六百十五話 新しい年 

二〇二三年一月一日、海辺の元旦。
新年あけましておめでとうございます。

夫婦ふたりだけのお正月を過ごしております。
ふたりだけなので、最小限の飾付けと好きなものだけを詰めた “ おせち ” 。

朝風呂に浸かって、食って、食って、そして寝るという自堕落な年の始まり。
いいね!

皆様にとってこの卯年が、穏やかで良い年となりますように。

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六百十四話 God Save The Queen of PUNK!

430 King’s Road , LONDON . SW100LJ
倫敦 Chelsea 地区のこの通りから始まった長い旅路を今終えられた。
Dame Vivienne Isabel Westwood
もっとも敬愛する方だった。
亡き盟友 Malcom McLaren を父に、
彼女 Dame Westwood を母に、“ PUNK Culture ” は産まれたのだと想っている。
混沌と狂騒の “ Worlds End ” が、あの時代、あの場所にあったことを忘れない。
天国では、Malcom と仲直りしてください。

May you rest in peace.

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六百十三話 Merry Christmas !

二〇二二年十二月二四日、海辺の聖夜。
今年の宴は、二度を予定。
まず最初に Santa Claus の代わりにやって来たのは、おばちゃん達。
みんな学生時代の同級生。
これだけの料理人が揃えば食いモノの心配はない。

元町東龍街 “ 劉家荘 ” の鶏丸焼と元町駅西口前に在る “ 四興樓 ” の豚饅はこちらで用意しておく。
ついでに中華街で縁起物らしい鳳凰の切絵も買ってきて洗面鏡に貼っといてやった。
あとは、小籠包やら  Stollen やらを持ち寄ってくれるのを待つだけ。
それにしても、小籠包や  Stollen をふつう家庭でつくるひといる?
蒸器を出せ!だの、流し型を出せ!だの、ウチは中華料理屋じゃないんだから。
と、思ってはいても口には出さない、おとなしく言われたとおりにするのが昔からの習わしだ。
だが、このひと達、口も達者だが腕も達つ。
蒸器から素手で小籠包を取出し、あっという間に、卓には間違いのない旨い皿が並ぶ。
凄ぇなぁ!台北屋台並の手際の良さだぁ!怖ぁぁぁ!
こうして、海辺の Chinoiserie Christmas Party は、無事開催。

今年旅立たれた Queen Elizabeth II を敬慕して、女王の肖像を。

毎年恒例の手造りChristmas Tree 。

庭のヒマラヤ杉を使った Christmas Swag は、嫁の即席。

学生だった時代からなにも変わらない時間を過ごす。
いや、それなりに何かは変わっているんだろうけれど。
こうして、半世紀近く刻が経っても、元気に皆で豚饅頬張ってるんだからありがたい話だ。
それだけでも神様に感謝したい。

Merry Christmas !

 

 

 

 

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六百十二話 Tottori LOVE !

