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四百六話 開いた口が塞がらない! 

俺は言ったよなぁ。 「ここから先の仕事は Musée du Dragon として最期のアイテム製作になるから間違いのないように」 こうも言ったよなぁ。 「長い付合いなんだから、最期くらいはちゃんとやってよね」 それから、こんなことも言ったはずだよなぁ。 「とにかく何事も親身になってやってよね」 で、それにどう答えたんだったかなぁ? 「大丈夫です、親身になってちゃんとやりますから」 確かそう返してたよねぇ。 まぁ、そこら辺りの事を踏まえてちょっと訊きたいんだけど。 なんで、大事な The Climax Shirts が表裏逆に縫われてんだよ! なんか俺に恨みでもあんのかぁ! あるんなら聞くけど、その前にとっとと縫い直せ!    

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四百五話 This is “ THE CLIMAX BAG ”

噺ばっかりで、ほんとうに出来るのか? 僕は、相当にいい加減な人間で嘘もよくつくけど。 製作依頼を聞き届けて下さった後藤恵一郎さんは百戦練磨の腕と才を持った方だ。 紆余曲折に見舞われても、こうして文句のつけようもない狙い通りの鞄に行着く。 そして、これが、 THE CLMAX BAG です。 軽くて、しなやかに強い鹿革で創られた鞄です。 この鞄について、くどい講釈を披露するつもりはない。 難点だけをお伝えいたします。 この鞄は、伽琲の搾り滓を用い手作業で染められている。 そのため伽琲の香が当初残るが、時間の経過とともに匂わなくなっていく。 この染色手法は、一九世紀末英国軍兵士によって産み出され Chino Pants に施された。 また、染色過程に於いて鹿革の油分が逃げカサついた風合いに仕上がっている。 この乾いた質感も、使っていただくにつれ鹿革本来のウェットで柔らかな風合いに戻っていく。 鹿革で創られた THE CLMAX BAG は、一般的に馴染みのあるモノではない。 凡庸な面構えとは裏腹に独特な歳の重ね方を魅せてくれると思う。 僕は、モノが朽ちてゆく姿が最も美しいと思いながら仕事をしてきた。 だから、朽ちる前に用を為さなくなるようなモノは全て単なる消耗品と認識している。 そんな消耗品を商うようになるくらいだったら、この稼業をやめる。 綺麗事のように聞こえるだろうけれど、本音でもある。 そういう想いも込めて、本作を Musée du Dragon として最期の鞄とさせていただきます。  

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四百三話 女性服

Musée du Dragon は、紳士服屋で女性物は扱っていない。 そう思っておられる方も多いと思う。 しかし、実際にはまったく扱っていないわけではなくて。 女性顧客の方も少なからずいらっしゃる。 こんな色気の欠片もない服屋にどうしてと不思議な気もするが、それはそれで有難いはなしである。 自慢じゃないけれども、僕は婦人服についてなんの見識も持合せていない。 なので、女性向けだからといって目線を変えるということはないし変える能力もない。 仕立てのあり方や素材へのこだわりも基本的に同じである。 世の中には、それが良いという酔狂な方もおられて長年通っていただいている。 そういった方々に、今期ご用意させていただいた一着がこれ。 TAAKK 森川拓野君のコレクションから選んだ。 Super 一二◯のビーバー生地で仕立てられた Bomber Jacket。 内側には一メートルあたり一二◯グラムの新素材綿を仕込み重ねて縫製している。 丈は短くモッコリとしたフォルムである。 だが、ここで終わっていれば Musée du Dragon では扱わない。 天才的変人デザイナーである森川拓野君らしくもない。 胸から肩周りをご覧いただきたい。 伊製ローピング・ウール糸を放射状に刺繍してある。 森川君曰く。 求心編みの印象を狙ったのだそうだ。 求心編みなんて、三◯年以上前に流行した編組織をなんでまた今頃持出すのか? それをまた刺繍で表現しようなんて。 やっぱりかなり歪んだ思考の持主である。 まぁ、手法はともかくこの Bomber Jacket 女性の方が羽織られるとなかなか良いと思うのだが。 数人の男性からこれのメンズ版は Musée du Dragon にはないのか? … 続きを読む

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四百二話 何処かへ

「なぁ、そうやって飯食いながら飯屋の blog 見るのやめれば」 「わたしのことは放っておいてぇ!」 嫁のご機嫌がこのところあまりよろしくない。 もちろん原因があって。 ここんとこ無茶苦茶に忙しく、旅はおろか飯屋にすら行けない生活が続いている。 もう何処でも良いから何処かへ行きたい。 そう思っているのは嫁だけではない。 そんなところへ、SLOWGUNの小林学さんから帽子が送られてきた。 独創的なフォルムを産み出すことで知れらる Pole Pole との共作らしい。 Pole Pole は、ご夫婦で運営されている帽子製作のアトリエで。 御主人の三浦さん には、なにか一緒にやりませんか?とお誘いいただいたことがある。 まだ実現出来ずにいるが、個人的に Pole Pole の人懐こいデザインをとても気に入っている。 この帽子も一見すると Mountain Hat なのだが、PUNK 感はそれほど主張されていない。 Crown 部分の凹凸も程よく抑えられていて、Brim は短めに返されている。 巻きの 網革ベルトは小林さんの仕業かもしれない。 Pole Pole らしくもあり、SLOWGUN らしくもある Felt Hat だと思う。 … 続きを読む

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四百一話 パクってなにが悪い!

