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九十一話 役に立たない巴里散歩案内 其の弐 − BOBO −

九十話から続いて、Oberkampf 通りを左に折れる。 少し歩くと左側にどうってことのないカフェがある。 僕は、このカフェが気に入っている。 店内禁煙条例が可決されて以来、テラスの席しか居場所はない。 冬の朝は辛そうだが、ストーブとか用意されていて意外と快適に過ごせる。 そこへ、いつものオネェチャンがやってくる。 どうってことないカフェに、どうってことあるオネェチャン。 身長は僕より少し低いから一七八センチくらいか、抜群のフォルム。 アフリカ系の血が混ざっているのかエキゾチックに整っている。 ⎡ハル・ベリーじゃん⎦ このオネェチャン、いつも注文の品を運んでくるついでに煙草をくわえる。 そして、テーブルに腰を下ろして喋りかけてくる。 何処からかの移民なんだろう、英語は出来るが仏蘭西語は苦手らしい。 だから、皿洗いが主で、たまに英語が喋れそうな外国人の注文を取っている。 ⎡あんた、またこんなとこで何してんの?⎦ 君に会いにと言いたかったけど、本当のとこを伝える。 ⎡向かいの定食屋が開くのを待ってんだけど⎦ ⎡レオのとこ?あいつゲイじゃん。じゃぁ、あんたもそう?⎦ そういや、軽る~くそんな感じもしたけど。 ⎡俺は、今んとこ女好きだけどね⎦ ⎡ふ~ん、まぁ、人生いろいろあるからねぇ⎦ 嗤ってしまった、十八や十九の子に人生語られてもなぁ。 彼女、異国からモデルの職を求めて巴里にやって来た。 この街で皿を洗いながら、メゾンのオーディションに挑んでいる。 ⎡なれるよ。モデルでも女優にでも⎦ なんてたって、ハル・ベリーだから。 通りを渡って、ゲイの店に、いや、飯屋に行く。 ⎡ Le Zinz ⎦ レオナール・マキシム君の手に入れて間もない小さな店だ。 彼は、伝説の三ッ星レストラン⎡ L’Arpège ⎦で修行した。 天才アラン・パッサール氏の弟子である。 ミシュランに何の興味もないが、パッサールの鴨料理は絶品である。 値は張るけど。 やっぱり鴨だということで、Magret … 続きを読む

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九十話 役に立たない巴里散歩案内 其の壱 − 北ホテル −

全く役に立たない旅情報で恐縮ですが、三話ほど続けてご辛抱下さい。 では始めさせて戴きます。 ちょっとお願いがあるんですけど、いい加減に止めてもらえませんかねぇ。 再開発かなんか知りませんけど、巴里を小綺麗に掃除するのを。 Bertrand Delanoë さん。 巴里市長として、ゲイ・パレードを先導するのは結構ですけど。 此処だけは、なんとかこのままで残して下さいよ。 時差ボケで早朝目が覚めると必ず行く場所がある。 メトロの八番線に乗って République 駅で降りる。 移民労働者が行き交うこの界隈は、巴里北東部に残る。 この辺りで散髪屋に入ると、もれなくボブ・マーリーにしてくれる。 まぁ、髪の毛があればの話だが。 Temple通りを少し東に歩くと左手に淀んだ水溜りが見える。 ⎡ Canal Sain-Martin ⎦ Canal は運河の意味だからサン・マルタン運河となる。 セーヌ川のアナスナル港から、ラ・ヴィレット運河、ウルク運河へと続く。 この水溜り、とかく評判がよろしくない。 不衛生だの、浮浪者が居つくだの、景観が煤けているだのと云われる。 莫迦言ってんじゃない、それが厚化粧に隠された巴里の素顔だろうと思う。 運河に沿った Jammapes 通りを北に向かう。 時折、移動志向の住人や、精神を薄っら病んだ人に声をかけられる。 これも、巴里の下町では珍しいことではない。 通りに面した 102.quai de Jammapes 75010。 ⎡ HÔTEL DU … 続きを読む

