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六百四十五話 花終わり

梅はこぼれる、椿は落つ、牡丹はくずれる。 そして、桜は舞う。 この国では、花終わりを惜しんで愛でる感性を、古来より育んできたのだと想う。 海辺の庭に咲く姥桜。 風に吹かれ雨に打たれた翌朝、曇天に舞って散る。 今年の桜もそろそろ見納めかぁ。 桜は、やっぱり散り際が一番美しい。

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六百四十四話 Calla ?

九〇歳になられる友人の母親からなんか描いてと頼まれた。 「えぇ〜、なんかって何描くの?」 「これ!描ける?」 “ Calla ” の写真が携帯に送られてきた。 ちょうど都内の仏料理屋で昼食中だったらしい。 ちょうど目の前の食卓にたまたま生けてあったのが “ Calla ” だったようだ 。 そこそこ雑な注文だなぁと思いながらも。 「そりゃぁ、描けますよ、それなりの腕してんだから」 「号お幾ら?年金暮らしなんだから出来るだけお安くね」 都内の一等地で暮らし、昼から☆付の仏料理食ってる方の台詞とも思えない。 まぁでも、せっかくそう言っていただいたんだから描いてみることにする。 普段植物画を描く際は、実物を眺めて正確にそのかたちを映す。 だいたいが海辺の家の庭に咲く植物を描くのだが、あいにくと  “ Calla ” は植わっていない。 画像検索してみたところ、花の写真ばかりで葉形や根の形状がいまいち不明だ。 解説文に、葉は里芋に似ており、根は球根上部より張ると記されている。 よく解らんが、葉は里芋を参考にして、tulip 球根の上部から根を描いてみるかぁ。 おぉ、筆を進めると、なんか “ Calla ” な感じに仕上がってきた気がしなくもない。 気に入っていただけるかどうかは知らんけど、とりあえずこれで筆をおく。 お待たせしました。 “ Calla ” みたいな水彩画をお送りいたします。 おばさん、いつまでもお元気で! … 続きを読む

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六百四十三話 舞台 Odessa

今月の始め芝居を観にいく。 三谷幸喜作・演出 柿澤勇人 宮澤エマ 迫田孝也 出演。 “ Odessa ” 大阪公演初日。 中身もまったく知らず、ただ誘われるままに観た。 Odessa の地名から Ukraine 港湾都市のことで戦争に絡めた重たい話かと思ったけど違った。 そもそも舞台は、米国 Texas 州の Odessa という田舎町。 登場人物は、三人。 地元署の日系米国人女警官、鹿児島出身の殺人事件容疑者、偶然にも容疑者と同郷の通訳。 警官を宮澤エマさん、容疑者を迫田孝也さん、通役を柿澤勇人さんが演じている。 言語は、二つ。 日本語が解らない警官、英語が解らない容疑者、そして双方の言語が解る通訳。 真実は、一つ。 容疑者は、黒か?白か? 或いは、真実は白なんだけど実は黒? この後、福岡、宮城と公演は続くので、結末には触れないでおく。 舞台は、 Texas 州の幹線道路沿いにある diner 。 警官が、言葉の通じない容疑者を通訳を介しながら聴取していく。 その奇妙なやりとりが進む中、繰り広げられる三つ巴の心理戦を描く密室劇。 米国の Odessa と日本の鹿児島、Global だけど Local という設定がまた絶妙。 二つの言語と二つの文化が交錯する言葉の世界。 なにがどう面白いか? 伝えることが儘ならないけれど、確かに笑える。 膨大な台詞を巧みに回す三人の演者も凄いが、劇作家 三谷幸喜先生の着想も素晴らしい。 … 続きを読む

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六百四十二話 小正月

お飾りをはずして、菩提寺のお札を新しいのに取り替える。 一月一五日、小正月。 この日、小豆を粥や善哉にして食べる慣わしがあって、食べると一年を息災に過ごせるらしい。 小豆には、魔除けの力があり、鏡餅には神様の力が宿ると云われる。 そういえば、暮れに友人に貰った丹波篠山の小豆があったよなぁ。 享保十九年(一七三四年)創業の小田垣商店のありがたい丹波大納言小豆。 無病息災を祈願して、餅を炙り善哉にしていただく。 食べ終えた嫁が。 「わたし、風邪ひいたかも、ちょっと熱っぽいみたい」 ええっ!このタイミングでぇぇ!アカンやん!

