
鳥取県湯梨浜町、山陰八景に数えられる東郷池。
池とあるが、実際には淡水と海水が混じる汽水湖なのだそうだ。

その畔に、まるで映画のセットみたいなちいさな書店が一軒佇んでいる。
書店名は “ 汽水空港 ” と看板にあって、おそらく汽水湖に由来しているのだと思う。
山陰八景にしては、観光客がいない。
というか、この辺りを幾度か通りすがったけれど、ひとと擦れ違ったことすらない。
なんでこんな時代に、こんな場所で、こんな商いを営んでいるんだろうか?
間口は二間ほど、引戸を開けて鰻の寝床のような小屋建の店内に足を踏み入れる。
古書専門店ほどではないものの、古紙とインクが混ざったようなあの匂いが漂う。
が、それも嫌な匂いではない。
湖面で折り返した柔らかな陽が硝子窓から差込む。
暗すぎず、明るすぎず、読むに丁度良い照度で整っている。
店奥の帳場が店主の居場所となっていて、その日もそこにいた。
髭面、白髪、丸眼鏡の痩せた老人だと期待したのだが。
ちょっと違って、割と小洒落た物腰の柔らかそうな若いおとこが店主らしい。
帳場の脇には、二〜三人ほどの台と厨房があって、ちょっとした Café 的な設えになっている。
書店全体に、店主の Self Build による居心地の良い空気が漂う。
肝心の書架を巡っていく。
思想・農業・児童・旅・食・地域などに分類され、それぞれに個性的な本が並ぶ。
分類されたなかに建築分野の書架があった。
幅は二メートルほどで、棚そのものが店と同じような小屋建で造られている。
片流れの屋根が架けられ、板が葺かれた上に煙突まで設置するという念の入れよう。
くだらないがなんとも洒落た造作だ。
この書架に一冊の本を見つけた。

Dacha は、建築であり文化でもあるのだが、この言葉を他言語に置き換えることは難しい。
乱暴な表現になってしまうが。
帝政 Russia 時代に始まりSoviet 連邦時代を生き抜いた菜園を伴った庶民の別荘文化。
かつて本宅とは別に庶民が所有した小屋というかコテージのような代物について書き記した本だ。
まるで、この書店のような小屋の記憶が描かれている。
一九八九年 Berlin の壁が崩壊する直前、 Soviet 連邦下のいくつかの国を巡った記憶を思い出す。
その頃の Dacha は、もはや優雅に週末を過ごす場所ではなく。
食糧難を耐え凌ぐため、明日の糧を自らの手で得る場所となっていた。
当時見聞きしたこの記憶と、“ 汽水空港 ” 書店が不思議な具合に自分のなかで重なる。
書店主 モリテツヤ さんは、農業をしながら書店を営む。
どうすれば最低限死なずに本屋を営んでいけるだろうか?
自分で食べものをつくれば死なない、死ななければ本屋もやれるだろうという答えにたどり着く。
廃屋となった小屋を借りて Self Build で書店へ、Dachaもその多くは Self Build だ。
午前中は農作業をして午後一時に店を開ける、Dacha は週末限定だが似ている。
農園は生き抜くためのものであって金銭を得るためのものではなく、生業はあくまでも本屋だ。
自分達が食べる以上の作物は、誰でも勝手に入って食べても良い。
農園は、“ 食べれる公園 ” として解放されている。
紆余曲折を経て、汽水空港は出版業界で知られる存在となり、今では県外からの客も多いと聞く。
もう農園で収穫された作物に頼らずとも書店収入だけで生計が成り立つまでとなった。
それでも “ 食べれる公園 ” は今も続けられており、その試みはさらに拡張されていくのだそうだ。
その昔、農民の真似をする都会人と嘲笑された Dacha だが。
自然との繋がりを得ることで暮らしを再構築するというのが Dacha 文化の魅力のひとつでもある。
今、その精神的恩恵と利点が見直されようとしている。
建物としての Dacha は失われゆくのだろうが、この文化と精神は受け継がれてゆくのだと想う。
Russia から遠く離れたこの地にもそうした種を蒔くひとがいるのだから。
湖畔に佇むちいさな本屋とひとりの書店主に敬意を込めて、この一冊を購入させていただきます。


