五百六十三話 撤収! 

 

感染急増により緊急事態宣言を発出。
予定していた二〇二一年の新年会は、中止。
二〇二〇年の忘年会もゼロ、二〇二一年の新年会もゼロ。
な〜んも、なし!
ふたりっきりの海辺の家で、嫁が。
「あぁ、やめやめ!気取った料理なんて作ってもしょうがないわ!」
「今日は、鯖サンドに 、ジンのソーダ割り山椒葉添えで良いよね」
「俺もそっちの方が旨そうな気するな」
もはや、飯というよりやけ酒だな。

よって、とっておきの七福神の盃も、揃って撤収 !

 

 

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五百六十二話 日本最古の天然岩海苔

数年前にも投稿したような気もするけど、雑煮の話です。

一八歳の頃、義母にこれが我家の雑煮だと言われ、初めて口にした。
黒塗碗の蓋を開けて驚く。
「なんすっか?これ?」
「真っ黒なんだけど、これって食えるんですか?」
「出雲の雑煮よ」
「まじっすか!正月からやばそうなもん食うんですね」
「でもね、見かけはこんな感じなんだけど、ほんとはこうじゃないのよ」
出雲の旧家である神門家に継がれた雑煮は、こうして作る。
日本酒に大量の鰹節を入れて出汁をとり、その出汁と同量の醤油と味醂を混ぜて火にかける。
最後に砂糖で味を整え、湯がいた餅に鰹節と岩海苔をのせたものに注ぐ。
出雲で産れ育った義母が、残念そうにこうじゃないと言ったのは岩海苔の事だった。
ほんとうは、出雲でしか採れない岩海苔を用いるべきなのだが手に入らない。
なので。他所の岩海苔を代用しているらしい。
以降ずっと代用海苔で年明けを迎えてきた義母が、八〇歳を超えた頃だった。
たいした孝行もせずにきたので、ここはひとつ本物を食わしてやりたいと岩海苔探索を思い立つ。
義母に尋ねても、海苔の名称は忘れてしまっていた。
その正体が、“ 十六島海苔 ” と呼ばれる希少な海苔であると知るのにもそうとうの手間がかかった。
“ ウップルイノリ ” は、島根半島先端にある十六島の岩場でしか採れない。
天然のはぎ海苔で、極寒期に一度、荒波のなか命綱を装着して行う危険な漁だという。
漁師は、平均年齢八〇歳の女性達で 、今では二〇人ほどしかいない。
この風土記にも登場する日本最古の岩海苔は、採取量は僅かで、入手が難しく、驚くほど値も高い。
訳を知ると、義母の手に入らなかったのも頷ける。
いろいろと探して、出雲市内で日露戦争の頃より煙草や塩や乾物を商ってきた店屋に行きあたる。
“ 松ヶ枝屋 ”
一廉の店主で、義母が亡くなった際には丁重なお悔みの書状に仏前の品を添えて届けてくださった。
以来、餅や鰹節や削機の刃の修理まで毎年お世話になっている。
最初のこの時も、義母の事情を汲んで 希少な海苔を暮れに間に合わせて送っていただいた。
こうして、半世紀の刻を経て、義母はほんものの雑煮を口にした。
「長生きもしてみるもんだわ、まさか逝く前にこれを口にできるなんて」
雑煮を食うと、今でもその滅茶苦茶喜んでくれた顔を想い出す。
そして、義母が亡くなって問題が発生する。
「あれぇ?なんかちょっと違うような気がするんだけど」
「気がするって、これ違うだろう!」
「餅も、鰹節も、海苔も、酒も、全部同じで、なんでできないんだよ!」
「えっ、わたしのせいだって言いたいわけ?」
「そう責める勇気はないけど、多分そうなんだろう」
「はぁ? なんか感じ悪いわぁ!」
今年も試行錯誤が続くものだと覚悟していたのだが。
反省の二文字を遥か昔に便所へ流した嫁は、失敗からはなにも学ばない。
失敗は自らが失敗だと認識してこそ失敗だから、基本人生において失敗は存在しない。
が、自分になければ、持っている奴を襲って調達するのは得意だ。
農耕民族には考えられない非日本人的で悪魔的な狩猟能力に優れている。
「へっへぇ、今年は、間違いのない雑煮が我家に降臨するかもよ」
年が明けた正月の昼過ぎに動き出した。
「明けおめぇぇ、あのさぁ、ちょっと神門の雑煮の作り方教えてくんないかなぁ?」
相手は、レシピを送るとかなんとか言ってるみたいだ。
「っうか、あんた、毎年つくってるよねぇ、味比べしよっかぁ」
いやいや、向こうは作ってるかもしれないが、こっちは作ってないし。
「マジでぇ、でも昼酒飲むからわたしは駅までいけないよ、家に来れば」
どうやら、家に持ってきてくれるような話で落ち着いたみたいだ。
訊くと、相手は、現神門家の当主である従弟だ。
「よし!釣れた!」
「やめろよ、正月早々、Uber Eats じゃないんだから」
「なんでよ? 顔も見たいし、そういう細かいこと気にする癖、今年は治した方がいいよ」
二日の晩に、武道家でもある羆のようにおおきい従弟が、出汁を手にやって来てくれた。
翌日。
「これだわ!」
「そうそう、これこれ、さすが当主自らの雑煮は違うわ!」
「やったね!来年からこの手でいこう!」

