五百九十六話 異形の獣

遂にというか、ようやく手に入れた。
若き彫刻家、坂田源平の作品。
あたまの中にいる “ ANIMAL ” を図鑑のように表現する現代美術作家がいる。
知ったのは、五年ほど前だったと思う。
不可思議で不安定な形態。
惚けた表情。
錆びか?苔か?が、こびりついたように塗り重ねられた彩色。
勢いを残した鑿の軌跡。
かろうじてそれが何者なのかが判るものの、実態とはかけ離れた異形。
何をどう見たらこうなるのか?
また困った作家が彷徨き始めたものだというのが、最初の印象だった。
しかし一方で、下世話ではあるが、美術品としての洗練された趣が作品に漂っている。
これは、欲しい!
以来、いろいろと手を尽くしてみたものの縁に恵まれず諦めかけていた。
半年前の夏、京都の御池通りを夫婦で歩いていた時、通りすがりの画廊に嫁が目を停める。
「あれ、良いじゃないの」
古びた李朝箪笥に牛の彫刻が置かれている。
「 えっ!坂田源平?嘘だろ?」
京都の一等地に構える老舗美術画廊 “ 蔵丘洞 ”
店主に話を訊くと、坂田源平先生とは、作家となる以前からの付合いだという。
今、この一点を手に入れるか?それとも、他作品を待って数点から選ぶか?
画廊懇意の作家となると待つのも一興かもしれない。
賭けだったが、そうすることにする。
そして、年が明けた先日、坂田源平作品展の案内状が届く。
ここからは、迷っている暇も、気取っている暇もない、一気に話を詰める。
まず出展される作品の概要を口頭で訊く。
そして、個展開催日までにそれらを観られるよう依頼する。
「遠方より何度もお運びいただき恐縮です」
「当方にて、ご依頼通り取り計らいさせていただきます」
さすがに京都筋の美術商、こちらの意向を淡々と汲んで無駄な煽りはしない。
開催日の前日、全国的に大雪で、不要不急の車での外出は避けるよう呼びかけられていた。
そんな朝、鴨川に積もる雪を眺めながら画廊へと向かう。
個展準備中の店内から奥の商談応接室に通される。
部屋には、五体が既に並んでおり、作品がこちらを睨んでいる。
「手に取らしてもらっても良いですか?」
「もちろん結構です」
三体は新作で、“ 鳥 ” と “ 象 ” と “ 駱駝 ”
“ 駱駝 ” は、東京での展覧会に向けたもので即日の引き渡しは難しいとのことだ。
そして、作家自身が所蔵する 二〇一八年制作の二体。
“ Chameleon ” ともう一体は、作家の手元に戻させれていたあの “ 牛 ” だった。
作品名によると “ 闘牛 ” なのだそうだ。
手にとってみると、檜材の彫刻作品にしては軽い。
坂田源平作品の魅力は、その unbalanced な形態にも拘わらず、ちゃんと自立するという作風にある。
自立実現のため、檜材の内側を削って部位による重量を拮抗させているらしい。
言わば空洞なのだ。
自立は、重く固い檜を材として巧みに操っている証ともいえる。
さて、どれにするか?
もともと気に入っていたし、最初の縁を軸にして、“ 闘牛 ” を求めることに決めた。
ところで、我家には、家に置く作品を購入する際の決め事がある。
ひとりが買いたい、もうひとりが買いたくない、となった場合は買わないとする約束である。
説得や相談といった面倒な行為はなく、瞬殺で買いは見送られる。
なので、滅多に美術品に手を出さずに済むというある種の家計防衛策だ。
しかし、こうして本作品は、この馬鹿夫婦の防衛策を破って海辺の家にやって来る羽目となった。
国内屈指の現代美術蒐集家として知られる桶田俊二さん聖子さん夫妻は言われる。
「現代美術への理解は、気にいった作品を家に置いて何度も眺めることで深まる」
そして、嫁も言う。
「この牛、なんて名前にしよっかなぁ」

いやいや、ペットじゃないし、そういうことじゃないから!でも、そういうことなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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