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七十一話 ナポリ食堂

日本の皆さん、ボンジョ~ルノ。 “ Ma nun me lassà, Nun darme stu turmiento! ” 曇天に束の間に覗くナポリの晴れ間。 そして、Canzone が冬のナポリ湾に響く。 んでもって、彼方に望む島影が⎡淡路島⎦ ごめんなさい、此処は明石です。 一月十四日は、義父の祥月命日にあたる。 明石にある曹同宗の古刹に供養のため伺う。 生前、陽気なキャプテンだった義父に倣って下らない冗談をかましてみた。 よくしたもので、仏になって世話になるご住職もこれまた陽気な導師さまである。 有難い⎡南無釈迦牟尼仏⎦の教えをいただいた後の話。 ⎡あんたの冗談面白くないけど、ナポリ・ピザ喰いたいなぁ⎦ ⎡ CIRO 無理かなぁ? 食べたいけど今日も駄目かなぁ?⎦ しつこく嫁がせがむ。 ⎡じゃぁ、駄目もとで行ってみる?⎦ 波止場に面した旧いマンションの二階にイタリア料理店 ⎡ CHIRO ⎦ は在る。 およそ他所者が来る場所ではない。 が、今回で五回目になる。 前の四回は全て満席と断られた。 前日の電話予約も試みたが、これも駄目。 ⎡わたし車に居るから、あんた一人でGOしておいで⎦ 翻訳すると。 ⎡首輪外してあげるから、軽る〜く吠えといで。でも、噛みついたら駄目だよ。後が面倒だから⎦ … 続きを読む

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五十五話 Hannibal Lecter 博士の愛した香り

ずいぶんと前の話になるが。 久しぶりに出張から帰ってくると、いきなり言われた。 ⎡あんた、臭いよ。⎦ ⎡犬みたいな匂いするよ。⎦ ⎡えっ、マジで。⎦ ⎡出張中、喰ったものでかなぁ。⎦ そういや、人に言えないような妖しげなもん喰ったには喰った。 嫁は、犬並みに鼻が利く。 ⎡旦那が犬みたいな匂いで、嫁が犬みたいな鼻ならちょうどいいじゃん。⎦ ⎡くだらない事言ってないで、コロンでも買えばぁ?⎦ ⎡臭いのが気になるのは俺じゃなくて、あんたなんだからあんたが買えよ。⎦ ⎡うん、そうする。⎦ 前向きなのは、よほど我慢ならなかったんだろう。 以来、買い与えられたコロンをつけるように馴された。 香りを選ぶ時、昔から憧れていた香水屋を提案した。 正確に言えば、香水屋ではなく世界最古の薬局なのだが。 そして、憧れていたのは香りではなく、その系譜と薬屋の建物である。 イタリアの古都フィレンツェの街外れに、八百年前からそのままの姿で在る。 “ Santa Maria Novella ” カソリックでも最も古いドミニコ修道会の教義に基づいて処方される香り。 世に⎡香りの芸術⎦と称されるフレグランス。 顧客リストには、ナポレオンから露皇帝、印度のマハラジャまでが連なる。 顧客の筆頭は、十七世紀のリストに載る。 “ Lorenzo de’Medici ”メディチ家最盛期の当主である。 十八世紀、この薬局で処方された香水や薬品を東洋に伝えた。 Mediciは、薬・医療を意味する“ Medicine ”の語源ともいわれる。 二十数年前、ローマに住んでいた知人からの頼まれモノを買うため始めて訪れた。 確か皮膚炎の薬だったように思う。 扉を開けて、店内を見渡した。 大理石の床、天井のフレスコ画、重厚な薬棚、全てが十六世紀ルネッサンスそのもの。 ⎡これが、薬局?⎦ … 続きを読む

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四十五話 品川宿

ANSNAM の中野君に芝浦に呼び出された。 全く人使いの粗い野郎だ。 しかし、芝浦? 北品川で飯喰えるな、悪くないかも。 僕は、東京で好きな場所が幾つかある。 筆頭は、神楽坂。 此処、夏の暑い盛り、出来れば夕暮時に行ってご覧なさいよ。 お座敷前に、芸妓さんが銭湯から出て支度に向かう。 浴衣姿で、手拭を手に、うなじの汗を拭いながら下駄履きで歩く。 ゆらめく色香が漂う。 あ~、もう堪りませよ。 どうも、すいません。 眺めるだけですから。 そして、北品川。 こっちは、金筋の芸妓さんと違って、少しやんちゃなお姐さんがおられる。 ちょっと前の昼、行きつけの蕎麦屋が閉まっていて、一見で天麩羅屋に入った。 店は小さいながら、磨き上げた無節の木曽檜が台に据えられている。 代を継いだのか、若いのに、いかにも江戸前職人という風情の亭主に迎えられた。 カウンターに落着くと、隣には二十代のお姐さんが。 客は、お姐さんとふたり。 金髪、スッピン、ジャージ姿で、ビールを飲みながら天麩羅をつまんでいる。 亭主と喋っていると横合いから声を掛けられた。 ⎡ねぇ、お兄さん、関西の人?⎦ ⎡兄さんは外れだけど、関西の方は当ってるな。⎦ ⎡お姐さん、昼前からご機嫌だねぇ。⎦ ⎡野郎が浮気しやがってさぁ、昨日店引けてから飲みっぱなし。⎦ 陽の高いうちに聞く話でもなさそうだし、天麩羅屋で喋る話題とも思えない。 が、せっかくなので少し付き合うことにした。 案の定、大した話ではなかったが、お姐さんにとっては一大事なんだろう。 ⎡しかし、宵越しのヤケ酒で、締めに油もんって、姐さんもさすがに若いねぇ。⎦ ⎡あたし? 若いって? もうババァだよ。⎦ あんたが、婆なら、こっちはとうにあの世へ逝ってるよ。 こんな他愛無い痴話言も、焼け残った戦前の路地店で聞くと、それなりの情緒がある。 “ 品川の客ににんべんのあるとなし。” 人偏のあるのは⎡侍⎦、ないのは⎡寺⎦。 薩摩江戸藩邸の勤番武士と芝増上寺寺中の修行僧。 … 続きを読む