太平洋側の神戸から日本海側の鳥取へ。
うすら暗いどんよりとした空と荒れた海を期待していたのだが、まったく鳥取らしくない晴天。
従姉妹によれば、こんな冬日はめずらしいのだそうだ。
鳥取に暮らす従姉妹は、阪神間の郊外からこの地に嫁いでもうずいぶん経つ。
そして、冬になると、言ってはならない呪いの言葉をきまって口にする。
「報道で越後の豪雪が話題になって、その映像を観るのがわたし大好きなんだぁ」
「ほんとにお気の毒で、こんなのに比べたらどってことないじゃんって思える」
「もう心の支えよ、それ無しで冬は越せないってほど大切」
だったら留萌や網走はどうなんだって話だが、従姉妹にとってはなぜか越後がお好みらしい。
悪態は天候だけにとどまらず、季節を限定せず年中口にする言葉もある。
「 言っときますけどねぇ、な〜にもありませんよ、此処には!」
これは、従姉妹に限らず鳥取人がよく言う自虐ネタだ。
Seven-Eleven や Starbucks がないだの、電車が走ってないだの、鳥取駅に自動改札がないだの。
たしかに Seven-Eleven や Starbucks は遅ればせながらやってきたが、あとのふたつは今もない。
「でも、砂丘と蟹があるだろう」
とか、他所者が言おうものなら。
「はぁ? 砂丘は、猿ヶ森砂丘の三分の一だし、蟹みたいな面倒臭いのわたしは食べないから!」
察するに、鳥取人は、なにもないというのを訴求したいのだ。
そういえば、大阪の大学に通う甥が、Seven-Eleven や Starbucks が鳥取に出店したと知った時。
「そっかぁ〜、遂にできちゃったのかぁ、そっとしといてくれたら良かったのに」
と、がっくり肩を落として残念がっていたのを思い出した。
こうして何度か此処を訪れて想うことがある。
この奥ゆかしさを一切伴わない自虐性は、なにかを秘匿したいがための方弁ではないのか?
訴えのとおり、鳥取の地にはなにもないのか?
いつも通り鳥取自動車道を北上し、途中川原サービスエリアに立ち寄る。
このサービスエリアには道の駅が併設されており、そこが “ 食の魔窟 ” への入口だ。
駐車場脇の屋台で、鶏肉を串に刺して焼いている。
普通の焼鳥に比べ三倍ほど大きい鶏肉の塊が串に刺さっていて、タレではなく塩焼きだ。
最上級の大山地鶏はふっくらと焼きあがり歯応えもよく滅茶苦茶に旨い。
加えて、この塩だ。
香草を岩塩に配合したハーブ塩で、鶏肉の油に沁みて絶妙に香る。
訊くと、Michelin Guide 掲載店に卸す養鶏家が育てた鶏で、塩はそこのシェフ直伝によるらしい。
「おじさんの口から Michelin とか聞くだけで意外だけど、実は凄いんだね?」
「いや養鶏場は友達がやってて、俺は芋農家なんよ、休みの日だけ此処で鶏焼いてんの」
意味不明だが、このおっさんの焼く芋も口にしたことがないほどに旨い逸品だ。
はなしは長くなって恐縮だが、これは魔窟のほんの入口でまだまだ続く。
寂れきった温泉街の長屋には、磨き抜かれた焙煎機が据えられ、高級珈琲豆を焙煎している。
「酸味の強いの苦手だから、そうじゃないやつなんか勧めてくれる?」
「 じゃぁ、Nepal 産 Annapurna でどう?」
「じゃぁ、よくわかんないけど、それで」
「ところで、おねえさん、こんなとこでひとりで焙煎してて暗くなったら怖くない?」
「大丈夫!わたし此処生まれで此処育ちだから、お客さんは地元でないよね?」
「神戸からだけど」
「そう」
「遠方から来る客もいるの?」
「けっこう来るよ、前のパン屋さんなんてもっと凄いけど」
「えっ?あの小屋建ての小さいパン屋がそうなの?」
「天然酵母でほんと美味しいよ、そのパンとうちの珈琲がわたしの朝の定番」
「温泉に浸かって、毎朝それって、贅沢で洒落た暮らしでけっこうだよなぁ、羨ましいよ」
「まぁねぇ、そうかもね、今日はパン屋閉まってるけど、また是非行ってみて」
これも、なにもないと言う鳥取人の暮らしぶりのひとつだ。
独逸人醸造家がこぞって訪れる薪釜でパンを焼き、地ビールを醸造している智頭の山奥に在る店屋。
日米首脳会議の食卓に田村牛を提供する道端の精肉店。
回ってさえいなければ都会で倍を超える値はつくであろう回転鮨屋。
日本海の幸を余すところなく供する元漁師が営む料理屋。
惜しみなくスパイスを練り込んだ Stollen をあたりまえのように並べる街の洋菓子店。
数日彷徨くだけでも、これだけのモノに出逢える。
それでも、当の店屋は言う。
「またまたぁ、都会だったらもっと良い店いくらでもあるじゃないですかぁ、此処は鳥取ですよぉ」
「 な〜にもありませんからぁ!」
まったくもって、不可解で嫌味な種族だ。
帰宅後、従姉妹がリハビリ施設を一時退所する無類の蟹好きの母親宛に蟹を送ってきてくれた。
まだ元気に動く蟹を捌いて鍋に、親蟹は炊飯器にぶち込んで蟹飯に。
無言で蟹と格闘して、二杯の蟹をきれいに平らげた母親を眺めて想う。
「あんたも鳥取のおとこに嫁いでいれば、腹一杯の蟹を毎日食えたろうに、残念だったなぁ」
棲まうところは、ひとの生きる糧を左右する。
俺も考え時かもしれない。

鳥取の岸壁に洒落た小屋でも建てて、そこで幕引きにしてやろうかなぁ。

 

 