Designer と名乗るのになにか特別な資格を修得する必要はない。 明日から Designer になりたければ、自分でそう言えば良いだけである。 他の分野については断言出来ないが、Graphic や服飾の世界ではそうなっているはずだ。 所詮その程度の肩書きなんだろう。 それなのに、昨今の五輪エンブレムの騒動を側から眺めていると。 Designer には、それが漠然とした規範や良識であっても逸脱行為は一切許されていないらしい。 法的に許容範囲であっても駄目なものは駄目という訳である。 Designer なんだから。 世間のひとは Designer という肩書きに一体なにを期待しているのだろうか? 過去に創作されたなにものにも類似しない完全なる独創性をもった作品。 そんなものは、望んでもまず存在しないんじゃないかなぁ。 もし仮にあったとしたら、よほど不勉強な奴が創った碌でもない駄作だろう。 Designer は、創ることよりも見ることに多くの時間を費やすべきだと思っている。 実際、仕事上膨大な量の作品に触れて過ごす。 その過程に於いて、なにものにも影響を受けずにいることは不可能である。 佐野研二郎氏は、そこを掘下げて表明することに腰が引けたのかもしれない。 だとしたら、その一点でしくじったことになる。 そして、言ってはならないことを言った。 「私はデザイナーとして、ものをパクるということをしたことは一切ありません」 そんな Designer は、古今東西、過去にも現在にも存在しない。 加えて、亀倉雄策先生の名を挙げるんじゃなくて、堂々と別の巨匠の名を告げるべきだった。 “ Jan Tschichold ” この独モダン・デザインの父が産んだ名作が、すべての始まりでしょ? なら。 「Jan Tschichichold の名作から着想し、独自の展開案を以って発展させ今回の作品を仕上げました」 … 続きを読む

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四百話 The Climax Bag

Deer Skin Bag です。 後藤惠一郎さんとの出逢いの原点に戻って創りました。 職人の勘と技だけを頼みにようやく漕ぎ着けました。 なんの衒いもないただの鞄です。 だけど、此処に Musée du Dragon に於いて表現したかった全てが込められています。 その屈折した想いを。 理解していただいたひとが創り、受け止めてくださった方が求める。 あたりまえのようだが、不思議な世界のようにも思える。 良くも悪くも Musée du Dragon は、そうした店屋である。 そして、本品を Musée du Dragon としてお届けする最後の鞄としたいと思う。 是非、一度手にとってご覧ください。  これが、“ The Climax Bag ” です。  

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三百九十七話 今、選ぶべきデニムとは?

“ DENIM ” ほど。 男女の隔たりなく年齢も問わず、国や時代を超えて多くの人々に愛されたアイテムを他に知らない。 南仏に古代ローマ時代からの Nîmes という街があって。 この地で織られたサージがデニム生地となり、街の名ニームから “デニム” と呼ばれるようになる。 デニムというと米国産の代名詞と思われがちだが、実は仏の産まれなのだ。 そんなデニムを。 これまで三五年の間に、一体どれだけの型のデニム・パンツを創ったり扱ったりしてきただろう? 勘定したことはないが、おそらく相当な数だと思う。 それだけで喰っていた時代もある。 この稼業に就いてデニムと関わったことのない人間なんてまずいないんじゃないかなぁ。 しかし、この永久不滅のスタンダード・アイテムでも時代や流行とは無縁ではいられない。 潮目を見誤るととんでもない痛手を商売的に被ってしまう。 California 州誕生と刻を同じくして創業した Levi Strauss & Co. ですらそうだった。 今、選ぶべきデニムとは? 大袈裟にいうと、この稼業に於けるちょっとした命題なのかもしれない。 そこで、Musée du Dragon として選択したのがこの一本だ。 doublet 井野将之君が創った。 まず、このデニム生地は綿一◯◯%ではない。 経糸には綿糸を緯糸にはウールを用いて交織している。 織組織上、肌面を占めるウールをニードル技法を用いて表面に持出す。 ネップ状にもやもやしているのはそのためである。 暖かくて、柔らかくて、まるでスウェット・パンツのような履き心地がしてストレスがない。 それでもこれが何物か?と問われれば、やはりデニム・パンツとしか言いようがないだろう。 … 続きを読む

