五百八十一話 狂騒の時代が、今にもたらした惨事

Cornelius 小山田圭吾に続いて、Rahmens 小林賢太郎までもかぁ!
音楽・演出担当の辞任解任という東京五輪開会式を明日に控えてのこの惨事。
まぁ、そりゃぁ、こうなるわなぁ。
何者なのか?と訊かれて。
九〇年代の Sub Culture Scene を想起しない業界関係者はまず日本にはいないだろう。
では、このふたりが傾倒し担った九〇年代の Sub Culture とは何だったのか?
九〇年代は、写真にある Sub Culture 史の中でも特異で異様な時代だった。
その表現には、大抵の場合、世紀末・悪趣味・鬼畜・叛逆などの言葉が躍る。
狂気に満ちたこの時代の提唱者だった故・村崎百郎さんの言葉を借りると。
“ 徹頭徹尾加害者であることを選び、己の快楽原則に忠実に生きる利己的なライフスタイル ”
この文脈が全てを語っているかどうかは疑わしいが、何らかの闇を孕んでいたには違いない。
それは、倫理的に完全に間違った闇で、次世紀に於いて決して容認されない闇だった。
しかし、九〇年代。
創作に関わる分野で、こうした闇に救いを求めたひとは多くいたと記憶している。
自身も決して無縁だったとは言い切れない。
そして、今でも周りには 九〇年代の Sub Culture を引きずっているデザイナーがいるのも事実だ。
そこで、今回の惨事である。
九〇年代の Sub Culture を全く理解していなかった人達が、人選したとしても許されない。
そもそも Sub Culture とは、主流文化の価値観に反する少数集団を担い手とする文化である。
主流文化の祭典である五輪に相応しいか?否か?ちょっと考えれば解りそうなもんだろう。
何故要請したのか?何故受諾したのか?
“ Main Culture ” と “ Sub Culture ” の双方を知る錬金術師である巨大業者が係っていながら。
この惨事を招いた現代の闇も深い。
この期に及んでは、何ひとつ擁護できないし、してはならないのだろう。

が、それでも、小山田圭吾と小林賢太郎の両人が創った作品は、どうしても嫌いになれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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