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十五話 ANSNAM

先月、製作を依頼しているmods coatを確認するため東京に向かった。 先は、ansnam。 少し前に、浅草から千駄ヶ谷に移転した。 アトリエに着いて、早速、縫製見本をみる。 極めて難しい仕様になっている。 完成を一〇〇とすると六〇くらいの状態か。 とても、不安になる。 このデザイナー、中野靖という、 彼の仕事の途中経過は、出来る限り見ない方が良い。 あまりの発想の奇天烈さに、常人には、先行きが霧がかかったように見えない。 軽く目眩がするが、とりあえず尋ねてみる。 ⎡中野君、これって、大丈夫?⎦ ⎡何がですか?全然、大丈夫ですよ。⎦ 手短かな返事が返ってくる。 どうやら、仕上がりを見通してるようだ。 極めて重要なアイテムだが、もう彼に任すしかない。 nakano world から抜け出て、駅へと向かう。 途中、正気を取り戻すためにも、珈琲を飲まなければ。 古いマンションの半地下に時々訪れる喫茶店がある。 Enseigne dangleという。 ここの雰囲気が大好きで、珈琲も素晴らしく旨い。 半地下故の日射しが僅かに届く薄暗い店内で、先程の一件を思い返してみる。 これから、あのコートはどうなっていくんだろう。 確か彼は、依頼した時言っていた。 ⎡今回は、ミニマルな気分なんですよね。⎦ あの複雑で難解な仕様のどこが、ミニマルでシンプルなんだろうか。 わからない。 しかし、いつも最後はきっちり仕上げてくる。 ひょっとしたら、これが凡才と才人の違いかも知れない。 試作品は、七月二十日から始めるホーム・ページのnewsでご覧いただけます。 掲載は、二十二日あたりになると思いますが。 千駄ヶ谷 屋号:Enseigne dangle

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十四話 LE HAVRE The Longest Day

夜中に、HONFLEURから、拠点となるLE HAVREに戻って来た。 明日はパリなので、慌ただしかった旅の最後の晩となる。 北の人間の土地という意味に由来するNORMANDY。 百年戦争以来、戦乱と災厄の地でもあった事を想う。 一九四四年 六月五日 二十一時十五分、ラジオからヴェルレーヌの⎡秋の歌⎦が流れる。 “身にしみて、ひたるように、うら悲し。” 第一節の後半部分である。 “Operation Overlord” 史上最大の作戦をレジスタンスに告げる暗号電文。 一番長い日は、翌六日に幕を開ける。 連合軍最高司令官、バーナード・モンゴメリー元帥は言った。 ⎡Atlantic Wall 大西洋の壁といわれる独国防要塞群の中で、 最強にして最悪は、LE HAVREだ。⎦ 上陸から三ヵ月後の九月十日、命令を下す。 LE HAVRE 奪還を目的としたOperation Astonia アストニア作戦は始まった。 容赦ない空爆と艦砲射撃に曝され、街は灰燼と化す。 民間の被害が、軍の被害を圧倒した戦となった。 戦争は、活劇ではない。 家族や住いを失った北の民、ノルマン人。 彼等が、上陸してきた解放者と称する加害者を、 旗を降って歓迎する姿など、僕には想像出来ない。 戦後、セーヌ右岸の港湾都市の再建が一人の建築家に託される。 オーギュスト・ペレ 近代建築の巨人である。 整然とキュービックが立ち並ぶ新生LE HAVRE。 二〇〇五年世界文化遺産に登録される。 宿の窓から、ペレの最高傑作といわれる教会を見上げる。 夕日に輝く、美しい墓標にも思える。

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