六百十八話 初 “ 恵方巻 ”

二〇二三年二月三日。
今日は、節分。
毎年、豆撒きはするが他のことはしない。
のだけれど、今年は初めて恵方巻なるものを食ってみようかと思う。
先日、店屋物を頼んでいる近所の蕎麦屋の亭主が、丼鉢を下げにやってきた。
この亭主、もうずいぶんの歳なのだけれど労を惜しまない働き者で通っている。
麺は手打ちで、丼物も旨い。
そのうえ、釣ってきた鯛やら、茹でた筍を持ってきてくれたりもする。
鯛や筍は、商売ものではないので銭は受け取らない。
僕は、この亭主が商いをやめると言いだすのが怖くてしょうがないのだ。
ほんとうに困ってしまう。
コロナ禍で休業を迫られた時や、値上げを余儀なくされた時も、詫びの品を持ってやって来る。
「ごめんなぁ、ごめんなぁ、堪忍やでぇ」
商人の鏡のような亭主で、心底立派だと想ってもいる。
そんな亭主が言う。
「あんなぁ、今度節分の日になぁ、上巻つくろう思てんねんけど、いる?」
「恵方巻食うって、やったことないけど、せっかくだから注文させてもらうわ」
恵方巻かぁ。
節分の日、どこぞの旦那が、大阪新町で芸妓衆相手に披露した座興だろ。
船場の馬鹿旦那が考えそうなくだらない座興に付合う気もおこらなかったのだが。
この亭主に言われたら、曲げてやってみるかとなる。
日が暮れて。
玄関、勝手口、東側出入口と順に、“ 福は内、鬼は外 ” とやり終えて、いよいよ人生初の試み。

七福神にあやかって七種類の具が巻かれた “ 恵方巻 ” を南南東を向いて黙って食べる。
普通に旨いけど、なんかこういまいち冴えない儀式だ。

とりあえず、今年一年災いなく無事過ごせますように。

 

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