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六百十一話 闇夜に浮かぶ二条城

京都にはよく行くけど、二条城にはとんと縁がない。
いつから行ってないんだろう?っていうか、行ったことあったかなぁ?
と、いうほど縁がない場所だ。
洛中のど真ん中なので門前はよく通るが、中がどうなっているのかは知らない。
そんな二条城を、闇夜に輝かせようという催しがあるらしい。
「NAKED FLOWER 2022 秋 世界遺産 二条城」
文化庁移転記念事業として開催されるのだそうだ。
御池に在る骨董屋に頼んでいたモノを受け取るついでに向かうことにした。
六時半開演。
事前予約券だったので、あまり待たずに入場できたが、結構なひとの数だ。
鳳凰が、デジタル画像で蘇るという趣向の唐門をくぐって城内へ。
光で演出された名勝 二の丸庭園を散策しながら進む。
綺麗ではあるけれども幻想的というほど大袈裟なものではない。
まぁ、こんなもんだろう。
カップルや子供は盛り上るだろうが、感度が低めに設定されているこの歳の人間はそうはいかない。
内堀までやってきた。
立ち上がる石の城壁を屏風絵のように見立てたプロジェクションマッピングが展開される。
蓮子などの花々が投影されるなか、突然水飛沫があがった。
堀の中から巨大な鳳凰が登場し、石屏風の左から右へと飛び去っていく。
堀の水面にも映り込んで、スケール感はさらに倍増。
思わず感嘆の声があがった。
NAKED 村松亮太郎が創りだしたこの作品は、参加型のアート・プロジェクトでもあるという。
自分の花だったり、好みの色だったり、名前のクレジットだったりを映像に取り込めたりもする。
AIが何たるか?デジタル・アートが何たるか?を、欠片も知らない僕が語る術もないが。
新しいアートのかたちは、日々進化していて、想像を超えた異なる次元へと向かっているのだろう。
最初は、どうせ大したことないだろうと思っていたけれど、結構楽しめました。
来月もやっているので、興味のあるひとは是非!
行かれる時間帯は、開演すぐの方が良いと思います。
自然光が僅かに残る宵闇の方が、デジタル投影される光が曖昧に和らぎ美しい。
また、観る位置は、作品によって最良の場所を確保した方が迫力ある映像が楽しめます。

ご参考まで。

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六百一〇話 琉球の花

市場の花屋で、変な実を見つけたので買ってみた。
意外と植物に詳しい嫁に訊く。
「何の実か知ってる?」
「これって、ゲットウじゃないかなぁ」
「月に桃で、月桃」
「わたしも初めて見たけど、花材としてこんなのがあるって聞いたような気がするけど」
言われたとおり “ 月桃 ” で検索してみた。
なるほどこれだわ。
熱帯から亜熱帯亜細亜に分布する生姜科の植物。
沖縄では生活に密着したハーブで、飲料用、食用、滋養保健、薬用として広く用いられている。
栽培されているのではなく、冬至の頃、野生の月桃を大量に収穫するらしい。
“ 月桃 ” という名は、台湾での漢名に由来する。
花の蕾が桃のような形をしていることから「月桃」と名づけられたようだ。

ほぉ〜、なかなか可憐な風情で野趣もある。
海辺の庭にも似合いそうで、欲しい。
調べてみると、自生の北限は、鹿児島県佐多岬とある。
まぁ、熱帯域 の植物だから仕方ないのだが、鉢植えは主義に反する。
地植えでなんとかしたい。
今までも、熱帯性の蘭から観葉植物までを外に放り出して飼い慣らしてきたんだから。
過去に、本州で地植えを試みたひとはいないのだろうか?
さらに、調べてみる。
すると、やはり変態的な園芸家はいるものだ。
横浜で、一〇数年にわたって月桃の地植えに取り組んでいるという方の blog を見つけた。
冬の霜や夏の日照りの対策が詳しく綴られている。
横浜で出来るのなら神戸でも大丈夫だろう。
やってみよう!
“ 月桃の花を眺めて、今年も梅雨の到来を知る ” なんて。

数年後には、琉球人を気取ってそんな戯言を言っているかもしれない。

 

 