えっ!あんた、来年も同じ手使うつもりかよ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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五百六十一話 今年こそ

明けましておめでとうございます。
厳しい状況で、新年を迎えることになってしまいましたが、今年こそは良い年となりますように。

皆さまが、息災であられますよう心から願っております。

 

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五百六十話 おんな蕎麦打職人

この港街に、これといった不満はないけれど。
ただひとつあるとしたら、旨い蕎麦屋が少ないということかもしれない。
数年前、立喰蕎麦でもなんでもとにかく蕎麦が食いたくなって、暖簾をくぐった。
開店して間もない様子で、およそ旨い蕎麦を食わせるような外観でもない店屋。
手打ちと揚げられているが、なんの期待もせずにいた。
客の姿はなく、Café 風の店内には、愛想のなさそうな店主がひとり。
おんなだ!
おんなの蕎麦打職人?
田舎の産地では、縁側で婆婆が蕎麦を打つ姿は普通に見かける。
なので、おんなだからどうだという話ではない。
問題は、蕎麦という食物とこのおねえちゃんの印象があまりにもかけ離れている。
綺麗な顔立ちで、すらっと背が高く、しっくりくるとしたら高級 boutique あたりだろう。
正直なところ、これはしくじったと思った。
「天麩羅蕎麦ください」
「はい」
愛想がないというか、素っ気無いクールな応対は、見た目どおりだ。
しばらくして、台に注文した蕎麦が置かれた。
若い時分から全国の産地で蕎麦を食べ歩いてきたので、良い蕎麦か否かは見ればおおよそ分かる。
色は、更科ほど白くなく薄らとした灰色で、切りは細く角が立ち、程よくシメられている。
なんだこれ!めちゃくちゃ旨そうだわ!
塩を振って口に運ぶ。
言葉で表すのがなかなかに難しい。
更科の洗練された粋と蕎麦産地の土臭い風味が絶妙な塩梅で合わさったような不思議な蕎麦だ。
旨い!
「これなに?おいしいわぁ!」
「ありがとうございます」
「九・一なんですけど」
蕎麦粉九割・割粉1割の九一蕎麦らしい。
「また難しいことを、あんた何者?」
「堂賀の亡くなった先代が師匠で、此処で始めることにしました」
伺ったことはないが、名店 “ 堂賀 ” の名はもちろん知っている。
凛とした口調で不要なことを言わない。
この蕎麦も同じだ。
余計な無駄をせず、正確で丁寧で簡素で旨い。
後日知ったことだが、店主の東野朋江さんは福井で産まれ育ったと聞いた。
ちいさい頃から越前蕎麦に慣れ親しんできたのだそうだ。
僕の変態的蕎麦好きも福井から始まった。
機屋の社長に連れられて行った一軒の蕎麦屋。
長屋で老夫婦が営む蕎麦屋で、前日に電話をしておくと婆さんが蕎麦を打って待っていてくれる。
おろした大根をのせて出汁をかけて食うという越前蕎麦で、その味は今でも忘れられない。
食いものには、出自が関わるものだと思っている。
東野朋江さんの打つ蕎麦には、どこか産地の素朴さが漂う。
粋な九一蕎麦に土の匂いが漂う稀有な一皿だと思った。
そんな東野朋江さんが営む  “ 堂源 ” も、今では紛れもない名店として知られるようになっている。
年の暮れに、“ 堂源 ” で一盛りの蕎麦を。

