇分さすがに潮時かという頃、ようやく声がかかる。
並んでいる間に注文を通してあったので、腰をかけるとまもなく運ばれてきた。
牛蒡天ざる饂飩と鳥ささみ天丼。
饂飩をたぐって、出汁に浸けて、すすって、思わず苦笑いしてしまった。
悔しいが、確かに旨い。
多分、出汁は、煮干しとかは使わず鰹だけなんだろう、雑味もなくスッキリと切れがいい。
麺は、ここまでしなくてもというくらい意味不明のコシがある。
麺切り鋏が添えられているくらいだから、箸では捌けない強さだと亭主自身自覚しているのだろう。
次に、牛蒡天なんだけど。
この饂飩屋には海老天を供するつもりはないらしく、品書きにもない。
気になるのは、小皿に盛られた黄色い塩で、カレー塩だという。
牛蒡天にカレー塩をつけて喰う。
牛蒡の臭みも消え、天麩羅の衣油にカレー粉が馴染み 、これはもう完全にアリである。
畜生、うめぇなぁ。
そして、鳥ささみ丼へ。
鉢の底から、白飯、温玉子、ささみ天麩羅で、きざみ葱と出汁がかけられている。
まぁ、玉子かけ御飯に天麩羅が寄添っているような JUNK 感まるだしの丼だ。
しかし、この鳥ささみ、妙なことにささみ特有のぱさつき感が全くない。
塩麹にでも浸けたのかどうか、とにかく食感が良い。
見た目は、JUNK なのだが、味はまろやかで上品に仕上がっている。
う〜ん、なかなかに悩ましい饂飩屋だ。
待つ労力からして、僕の飯屋台帳にはあってはならない存在なのだが。
この饂飩を並んで喰う奴の気がしれないと言う訳にはいかない妙な魅力があるにはある。
いづれにしても、饂飩一杯でこう思わせるというのだから凄い。
屋号を “ 山元麺蔵 ” と称する人気の饂飩屋。
平安神宮の大鳥居からほど近くです。
待たずに済む曜日も、時間帯もございませんのであしからず。
辛抱と我慢と忍耐が、まだ残されているという方にはお勧めいたしますけど。

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