四百六十四話 洗うだけで増える?

用事は江ノ電鎌倉駅近くにあったのだが。
久しぶりだったのでひとつ手前の北鎌倉駅で降りて歩くことにする。
ここ北鎌倉を愛した映画人は多い。
松竹が、撮影所をそれまであった蒲田から大船に移した頃からだろうか。
木下恵介監督・小津安治郎監督・小林正樹監督など往年の巨匠から山田洋次監督まで。
皆さん、松竹組である。
松竹大船撮影所も今はもうなくなってしまったが、 その頃の風情はこの街から消えてはいない。
それは、昭和のインテリ達が好んだ雰囲気で。
激することなく淡々と風潮に抗って暮らす様が、まだこの家並みには窺えるように想う。
風情は申し分ないのだけれど、それにしても蒸して暑い。
北鎌倉在住の知合いによると。
湿気だけは何年暮らしても慣れるものではないのだそうだ。
切り通しの肌もじっとりと濡れている。
線路脇の看板に「銭洗い弁天まで二〇分」とある。
弁財天は水神で、弁財天の水で銭を洗うと浄めた銭が何倍にもなる。
こういった民間信仰は各地にあるが、鎌倉にもあるらしい。
洗うだけで銭が増えるという魅力的で手間いらずの御利益に是非とも与かりたい!
嫁に訊く。
「遠回りになるけど、洗う?」
「 うん、洗う」
鎌倉に建ち並ぶ数々の古刹名刹を素通りしてきた挙句に夫婦が口にしたのは。
お参りしようでもなく、手を合わせようでもなく、拝もうでもなく。
「洗う」の一言で、 もうお金頂戴と言っているに等しい。
が、欲に駆られた人間に待っているのは御利益ではなくお仕置きというのが相場だ。
銭洗い弁天までの道のりは、平坦ではなく山道で途中崩れて足場の悪いところも。
そもそも参道ではなく、葛原ヶ岡ハイキングコースと記されている。
のこのこ革靴で出掛けるような道筋ではない。
気温は三四度を超えていて。
湿度は MAX に達して。
頭から水を浴びたような姿で、服は何色だったか分からないほどに変わってしまっていて。
仲良く銭を洗おうとか言っていた夫婦仲も険悪に。
「これいつ着くの?もう遠に二〇分経ったよねぇ?さっきの看板嘘じゃん!」
「知らねぇよ!」
「ねぇ、ちょっとぉ!側に寄んないでよ!気持悪いんだからぁ!離れなさいってぇ!」
「なんで、そうやってオッサンは馬鹿みたいに汗かくのかなぁ?どっか悪いんじゃないのぉ?」
正直、銭を洗うよりも身体を洗いたい有様だ。
ようやく看板が約束した所要時間の倍くらい経った頃。
山道右手に「銭洗弁財天宇賀福神社」と赤く染め抜かれた幟が見えた。
社はどこにも見えず、どうやら岩をくり貫いた洞窟の先にあるらしい。
薄暗い洞窟を抜けると小さな社が建っていて、社奥にまた洞窟が見える。
そこに湧出す水で銭を洗うと増えるという仕組みなのだ。
手違いのないようにと説明書きを読んでいる嫁の手元を見ると。
その手にはしっかりと福澤諭吉が握られている。
「えっ?ふつう硬貨を洗うんじゃないの?」
「はぁ?百円洗って一〇倍になっても千円だよねぇ」
「汗水垂らして、元手引いたら九百円って納得いかなくない?」
「汗水って?あんた、もう完全にガチの顔つきだし」
果たして洗うだけで増えるという信仰は報われるのか?
その後、嫁の財布が膨らんだという報告は未だ受けていない。

まぁ、膨らんでいたとしても僕には言わないだろうけど。

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