五百六十四話 禁断のピザ釜

穏な潮が流れる坂越湾に、生島樹林に囲まれた千種川から清流が流れこむ。
湾では、良質の植物性プランクトンが育ち、最高の牡蠣が産まれる。
ぷっくりと大きな身に独特の磯の香りが漂う坂越の牡蠣は、唯一無二の逸品。
生で食べても文句なく旨いのだけれど、さらに高みをめざす術を最近知った。
坂越牡蠣を ピザ用の薪窯で焼く。
これはもう、 悪魔の所業並みに旨い。
火を通すことで凝縮され、ただでさえ濃厚な旨味がさらに増す。
ガス火でも、炭火でもなく、ここはやはりピザ釜の薪火でなければいけない。
唐突に閃く。
そうだ、海辺の家にピザ釜が欲しい!
これがあれば、コロナ禍での家飯のテンションは爆上がり間違いなし。
なのだが、ある先輩の忠告を思い出した。
先輩によると、還暦を過ぎたおっさんには、買ってはならないものがあるのだそうだ。
珈琲の焙煎機、蕎麦の捏鉢、燻製機、そしてピザ釜。
「このうちのひとつでも手にしたら、偏屈な老人の道まっしぐらで、そのまま終わるぞ」
「おんなにドン引きされて、悪くすりゃあ別れることにもなるわなぁ」
「えっ!嘘でしょ? 俺、全部欲しいんですけど」
「 オメェ、ヤベェなぁ、完全にクズじゃん」
そう言った先輩は、蕎麦の捏鉢以外の三つを持っている。
そして、離婚経験ありの筋金入りのクズだ。
さらに、クズのまま人生を終えようとしている。
オリーブオイルをかけ檸檬を搾ったピザ釜で焼かれた坂越牡蠣。
食いながら思案した。

それでも買うべきか? それとも買わざるべきか?

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