五百九十二話 石の銀行?

庭のジプシーこと橋口陽平君からの業務連絡。
「明日、ご自宅にお迎えにあがりますので、それから銀行に行きましょう!」
「えっ、作庭料?前払いなの? 額にもよるけど銀行に行かなくても手元にあるけど」
「いやいや違いますよ、“ 石の銀行 ” にご一緒していただきたいんです」
「石?銀行?どこへ?」
翌日昼過ぎ、海辺の家に二トン・トラックに乗ったジプシーがやって来た。
“ 石の銀行 ” は、六甲山に在るという。
そもそも “ 石の銀行 ” とは何か?
もともと、海辺の家から北東部に跨る六甲山系は、御影石の産地であった。
阪神間の “ 御影 ” とつく地名や駅名は、石の名称に由来する。
またこの辺りには、石塀などに高級石材である御影石をふんだんに使った邸宅群が多く残っていて。
それが、街に此処ならでは景観を映していた。
しかし、現在、六甲山麓部での石の採掘は厳しく制限されてしまう。
山からの供給は絶たれ、街では次々と建物が壊され、使われていた石材は廃棄物処理されていく。
地産の石がもたらした街並みも失われ、どこにでもある新興の風情と変わらなくなってしまう。
そう危惧した地元の石材屋が一計を案じた。
廃棄物の減量、景観の保護、需要者と供給者の相互利益を保証する組織の構築である。
需要者とは、この街で新たに創る構造物に石を利用したい者。
供給者とは、この街の既存構造物を壊して石を廃棄したい者。
前者には石の購入代金、後者には石の処理代金が、それぞれに発生する。
両者を繋ぎ、後者の石が前者に渡るようにすれば双方ともに利を得る。
そして、石は、姿を変えながらも街の構造物の一部として残り、景観はある程度維持されていく。
さらに、石は、捨てないのだから、その分廃棄物は減る。
需要者と供給者は、共に行員登録し組織の一員となり利用を許されるのだ。
なるほど、石屋が考えたにしては頭の柔らかい発想で、まさに “ 石の銀行 ” だ。
海辺の家から東へ、御影公会堂の手前を石屋川に沿って六甲山中へと登っていく。
その昔、川沿に石材店が軒を連ねていた所以から石屋川と呼ばれる。
また余談だが、野坂 昭如先生が著された “ 火垂るの墓 ” の舞台でもある。
六甲霊園を過ぎて、どんどん登る。
舗装路が途切れ山道に入る頃には、石屋川の幅も小川程度までに。
神戸市街地を一望する眺望は素晴らしいが、眺める余裕はない。
車幅と道幅はほぼ同じで、しくじったら一巻の終わりだ。
ようやく視界が開け、石の集積場らしき場所に着く。

これが、“ 石の銀行 ” かぁ!
傍に一軒の小屋が建っていて、そこには “ 石の番人 ” がいるという。
七〇歳を超えた “ 石の番人 ” が訊く。
「 あんた施主さん?石好きなん?」
「だいたい石を撫でるようになったら終わりが近いって聞くけど、 俺もその口かもなぁ?」
「あんたおもろいなぁ、それがホンマやったら、儂なんかとっくの昔に逝ってるわ」
「なるほどね」
「石担ぐ時は、まず石を臍に寄せて、身体で挟むようにするんや」
「大丈夫か?腰いわさんようにしいや」
爺が、もっと爺に労られ、一トンを超える重量の石をふたりで荷台に移す。
もっと爺の “ 石の番人 ” は、手伝わず見てるだけ。
疲労は困憊だが、ひとつとして同じものがない石を選んで、転がして、抱えて、積む。
この作業が意外と面白い。
俺、この爺さん逝ったら、跡目継いで “ 石の番人 ” になるかなぁ。

あぁ、それにしても腰痛いわぁ!

 

 

 

 

 

 

 

 

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