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六百四十一話 奥能登

一五年前、嫁の誕生日に世話になった半島最先端で営む一軒宿。 奥能登 珠洲市三崎町。 作詞家の阿久悠先生は、この宿で名曲 “ 北の宿から ” を書きあげられた。 宿での噺を、今でもよく互いに口にする。 昨日、この地が災厄に見舞われた。 何事もなくとはもはや言えないけれど、どうかご無事で。  

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六百四十話 あけましておめでとうございます。

  二〇二四年辰年が明けました。 DRAGON YEAR です。 無事、暖かく穏やかな良いお正月を迎えることが叶いました。 窓から眺める海峡。 風もなく、波もたたず、磨いた鏡のように輝いています。 今年一年こうあって欲しいと想えるような朝です。 これから過ごす一年が、皆様にとっても良き年でありますように。    

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六百三十九話 本年の〆飯

年の瀬に従姉妹の息子が、やって来るという。 手首が、いまひとつ調子良くなかったので助かった。 迎春のしつらえと庭掃除などの作業を手伝ってもらう。 海辺の家の勝手は家人に次いでよく知っているので、あれこれ言わずともこなしていく。 お陰で早目に無事片付いた。 晩飯でも食うかぁ。 知合の猟師カーリマンが獲った猪肉を塩胡椒して焼肉に。 画家の女房が送ってくれた丹波産山芋は薯蕷ご飯に。 酒は、Bordeaux の銘酒 Chateau Lagrage Saint – Julien 。 素朴だが、妙に贅沢な食卓になった。 図らずも、すべて貰いもの。 この酒も、そうだ。 一〇年近く大学に居座り続け晴れて博士になった従姉妹の息子が、初給料で買ってくれた。 本年の〆飯として、言うことなし! ありがとうございました。皆様、良いお年をお迎えください。              

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六百三十八話 背徳の Stollen !

独仏国境の Alsace 地方にもBerawecka という干果物と木の実を使った似たような菓子がある。 Bera (梨)のパンとして古くから伝わるが、風味という点では、 Stollen には敵わない。 しかし、この Stollen も、その昔は、宗教上の供物で、たいして旨いものではなかったらしい。 変わったのは、バターを使うことが法王に赦された一四世紀以降。 今では、どんどん洗練されて、この季節の代表的な菓子として世界中で愛されるようになった。 そういった意味では、バターを使わない Berawecka の方が、原型に近いのかもしれない。 Stollen は、Christmas の四週間ほど前から一切れづつ食べていく。 聖夜へのカウントダウン的発想なのだろう。 だが、僕は、仏教徒なので、そんな悠長な食い方はしない。 毎年いろんな Stollen をかき集めて、好きな時に好きなだけ食べる。 ただ、買い求める場所によってその味が大きく異なる。 一番気になるのは、食感だ。 パン屋のは、パサパサして乾いた食感であることが多い。 元々の成立ちからすると良いのかもしれないが、菓子としての背徳感に乏しい。 そんな際には、これをぶっかけて甘くしっとりさせる。 伊の伝統的混成酒 “ Sambuca ” ラム酒でも良いのだけどアニス特有の香りが Stollen にはより合うように思う。 パン屋とは逆にケーキ屋のは、しっとりと甘く干果物を漬けたラム酒もよく香る。 だが、残念なことに宗教上の供物であった Stollen の禁欲的な感じが全くしない。 これでは、ただのドライフルーツ・ケーキだ。 パン屋とケーキ屋、帯に短し襷に長しで、なかなかいい塩梅だねとはならない。 … 続きを読む

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六百三十七話 魔除け?

