三百八十八話 桂米朝が愛した水飴

親子で喉の調子が悪い。
親子してちょっとしたことを大袈裟に触れ回る癖があって。
母親などは、ちょっと喉がイガイガしただけで咽頭癌だとか言って騒ぐ。
正直とてもうざい。
当の息子は知らぬ振りを貫いているのだが。
親切な他人のなかには親身になって世話を焼いてくださる方もおられる。
そして、こんなものを届けて戴く。
わざわざ探し求めてのことだったらしい。
綺麗な化粧箱に納められた水飴である。
尼崎の名産なのだそうだ。
大阪の鼻先に所在する尼崎に、こんな名物があるなんて聞いたことがない。
そこで、口に入れる前にちょっと調べてみた。
“ 琴城ヒノデ阿免本舗 久保商店 ”
箱にも描かれている琴城とは、かつての尼崎城の別名である。
阿免を飴(アメ)と読んだ時代があった。
ふ〜ん、尼崎城も知らないし、阿免は基督教の祈祷絡みかと思ったけど。
違った。
創業は一八七八年というから明治十一年で、一三◯年以上は経つ。
老舗のようだが、肝心の中味はというと。
砂糖は一切仕込まずに、厳選した餠米を蒸して麦芽を加えて寝かせる。
さらに、その絞り汁を煮詰めて飴にするといったもので、丸三日を要するのだそうだ。
発酵具合や火加減といった差配は、すべて現当主の久保勝さんの勘頼みだという。
食べ方というか舐め方についても書かれてある。
阿免は水飴状で、箸に巻つけてすくい口に含ませる。
ここですぐに箸を引き抜いてはいけない。
三◯秒ほど間を置くと、巻きつけた水飴がきれいに口内に落ちる。
そうなったところで箸を引き抜く。
早くに引き抜くと、飴が箸についたまま糸を引きながら伸びていき、服についてえらい事になる。
当主からの忠告ではそうなっているらしい。
それにしても、水飴だけで一三◯年もの歳月を刻めるものだろうか?
どうやらその秘訣は、この阿免の効能にあるみたいである。
喉にもの凄く良いというのだ。
御贔屓筋もなるほどといった方々で。
漫才師、声優、アナウンサー、僧侶、神主、落語家、政治家など。
皆、声を商う稼業である。
この春旅立たれた上方落語界の恩人にして人間国宝の桂米朝さんもこよなく愛されたのだそうだ。
そういや尼崎にお住いだった。
米朝の十八番と言えば やっぱり“ 地獄八景亡者戯 ” だろうと思う。
通せば一時間余りという長丁場を演じ切らねばならない。
その苛酷な演目を、風貌そのままに下げまで端正に演じられていた。
“ 琴城ヒノデ阿免 ” はその一役を担っていたのかもしれない。
そう想えば、この水飴、なかなかに有難い銘菓である。
早速、帰ってひと舐めさせていただこう。

それにしても、近場にも未だ知らない名物というものがあるもんだ。

カテゴリー:   パーマリンク