五百六十七話 海峡に巡る春

市場へと坂をくだっていった嫁が、袋を抱えて帰ってきた。
「もう春だわぁ!」
海の際で育った者は、これで春が来たと知るらしい。
茎わかめ?
わかめの真ん中、中と元茎の部位にあたる。
いわば芯の部分で、ちょっと固いので、食用として活用されることはほとんどなかった。
しかし、高い栄養価と独特の歯応えから、漁師達や地元民は旬の食材として好んだという。
「なんか色の悪いアロエみたいだけど、どうやって食うの?」
海辺の家あたりでは、この茎わかめを “ ミミチ ”  と呼んで佃煮にするのだそうだ。
もうひとつの袋には、また別のものが入っている。
「なに?これ? なんか気持ち悪いんだけど」
「まぁ、山育ちにはわかんないよね」
いや、北摂は充分都会だと思うけど、いちいち反論はしない。

生海苔?
大阪湾の豊かな養分と明石海峡の潮流が育む須磨海苔は、肉厚さと磯の芳香で名品とされる。
とにかく値が張り、そのほとんどを料亭向けに出荷している。
梅が蕾を膨らませる頃、神戸の海では海苔漁が始まる。
そして、この季節でしか味わえないのが、これ。
新芽だけの “ 初摘み海苔 ” で、乾燥前の生海苔だ。
とりあえず、生海苔豆腐鍋にしてみる。
海苔を水洗いし、水気をきる。
鍋に水と白葱を入れた出汁汁を沸騰させ、豆腐を加え、最後に海苔を入れてさっと煮る。
これだけなのだが、たしかに旨い。
明日は、嫁の嫌いな粕汁にこいつを丸めてぶち込んで食ってやろう。
きっと、さらに旨いに違いない。
眼前の海には、海苔漁へと向う船がいく。

こうして、海峡に春が巡る。

 

 

 

 

カテゴリー:   パーマリンク