海辺の家の裏手で生まれて、今は丹波篠山の山里に暮らすおとこがいる。 おとこは猟師で、猪や鹿や熊など獣を獲るのが稼業だ。 若いが、猟師としての腕は良いらしい。 仲間内での呼び名は、カーリマン。 優れた体幹を備え、見た目も良く、講演などもこなす口も達者だ。 数年前にちょっとした縁で知りあった。 お陰で、海辺の食卓に山の幸が加わるようになる。 この鹿肉のソーセージをはじめ、春先の脂が少ない猪肉は炭火で焼いて焼肉に。 熊肉はそぼろにして丼物でと野趣な彩りを食卓に添えてくれる。 ある時、カーリマンから狩猟法について教えてもらう。 「食肉として用いるものは、全て罠猟と決めているんです」 「でないと、血が巡ってしまって臭みが残り旨くないんで」 「ってか、食肉以外で獲ることあるの?」 「そりゃぁ、頼まれれば駆除とかで、その際は銃で撃ちますけど」 「その後の毛皮と骨は、こんな風にして残します」 鹿と思われる数枚の毛皮と白い頭蓋を見せられた。 「ヘェ〜、綺麗なもんだねぇ、欲しいかも」 「マジですか、じゃぁ、今度、骨を傷つけず一発で仕留めてきますよ」 一年後、届いたのがこれ。 眉間中央に一発の銃痕、歯の一本も欠けていない完璧な鹿の頭蓋。 凄腕の成せる仕業で、仕上げも完全オーガニックなのだそうだ。 早速、海辺の家の壁に飾ってみる。 欧州では、鹿は崇拝の対象、神の化身、英雄的な探求の象徴として館に飾る習わしがある。 逆に、風水では、骨は死の象徴として嫌われるらしい。 まぁ、どっちも信じてないから問題ないけど。 丁度、隣家に暮らす嫁の幼馴染が、スワッグをクリスマス用に創って持ってきてくれた。 彼女は、人気のフローリストとして活躍している。 で、合体させたのが、これ。 これで、良いクリスマスになります。感謝!        

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六百三十六話 ゴジラ ー1.0

十一月十一日の夜。 骨の折れた右手を抱かえながら late-night screening の IMAX で観た。 “ ゴジラ -1.0 ” 内容は明かせないが、作品の素晴らしい仕上がりに魅せられました。 思えば、劇場で初めてゴジラを観たのは一九六四年の春だった。 “ モスラ対ゴジラ ” ゴジラを世に送り出した本多猪四郎監督と円谷英二特技監督が手を組んで制作された第四作。 以来、ゴジラは幼少期の記憶のど真ん中に居座り続けることになる。 昭和の時代、東宝ゴジラに続け!との大号令のなか他にも怪獣映画が制作された。 大映は “ 大怪獣ガメラ ” 、日活は “ 大巨獣ガッパ ” など。 父親は、当時活動屋として日活に在職していたのでガッパ制作側だった。 円谷監督の片腕だった渡辺明を特技監督として招聘し挑んだ日活唯一の怪獣映画。 封切初日、父親の冴えない顔を今でも憶えている。 「怪獣とか慣れへんことやるもんやないなぁ」とか言って、持帰ったポスターを眺めていた。 ガッパに限らず、過ぎゆく時代の中で他の怪獣達も産まれては消えていく。 だが、ゴジラだけは違った。 興行収益の紆余曲折はあったにせよ、昭和・平成・令和と生き抜いて今も銀幕に堂々と立つ。 いったいゴジラとは何者なのか? その答えのひとつが、作曲家 伊福部 昭先生によって創造されたあの鳴声にあるのだと思う。 ゴジラの鳴声は、一九五四年の初回作から大きくは変わっていない。 … 続きを読む

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