散々な一年だったけど、これで幾分良い年が越せそうだわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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五百五十九話 地味に聖夜を

行動自粛要請下の二〇二〇年十二月二四日。
ふたりっきりの “ Christmas Eve ” を海辺の家で過ごす羽目に。
まぁ、しょうがないわなぁ。
誰も来ないんだから、飾りつけも適当に安上がりに済まそうとなる。

UNDERCOVERの服に付いてた値札を貼り付けてそれらしくした嫁自前の “ Christmas Wreath ” 。

Florist として活躍しているお隣の幼馴染を煽てせしめた “ Swag ”

そして、嫁作成の “ Flower Arrangement ” の真ん中に蝋燭をブッ立ててやった。

なんか花屋の店先のような感じではあるものの、それはそれなりで悪くないような。
長年 Fashion 稼業に就いているとあざとい技も知恵も身につくもんだ。
還暦を過ぎて、ふたりっきりで過ごす聖夜。
なんだぁ、これ!

さっぱり盛りあがらんわぁ!

 

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五百五十八話 阿吽画

嫁が、玄関の収納扉が使いにくいからと建具屋を呼んだ。
片開きの扉を両開きに変更するらしい。
作って一年も経たない片開きの扉は、嫁の一言で廃棄。
新たな観音開きの扉を製作することに。
ついでに、玄関がもう少し明るくなるよう扉に何んか描いてくれと言う。
もちろん建具屋は絵なんて描かないから、僕が描くしかない。
玄関に描くにふさわしい題材は?
そこで、寺や神社の入口に必ずいる仁王像や狛犬を思い出した。
決まって、一方が口を開いていて、もう一方が口を結んでいるあれだ。
サンスクリット文字配列は、まったく妨げのない状態で口を開いた 「阿」から始まる。
そして、 口を完全に閉じた「吽」で終わる。
古来より、日本人は、人間の間柄における状態を表す言葉として用いてきた。
ふたりが、呼吸まで合わせるように共に行動しているさまを「阿吽の呼吸」と言ったりする。
夫婦円満・家内安全・魔除など、なんかよくわかんないけど良いような気がする。
しかし、まさか仁王や狛犬を玄関に描くわけにもいかない。
そういや、 Alice’s Adventures in Wonderland の挿絵にそんなのがあったような。
一方が口を開いていて、もう一方が口を結んでいる百合の妖精だか魔女だかの絵だった。
英国の風刺画家 John Tenniel が、一五〇年ほど昔に描いたちいさな挿絵だ。
これを、襖絵のように描けば良い感じに仕立てられるかも。
下絵から仕上げまで五日を要して、描き終えたのがこれ。

阿形の百合」

 「吽形の百合」

嫁が。
ジジイにしては、良い腕してんじゃん。

俺を、誰だと思ってんだぁ!

