四百十三話 焼芋釜

ひとは、能力を超えて忙しいと敢えて不合理な行為をしてみたくなるものかもしれない。
北摂に在る母宅を整理していると、茶釜のような陶器が出てきた。
収められていた箱には、取扱い説明書が入れられていて読むと。
芋を焼く釜らしい。
芋を焼くだけで他にはなににも使えない代物だという。
まったくなんでこんなものを買って、使いもせずに何十年もの年月後生大事に抱かえているのか?
昭和一桁世代である親の考えることは解せない。
捨ててやろうかとも思ったが、焼芋と聞いてふと思い出した。
秋暮れの海辺の家で。
庭の落葉を熊手で寄せて火を焚き、そこへ芋を仕込んで焼いていた義父の姿が浮かぶ。
義父が拵えたもので、僕が口にした唯一の喰いものがこの焼芋だった。
焼芋かぁ。
今では、庭で焚火などすると消防署が飛んできて始末書ものである。
ならば、この焼芋釜なるもので海辺の家の伝統料理を再現してみるか。
そんな暇はどこにもないんだけど、どうしてもやってみたくなる。
そこで、いま一度説明書に目を通す。
底の金具に芋を置き、水も入れず四◯分から五◯分空で焚き続けるのだそうだ。
そうするととても旨い焼芋が出来るのだと記されてある。
電子レンジとオーブン・トースターで五分もあれば出来るという嫁の助言にも耳を傾けず。
やってみた。
ところが、これがうまくいかない。
ガス焜炉を強火にして焚くのだが、暫くするとピコピコ鳴って弱火になる。
嫁に。
「なぁ、このガス焜炉壊れてんだけど」
「なにやってんの!壊れてんのはアンタの頭でしょ!」
「焜炉で空焚きしたら安全装置が作動して鳴るにきまってんじゃん」
「マジかぁ?」
「忙しい最中に家燃やさないでよ!」
もっともな御意見を戴いたのだが、ここで止めるのも癪だ。
壊れた頭で考えついたのが、四つある焚口を時計周りに順に使用するという方策。
ピコピコ鳴ったら次の焚口へ、この柔軟かつ画期的なやり方は効を奏する。
一巡したところでただの芋が焼芋という立派な料理へ。
ただの芋とは言っても、薩摩芋は “ 安納芋 ” ジャガ芋は “ きたあかり”  一応こだわってみた。
蓋を開けてみる。
良い!実に良い!
芋の皮が香ばしく良い具合に焦げていて、なによりも焼芋の焼芋たる匂いが漂う。
昔、街を巡っていた焼芋屋が振りまいていたあの説得力に満ちた焼芋の匂いそのものである。
この出来が腕前に依るのか?焼芋釜に依るものなのか?それは定かではないが見事という他ない。
おそらくは、義父の焼芋なんぞは足元にも及ばないだろう。
焼芋を割ってみる。
湯気が立ち上って、匂いは香ばしさを増す。
串を刺して様子を穿ってはいたが、予想以上のホクホク加減でもうこれ以上は望めない。
バターを置いて溶かし塩を振って焼けた皮ごと喰った。
まぁ、我が腕か?焼芋釜か?どちらかだろうけれど念のために訊いてみた。
「この焼芋、なんでこんなに旨いんだろう?」
フーフーしながら喰っていた嫁が。
「やっぱり、芋はブランド品だね」

そうじゃないだろう!

 

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