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六百九話 結陽ちゃん

庭のジプシー 橋口陽平君は、東京の大学に通うまで鹿児島で産まれて育った薩摩隼人だ。
先日、娘の結陽(ムスヒ)ちゃんを授かったばかりで。
数日前に庭の剪定作業にやって来た際にも、嫌というほど画像を見せられる。
産まれて二ヵ月で、拡大契約した画像保存可能枚数がすでに限界に達しつつあるらしい。
めくってもめくっても結陽ちゃんしかいない。
「もう連写モードのレベルだな、いい加減整理すれば」
「整理って、消すっていうことですか?どれを?」
「知らないよ、そんなの」
「でも、奥さん似で文句なく可愛いいな」
「はぁ? 䕃山さんよく見てくださいよ、どっから眺めても俺に似てますよね」
「いや、間違いなく奥さん似で 、この娘も美人になるな」
「俺、一〇月に San Francisco の金門橋近くで石積みの仕事を二週間請け負ってるんですよね」
「行きゃぁいいだろう、たった二週間だろ?」
「その間どうしましょう?」
「だから、知らないって!」
このおとこ、当分の間、近場仕事だけにしてジプシー業を廃業するんだろうな。
その定住志向のジプシーが、家族で結陽ちゃんをお披露目にやって来た。
「どうですか?可愛いですよねぇ」
「どうですかって、散々画像見せられて知ってるよ」
「動くんですよ」
「いや、知ってるから、動画もいっぱい見たから」
抱いて上から眺めていると、確かにこの娘は可愛い、まぁ、こうなる気持ちもわからなくもない。
「鹿児島のお爺さんもさぞ喜んでおられるんじゃないの?」
「すぐ鹿児島からやって来て、大騒動ですよ」
「薩摩隼人は無口だって、あれ大嘘ですよ、ずっと結陽相手に喋りまくってましたから」
「あっ、そうそう、これその親父が育てた栗なんですけど、良かったら食べてみてください」
鹿児島は、栗の産地としてはあまり知られていない。
しかし、県境を接する熊本県山江村では、最高級の栗が採れる。
その昔、年貢米ならぬ年貢栗として納めていたほどだ。
同じ土壌、同じ風土の県境付近の鹿児島側でも栗を育てるひとは多いらしい。
“ やまえ栗 ” に劣らず “ 霧島栗 ” も上等な栗であることには変わりないだろう。
包みを開けて栗を手にとってみた。
鬼皮に艶があって、ふっくらと丸く、重い。
立派な栗だ。
さすがに蛙の親は蛙で、植物を育む才に長けておられるんだろう。
結陽ちゃんのお陰で、思わぬモノに出逢えた。
感謝です。

鹿児島のおとうさん、ありがとうございます、そして、改めましておめでとうございます。

 

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六百八話 神戸徘徊日和

二〇二二年九月一〇日、今年はこの日が一五夜となる。
海辺の家で、観月の宴会でもと思い声をかけたのだが、集まりが悪く中止。
仕方ないので、夫婦と友人ひとりを伴って街中をうろつくことにする。
旧神戸 UNION 教会堂を改築した “ Cafe FREUNDLIEB ” へ。
昼飯を sandwich で済ませ、北野町界隈の異人街に向かって歩く。
大学時代、嫁は市役所に雇われて観光客に異人館を案内するバイトをしていた。
その縁で、此処が遊び場となっていた時期がある。
震災後、雰囲気は随分と変わってしまったが、食と飲みでのこの街独特の流儀は消えてはいない。
幼馴染、先輩後輩、隣人とのローカルな関わりを立場、年齢、人種を超えて何より重んじる。
極めて排他的ではあるものの、住人にとってはそれが心地良いのだろう。
なので、どんな洒落た造りの店屋であっても、家にいるのとたいして変わらない格好で客は集う。
気取らず普段着で近場の店屋にやって来て。
居合せた顔見知りと毒にも薬にもならない話題で盛り上がって、たらふく食って飲んで帰って寝る。
まぁ、これが神戸人の目指す理想の暮らしぶりで、この実践に向けて日夜励んでいる。
「俺、産まれてこのかた頑張ったことないから」
ほんとは四苦八苦していても、この台詞だけは取り敢えず言っとかねば明日は来ない。
あれほどがめつい中国人でも印度人でも、二代三代とこの街に暮らし続ければただの腑抜けだ。
緩くて、阿呆で、したたかな港街。
Cafe FREUNDLIEB を後にして、途中、The Bake Boozys で翌昼飯用ミートパイを嫁が買うと言う。

ミートパイにとどまらずあれもこれもを鞄に詰めて歩くことに。
神戸ハリストス正教会脇の路地坂を登って、 神戸 Muslim Mosque までやってきた。
この日本最古のモスク周辺には、ハラル料理屋や食材店が並ぶ。
最近、そのモスク前でトルコ人がトルコ料理屋を始めたらしい。
“ KOBE SHAWARMA ” というテイクアウト中心の店屋だ。
日本語はほぼ通じない、英語で訊いてもかなりでたらめな説明が返ってくる。
面白いので、伝統菓子 “ バクラヴァ” を三個試しに買ってみた。
実は、帰って食ってみるとこれがかなり旨いのに驚く。
あちこち店屋を冷やかしながら時間を潰して、晩飯の時刻に。
今宵の晩飯は、“ 牛舌 ” 。
ICHIRO 選手も通う名店 “ 牛や たん平 ” で牛舌を堪能しようという趣向だ。

