人は、普通に生きてきても、何がしかの荷を背負うようになる。
私にしても、そうだ。
例えば、会社、店、土地、家屋、そして庭も。
自身のそれぞれへの想いは別にして、その実態価値はというと。
世間的にも、自分的にも、たいしたものではない。
其のどってことのないものに、縛られる。
大人げないが、本当に馬鹿馬鹿しいと思う時がある。
しかし、投げ出す勇気も、きっかけもない。
欧州を旅すると、gypsyと呼ばれる人達を見かける。
十五世紀の仏では、bohemianともいわれた。
起源はよく分からないらしいが、彼ら自身は、自らを“ roma ”と称している。
数年前、南仏のカマルグ地方の村で、ロマの祭りに出会った。
ロマは、その血統に由来する超絶な音楽才能を持つ。
男達が奏でるギターの音色、踊り狂う女達、闇の中に漂う郷愁。
不思議な体験だった。
以来、私は、bohemianに対して奇妙な憧れを抱くようになる。
さまざまな弾圧、強制、差別の歴史の果てに彼等の今がある。
だが、彼らは、完全にではないが、圧倒的に自由だ。
移動型民族なので家はない、当たり前だが庭もない。
そんなbohemianが、もし庭を望んだら。
馬車の荷台に庭を造り、異郷を旅する姿を想像してみた。
The Bohemian Garden
この世に存在しない“ 動く庭 ”。
そして、裾にフリルを施したロング・ドレスを着て、薔薇を口にくわえて踊る嫁?
えっ、ちょっと違うか。