 

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五百五十七話 晩秋

海辺の庭。
今年の紅葉は、いつになく綺麗だった。
なんて、愛でる余裕はない。
業者並に塵袋を買って、それでも足りない量の爆弾落葉に見舞われる。
庭用の電動掃除機も悲鳴をあげ、駆動部分が熱くなって、時々ファンが限界に達して止まる。
騙し騙し使うのだけれど、だいたい二年ほどで御陀仏という始末だ。
桜に、藤に、紅葉に、百日紅に、木蓮に、雪柳に、紫陽花に、柿にと、切りがない。
実際には切りはあるのだが、気分的には切りがない。
庭師に頼むという手もあるにはある。
が、庭師の方も抱えている家すべてが同じ状況と化しているので、いつのことになるかわからない。
くわえて、其れなりのものを払ってということにもなる。
剪定、寒肥、防虫、雑草除去、掃除、石積修理など。
これら一連の仕事をすべてお任せすると、年の暮れに一枚の紙切れが届く。
そこには、庭手入れ一式とあって、あぁ、そうですか、とは言い難い数字がならんでいる。
先代の家主だった義母が元気でいた頃。
仕事の合間を縫って庭仕事を手伝いに訪れるとよく言っていた。
「あなた、今晩なに食べたい?」
「お寿司? 鰻? 中華? ステーキ? 仏蘭西料理? 」
「なんだって、どこだっていいわよ、わたしが奢るから、遠慮しないで好きなものを言って」
えらく気前がいいもんだと思って聞いていたが、今となってはよくわかる。

そりゃぁ、そうなるわな。

 

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五百五十六話 家主が愛した花

この季節になると、海辺の庭は野菊で埋まる。
庭の場所によって、黄色、紫色、桃色、燕脂色など色々と種類も混ざってある。
なかでも先代の家主であった義母が好んだのは、この白い野生菊だった。
ほんとうに、好きだった。
そして、最期にこの海辺の家を後にした夕刻にも、見送るようにこんな感じで咲いていた。
だから、今でも大切に育てている。
とは言っても、格別になにかをするわけでもなくて、ただ増えるにまかせているだけなのだけど。
義母の庭仕事は、草木を矯正させることなく、奔放に育ててその姿を楽しむといったものだった。
“ あなたの好きなようにすれば良い ” と言い遺されたもののなるだけその意には沿いたい。
奔放な庭は、ほったらかしの庭とは違う。
仕事の跡を目立たなくしているだけで、実はけっこうな作業をしいられたりもする。
煉瓦ひとつ積むにも、これで良いのか迷うこともよくある。
病で庭仕事が難しくなった義母から、譲られて一五年が経つ。
あの頃から、ずいぶんと庭の様子も変わった。
家の改築を機に、あちこちに手も加えたし。
だけど、この庭の奔放な雰囲気は、なんとか遺せていると想う。
先日、親子ほど歳の離れた友人が、一年ぶりに海辺の家にやってきた。
「なぁ、庭だいぶと変わったやろ?」
「 そう言われればそうですけど、馴染みすぎててどこがどうかよくわからないですね」
甲斐のない台詞だが、これほど嬉しい一言もない。
手を尽くして、なにも変わらないでそこに在る。
この一事こそが、理想だから。

先代の家主が、どう思ってるかは知らないけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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五百五十五話 海峡の秋

先に申し上げておきますけど、禄でもない話なんで食事時含めその前後はお避けください。

でない!
ぜんぜん、でない!
嫁に相談してみた。
「ねぇ、ぜんぜん、でないんだけど」
「なにが?」
「うんち」
「知るかぁ!」
水分を摂って、酸化マグネシウムを服用しても、効果なし。
来客もあって、昼から晩までずっと飲んで食ってを続けた挙句のこの始末。
「やばいなぁ、おなか、カッチンコッチンに硬いんですけど」
「食欲もないし」
「俺、ヒヨコだったらすでに逝ってるかも」
「はぁ?ブロイラーみたいな身体して、生意気なこと言わないで!」
「運動不足なんじゃないの? ちょっと歩けばなんとかなるんじゃないの?」
なるほど、そうなのかも。
散歩なんて別に好きでもなんでもないけれど、そうも言っておれない。
坂を下って、国道を渡って、浜辺にでて、西へと歩いて、舞子に。
対岸に浮かぶ淡路島とを繋ぐ明石海峡大橋の袂まできた。
そこで、この世界最長とされる吊橋なんかを撮ってはみたものの、まったくでる気配はない。
仕方がないので、さらに西へ。
これで明石まで行って目的が果たされなければ、JR か 山陽電車で帰るか。
絶好の 秋日和に、瀬戸内の海峡を眺めながら浜辺を歩く。
結構な趣向なのだが、頭のなかは “ 排便 ” の二文字のみ。
舞子公園を越えて西舞子辺りで。
腹が、なんかこうシクシク痛い。
いよいよかぁ! 遂にきたのかぁ!
数メートル歩くと、前に屈みこむくらいに痛い。
間違いない、その時が近づいている。
よし、産むぞぉ!
が、しかし、問題がひとつ。
どこで???
たしかこの辺りは、店屋が途切れていたような。
前屈みに慌てて国道へと戻る。
やっぱりない!
絶望の果てに、あらぬ行為がよぎったその時、見慣れた看板が目に入った。
“ STARBUCKS ”
現状では、ちょっと厳しい距離感だけど頑張るしかない。

