五百八十九話 庭のジプシーが、やって来た!

海辺の家の庭。
外出自粛の間、一部改庭も含めた修理をずっと進めてきて、最後に手付かずだった場所が残った。
三段になっている庭で、一番低く、窪んでいて、日当たりも良くなく、一般的な作庭には向かない。
ここに日陰ならではの庭を作ろうと思い立つ。
色々工夫し、労力も使い、刻も費やした結果、半分ほどはなんとか満足のいく出来に仕上がった。
が、そこから先がなにをやってもうまくいかない。
行き当たりばったりでやっていては、いつまで経っても形にならないのではないか?
そこで、こうしたいという姿を絵にしてみた。

好き勝手に描いているうちに、素人がひとりでなんとかなる代物ではないと気づく。
先代からずっと庭の面倒をみてくれている庭師もいるにはいるのだが。
この庭に関しては、その熟練の腕も役どころが違うように思う。
洋の東西を問わない雑然とした雰囲気で、少し荒れた風体を醸した庭。
さすがにこれは無理かも。
そこで、たまたま別件で訪ねてきた建設会社の担当者に駄目もとで相談してみる。
“ 海辺の家 ” の改築で、 無理難題への免疫は充分に獲得していて、理解も素早い。
「あぁ、なるほどですね、䕃山さんとなら気の合う変な庭師をひとり知ってますよ」
「まぁ、気が合いすぎて、とんでもないことになるかもですけどね」
「マジでかぁ! 誰? 紹介して!」
「紹介はできますけど、今、日本にいるのかなぁ」
「はぁ? それって、外人の庭師なの?」
「いえ、日本人ですけど」
「 “ 庭のジプシー ” って呼ばれていて、いろんなところで庭を作って歩いてるひとなんですけどね」
「なんだぁ、それ? さすらいのカウボーイじゃなくて、庭師ってあんまり聞いたことないな」
「庭の話しかしない、まぁ、変わったひとですよ」
翌日、早速連絡してみる。
どうやら、米国で庭を作る予定だったのだが、このコロナ騒ぎで延期になった。
なので、当分の間国内で仕事をするつもりらしい。
とは言え、来週は北海道、翌週は東京でという具合で、その後にうかがうとの事だった。
“ 庭のジプシー ” とは、まさにその名の通りの働きぶりだ。
そして、十一月九日、庭のジプシーが、海辺の家にやって来た。
想像していたよりずっと若い。
門から入ってきて、四百年超えの山桃や桜の大きな老木を眺めて。
「うわぁ〜 、凄いなぁ〜、良いですねぇ、庭にこんなのがあるんだぁ!」
「この山桃の根元辺りに庭を作りたいんだけど、出来る?」
「はい」
「あっ、僕、ここでちょっとやることがあるんで、奥様とふたりは家に入っててもらえますか」
しゃがんで土を触ったり、周りの植物の葉の様子を調べたり、一向に戻って来ない。
朝方にやって来て、昼時になって。
「そろそろ昼飯時だけど、あんたも食べる?」
「はい」
店屋物が届いたので、呼びに行ってようやく家に入ってきた。
「あっ、恐縮です、いただきます」
食べながら、資料やスケッチを前にこちらの意向を伝えた。
「どう?やってもらえるかなぁ?」
「はい」
「で、そもそも、庭を作るっていう行為は……………………….。」
人呼んで、“ 庭のジプシー ” 橋口陽平先生の講義が始まった。
普段ならブチきれるところだが、不思議とすんなり耳に入ってくる。
それは、この若い庭師が提唱する作庭が、意外と論理的で筋道が通っている事。
また、作庭家という職業に情熱と愛情をもって向き合っている事。
世界中どんな環境に於いても、その事を貫こうとする矜持が感じられる。
でなければ、こんな面倒臭い話は聞いていられないだろう。
San Francisco では、Steve Jobs 氏のガレージに寝泊まりし、日本庭園を作ったこともあるという。
地上の植物に起こっている事象は、地下で起こっている事象を映している。
植物は、土壌の映し鏡で、その映し出された様子から全てを学ぶ。
作庭とは、見た目ではなく、土をどのように管理するかとういう行為の追求である。
こういった話が、ずっと続く。
あたりまえの事だけれど、いざ実際に行うとなると難しい。
冬場に土壌を整え、暗渠排水を施し、石を積み、春先に植栽を行う。
「まずは、六甲山に石積みに使う石を見に行きましょう」
「えっ、俺も行くの?」
「はい」

庭のジプシー、ここはひとつ任せてみるかぁ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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