二百二十話 あなたへ

“ あなたへ ”
⎡あなたへって、このおっさん、遂に暑さで頭でもおかしなったんとちゃうか?⎦
確かに頭はおかしいけど、違いますよ。
邦画の題名です。
高倉健さんの二〇五本目となる主演で、約一年前の二〇一二年八月二十五日に封切られた作品。
巨匠降旗康男監督とは、二十作品目となる。
高倉健さんには、ほんとに申訳ありませんが、僕は、この作品を劇場で観ていません。
この歳になると、妻に先立たれた夫的な話は、感動より恐怖が勝って楽しめないんです。
爺が逝って婆が元気ってのはよく聞くけど、婆が逝って爺が元気なんて聞いたことないでしょ?
だから、駄目なんですって、この手の話は。
歳頃のおっさんには。
その怖い “ あなたへ ” が、先日の日曜日にテレビで放映されていた。
観てはいけないと思いつつ、つい観てしまった。
案の定ちょっと辛いところもあったけど、意外と淡々としていてカラッと仕上げられた作品だった。
富山から亡き妻の故郷長崎の平戸へ。
これは、鉄壁の配役を布陣して描き出した、とても良質なロード・ムービーなんだろうと思う。
それに、何と言っても高倉健さん。
ワンシーン、ワンシーンが、肖像画の如く絵になる。
八十歳を越えられて、老優の域に入られても、いささかもお変わりにならない。
背筋をスッと伸ばして静かに立つ姿は、日本映画界の象徴そのものといった感がある。
本作では、高倉健さんの脇を 、実力派や異色の役者さん達が見事に務められている。
田中裕子、ビートたけし、佐藤浩市、長塚京三、原田美枝子、浅野忠信、余貴美子、綾瀬はるか、
三浦貴大、草薙剛に加え、復帰された岡村隆さんの姿も。
そして、忘れてはならない名優中の名優が、大切なシーンの撮影に挑まれている。
平戸の海へ、散骨に向かう主人公を案内する年老いた漁師の役。
演じられたのは、八七歳になられた大滝秀治さん。
散骨を無事に終え港に戻って、主人公役の高倉健さんに向かっての台詞。
⎡久しぶりに、きれいな海ば見た⎦
なんてことない台詞が、至宝の名脇役と称えられた役者の最後の台詞となった。
なんてことないはずの台詞が、沁み入るように響く。
僕は、渥美清さんと、高倉健さんは、泣かない俳優さんだと思っていた。
その高倉健さんの目に涙が滲む。
勝手な想像で怒られるかもしれないけど、この涙、芝居じゃなかったんじゃないかなぁ。
これは、もう、邦画史に残る名シーンですよ。
日本映画界をその肩に背負ってこられたふたりの老優の肖像。
劇場で観なかったことを悔いる名作です。
大滝秀治さん、心よりご冥福をお祈りいたします。

高倉健さん、その折は、ありがとうございました。
今でも、これからも、本職の励みとしてまいります。
そして、あと一本、なんとかあと一本、何卒宜しくお願いいたします。

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