そして、こんな事でもなければ、訪れることもなかった無駄にお洒落な STARBUCKS にたどり着く。
海峡を挟んで島を一望できるソファー仕様のテラスにも、Frappuccino にもなんの用もない。
用があるのは、一階の便所だけ。
おかげさまで、なんとか無事用が足せました。
ようやく落ちついた心地で、二階のテラスで珈琲を飲みながら海峡の秋を眺める。
とんだことで浜辺を歩く羽目になったが、たまにはこうして過ごすのも悪くないと想う。

それにしても、便秘には歩くのが一番効く。

 
 

 

 

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五百五十四話 色の魔術師が逝く

“ 高田賢三氏、感染症で巴里郊外の病院で逝く”
突然の報せだった。
駆け出しの頃、通い始めた巴里でお世話になったことがある。
Galerie Vivienne に在った “ JUNGLE JAP ” から近くの Place des Victoires に拠を移されていた。
一九八〇年代中頃の巴里服飾業界。
川久保 玲 Comme des Garçons や山本 耀司 Yohji Yamamoto が市場を席巻しようとしていた。
立体裁断を駆使した黒一色の世界は、ちょっとした革命だった。
平面的で絵画的な色の表現を真骨頂とされていた先生の作品とは対極にある。
よく語っておられた。
「時代がどんどん僕から遠ざかっていく」
時代を映す稼業に就く者にとっては、致命的な台詞に聞こえる。
しかし、先生からは、微塵の悲壮感も嫉妬も焦りも伝わってこない。
飄々とされていて、むしろ時代を楽しまれている。
時代と対峙する器の大きさと懐の深さが、半端なく大きく深い方だった。
よくない時には、よくない事が起きるもので。
Victoires 本店の上階で披露された Paris  Collection にうかがった時のこと。
Collection Designer にとって雌雄を決するその大舞台で、会場の照明がすべて落ちた。
暗闇に包まれ、Show どころか隣席すら見えない。
照明が復旧すると、関係者は顔を痙攣らせ、客は完全に冷めた表情。
そこに爆笑する笑い声が響く。
Runway 袖に立つ高田賢三先生だった。
再開された Show は大受けし、立ち上がっての拍手に応える堂々とした先生の姿を見て思う。
女性的な物腰の先生だが、なにがあろうとも動じない不動の姿勢は、日本古来の武士のようだった。
このひとだからこそ、閉鎖的だった巴里の服飾業界の扉を日本人としてこじ開けられたのだろう。
それからも、流行の成行が変わっていくなか多くの仏人が先生の服を愛した。
特権階級の人々だけでなく、Marché でも Café でも駅でも街中で “ KENZO ” を見かける。
CDG 空港から巴里へのタクシーの中で、移民の運転手が自慢げに。
「日本人? これ “ KENZO ”  のセーター、Soldes で買ったんだけどな」
「良いねぇ」
「 “ KENZO ” 最高!で、あんたほんとに日本人?」
高田賢三先生は、凄い仕事を成されたのだと今改めて想う。

ほんとうに、お疲れ様でございました。安らかになさってください。

 

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