三十一話 忘れられた “ CHESTER COAT ”

ANSNAM の Chester Coat が納品された。
早速、荷を解く。
発注した数に、一着足りない。
嫌な予感がして、サイズを確認する。
やっぱり、俺の分だ。
楽しみに待っていたのに、あの野郎がぁ。
⎡何の嫌がらせなんだぁ。俺のコートどうしてくれるんだ?⎦と、電話する。
⎡え~。あれ蔭山さんのですか?⎦デザイナー中野靖君が答える。
君、それすらも忘れてたの?
天は、二物を与えず。
彼の脳細胞は、服を創造する事に大半が動員されているらしい。
ひょっとしたら、全部かも。
その成果が、このコート。
僕は、全ての服種の中で、最も難しいアイテムは、チェスター・コートだと思っている。
長尺で簡素な外観を特徴としている。
誤摩化しが通じず、腕の善し悪しが如実にでる。
通常は、カシミヤなど柔らかな素材を使い、プレス・ワークで型を最終補正する。
そこで、この男は、ロクでもない事を考える。
力織機で織られた高密度の綿布で作ると言う。
プレス・ワークでという逃げ道は無い。
いくら手縫いとはいえ、難しいだろう。
しかし、トレンチ・コートのように、くたびれていくチェスター・コート。
粋な思いつきである。
この Chester Coat は、どうしても欲しい。

てな事を、
言いましたよねぇ?
言ったよなぁ?
言ったんだよ。俺は。

で、肝心な事訊くけど、
作れるんですよねぇ?
作れるんだよなぁ?
作るんだよ。俺に。

九月の中頃までには何とかなるそうだ。

ごめんね。
忙しいのに。

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