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三百九十六話 白いシャツ

よく訊かれることがあって。 「五◯歳を超えてどんな格好をすりゃぁ良いのかねぇ?」 そう訊くひとの中には、誰もが憧れるような歳のとりかたをされている役者さんもおられる。 嫌味なのか?それとも訊く相手を間違えているんじゃないか?という気もするのだが。 曲りなりにも服で飯を喰ってきた人間なんだからそれくらいわかるだろう。 多分、そんな考えから尋ねられるのだと思う。 だが、残念なことにこの業界でカッコ良い人間などに出逢ったことはない。 無論自身も含めてのことだが、大抵が残念な始末だ。 デザイナーなどの創り手、店舗関係者などの売り手、スタイリストやプレスに至るまでである。 どうしたことなのか? よくはわからないのだけれど、とにかく服を飯の種にするとそうなってしまうのだろう。 だからと言って、商売柄先の問いに答えない訳にもいかない。 「白いシャツに、無地のトラウザーで充分じゃないですか」 「 ただ、ご自分に合った質の良いものとなるとそれはそれで難しいんですけど」 身も蓋もない返答のようだが、これは本当にそう思っている。 五◯年も歳を重ねれば、良くも悪くもそのひとなりの癖が身についていて。 それはもう隠したり直したり出来ないほどに染みついている。 体型、身のこなし、表情、髪型など外見からもはっきり窺える。 特に、おとこはそうなる。 ことさら凝った格好で主張せずとも充分に個性というものが備わっているのだと思う。 逆に身についた個性を嫌って、服なんぞで誤魔化そうとしてもあざとく映るだけだ。 ストイックな白いシャツで充分だろう。 とは云え、白いシャツならなんでも良いとはならないのが服道楽の性だ。 そうした考えから、これはという白いシャツをいろいろと集めてみた。 Vlass Blomme・Slowgun・The Crooked Tailor など出処は様々だが。 どれも視点を違えながら質の高いシャツに仕立上がっている。 こうしてみると、なんの衒いものない白いシャツほど奥が深い。

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三百九十四話 もう一度

ファッション屋の辞書に “ 定番 ” の二文字はない。 一度使った手は二度と使わない。 まぁ、追い込まれた時にはそうも言っておれないのだが。 気構えとしてはそうありたいと思ってやってきた。 だけれども、今期は少し違った考えでいる。 もう一度と思えるものは躊躇わずにやっていく。 このコートもそのひとつである。 “ Round Collar Tent Line Coat ” 緯糸と経糸の番手を違えて高密度に織り上げた馬布を素材として。 表面を僅に起毛させ生地全体に膨らみをもたせる。 コートとして仕立てた後、硫化染色を施す。 独特の皺感やムラ感は、この製品染め加工によって生まれる。 その効果は、天然素材のナット釦にまで徹底されている。 このコートの訴求力は、圧倒的な量感が源泉となっているのだと思う。 生地の肉厚、裾に向かって開いていくテントのようなフォルム、剥き出しのフロント釦など。 据えられた大きなラウンド型の襟もそのひとつかもしれない。 すべてに於いてたっぷりとした量感が意識されているのだ。 長年国内外で活躍するデザイナー達と関わってきた。 そうした経験から言えることがある。 デザイナー自身が醸す雰囲気と創出される服は印象的に真逆であることが多い。 繊細そうなひとは大胆なものを創り、大胆そうなひとは意外と繊細なものを創る。 The Crooked Tailor デザイナー中村冴希君は、間違いなく前者だろう。 大胆という表現を超えてもはや豪胆の域にあると評しても良い。 一切の装飾を排しながらこれだけの存在感を放つ服はそうざらにはないだろう。 それが、このコートをもう一度と思わせる所以である。

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三百九十一話 二◯一五年秋冬物を始めます。

Musée du Dragon をいつまでやるのか? そうやって気に掛けて戴けるのはとても有難いたいのだけれど。 毎日のように訊かれる。 正直に言って、何年何月何日と決めているわけではありません。 というよりなかなか決められないでいる。 四◯年近く同じ場所で同じような商いをやっていると。 「じゃぁ、この辺でやめときます」 「はいそうですか」 とはいかないみたいだ。 もっと簡単にとっとと幕を引けると思っていたけど考えが甘かったようである。 しかし、早晩やめるという腹には変わりはない。 だから、稼業に対する気構えもこれまでと少し違ってくる。 服屋の商いは、店主のやりたいようにやっていれば良いというものではない。 好きでやりたい事と、嫌でもやらなければならない事を天秤に掛けながら商っていくものだと思う。 二割がやりたい事で、八割がやらなければならない事。 振返ってみればそんな感じだったんじゃないかなぁ。 でも、これから先は少し我を通させてもらいたいと考えている。 やりたい事をやりたいようにやりたい人とやる。 また、この国の職人が置かれている環境を想うと今やらなければもう後がないような気もする。 まぁ、ロートルのポンコツがやることなので、どこまでの出来になるかは保証できないのだが。 期待せず気軽にお付合いください。 さて、そんななか二◯一五年秋冬を始めさせて戴きます。 幕開けは The Crooked Tailor の狂った逸品からです。 素材の不思議な凹凸感は、六層に重ねて織ることで生まれます。 六重織ガーゼ素材? 仕立てた後、一点一点アトリエで自らの手で縮絨したらしい。 もうつける薬すら見当たらないくらいに病んでいる。 シャツなのか?ジャケットなのか?編物なのか?織物なのか? 意味不明のアイテムではあるが、抜群の着心地を実現している。 創ったのは、仕立職人でありデザイナーでもある中村冴希君です。

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