石焼、タンシチュウ、タン飯など、どうやっても旨いものは旨い!
潔く牛舌のみを一点狙いで味わうという暴挙は最高ですわぁ。
人気店故に次々に予約客が入ってくるので、長居せず店を出る。
どこかの BAR で一杯飲んで帰るか。
そういや、飯屋に向かう途中で、滅茶苦茶洒落た店屋を通りがかった。

看板も無い、何屋かも分からない、鉄の扉、青銅像の首には鎖が。
昼間より闇に浮かんだ今の方が、より怪しくて素晴らしい。
鉄扉を揺すってみるが、閉まっている。
すると、店前にいたバイクに跨ったお兄ちゃんが。
「そこ、八時からですよ」
「で、此処って、何屋? BARなん?」
「SM倶楽部ですけど」
「えっ? SM? マジでそうなの?」
「はい、マジです」
「 いやぁ〜、お兄さん助かったぁ、夫婦でSM倶楽部行くとこだったわ、ありがとね」
それにしても、その筋のひとのセンスってやっぱり凄いと感心した。
行かないけど。
おとなしく、時々行く “ BAR DYLAN ” で二杯ほど飲んで本日の散歩は終了。
時代が移り街場の景色は変われど、観光客には決して見せない顔が異人街には今も残っている。
こうして無事徘徊を終えて海辺の家に戻ってきた。

そして、夜中に見上げる一五夜の名月を撮ってみた。

 

 

 

 

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六百七話 海辺の御盆

新盆の関東は七月だが、旧盆の関西は今日が盆の入り。
迎え支度を終え、お膳を整えて、日暮刻を待って迎え火を炊く。
この国に継がれる大切な夏のしきたりだ。
それぞれの家に、それぞれの想い火が灯る。

おかえりなさい。

 

 

 

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六百六話 島の魚屋

海峡に浮かぶ島へ魚を買いに。
海辺の家からは、世界最長の吊橋 “ 明石海峡大橋 ” を渡って三〇分くらいで着く。
橋を渡り終えると、淡路島北端の街 “ 岩屋 ” 。
ここ数年、次々と巨大商業施設が建設され、全国から訪れる観光客 で賑わっている。
しかし、ここ岩屋港辺りは、すっかり時代に取り残され一時の栄えた面影はどこにもない。
かつて一番の繁華街だった岩屋商店街も昭和映画のセットみたいで、生気なくひとの姿もまばらだ。
その商店街からバイク一台通るのが精一杯の細い路地に入る。

その先に、目当ての “ 林屋 ” 鮮魚店があるはず。
友人からこの店屋を教わったのだが、その友人はどうやってこの隠れ家鮮魚店を知ったんだろう?
それほど見事に隠れているにも関わらず、店前には注文を待つ客が列をなして並ぶ。
周りに自販機ひとつない寂れた漁村にポツンと在る魚屋に客が寄るという謎。
客の注文を受け、数人の職人が丸魚を捌いて次々と渡していく。
立派な真鯛が横たわっている。
店主に訊く。
「鯛のカマわけてくれるかなぁ?」
「養殖モンのカマで良かったらその辺のやつ勝手に持って帰ってぇ」
「 いや、大将の手元にあるカマが欲しいんやけど、なんぼ?」
「 これは天然の上物やで!一八〇〇円、いや一五〇〇円でええわ」
側にいた嫁に。
「奥さん、湯に通して鱗立ててから取った方がええでぇ」
「・・・・・・・・・。」
「なぁ、ひとの言うてること聞いてる?」
「えっ?あぁ、そうなん」
まったく聞いてません。
そりゃぁ、そうだろう、海峡の対岸で生まれて育ったおんなに鯛の鱗の轢き方は言わない方が良い。
寄り道せず海辺の家に戻って、言われるまでもなく湯に通す。

酒、味醂 、醤油、砂糖を加え、牛蒡と煮ると “ 鯛の兜煮 ” の完成。

海峡の両岸で獲れる魚に差はない。
それでも、この鯛は間違いなく旨い。
わざわざ橋を渡るに見合う味だ。
やはり店屋の目利きによるものなのか?

島で一〇〇年を超えて鮮魚一筋に営んできたというのは伊達じゃないんだと想う。

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