五百六十二話 日本最古の天然岩海苔

数年前にも投稿したような気もするけど、雑煮の話です。

一八歳の頃、義母にこれが我家の雑煮だと言われ、初めて口にした。
黒塗碗の蓋を開けて驚く。
「なんすっか?これ?」
「真っ黒なんだけど、これって食えるんですか?」
「出雲の雑煮よ」
「まじっすか!正月からやばそうなもん食うんですね」
「でもね、見かけはこんな感じなんだけど、ほんとはこうじゃないのよ」
出雲の旧家である神門家に継がれた雑煮は、こうして作る。
日本酒に大量の鰹節を入れて出汁をとり、その出汁と同量の醤油と味醂を混ぜて火にかける。
最後に砂糖で味を整え、湯がいた餅に鰹節と岩海苔をのせたものに注ぐ。
出雲で産れ育った義母が、残念そうにこうじゃないと言ったのは岩海苔の事だった。
ほんとうは、出雲でしか採れない岩海苔を用いるべきなのだが手に入らない。
なので。他所の岩海苔を代用しているらしい。
以降ずっと代用海苔で年明けを迎えてきた義母が、八〇歳を超えた頃だった。
たいした孝行もせずにきたので、ここはひとつ本物を食わしてやりたいと岩海苔探索を思い立つ。
義母に尋ねても、海苔の名称は忘れてしまっていた。
その正体が、“ 十六島海苔 ” と呼ばれる希少な海苔であると知るのにもそうとうの手間がかかった。
“ ウップルイノリ ” は、島根半島先端にある十六島の岩場でしか採れない。
天然のはぎ海苔で、極寒期に一度、荒波のなか命綱を装着して行う危険な漁だという。
漁師は、平均年齢八〇歳の女性達で 、今では二〇人ほどしかいない。
この風土記にも登場する日本最古の岩海苔は、採取量は僅かで、入手が難しく、驚くほど値も高い。
訳を知ると、義母の手に入らなかったのも頷ける。
いろいろと探して、出雲市内で日露戦争の頃より煙草や塩や乾物を商ってきた店屋に行きあたる。
“ 松ヶ枝屋 ”
一廉の店主で、義母が亡くなった際には丁重なお悔みの書状に仏前の品を添えて届けてくださった。
以来、餅や鰹節や削機の刃の修理まで毎年お世話になっている。
最初のこの時も、義母の事情を汲んで 希少な海苔を暮れに間に合わせて送っていただいた。
こうして、半世紀の刻を経て、義母はほんものの雑煮を口にした。
「長生きもしてみるもんだわ、まさか逝く前にこれを口にできるなんて」
雑煮を食うと、今でもその滅茶苦茶喜んでくれた顔を想い出す。
そして、義母が亡くなって問題が発生する。
「あれぇ?なんかちょっと違うような気がするんだけど」
「気がするって、これ違うだろう!」
「餅も、鰹節も、海苔も、酒も、全部同じで、なんでできないんだよ!」
「えっ、わたしのせいだって言いたいわけ?」
「そう責める勇気はないけど、多分そうなんだろう」
「はぁ? なんか感じ悪いわぁ!」
今年も試行錯誤が続くものだと覚悟していたのだが。
反省の二文字を遥か昔に便所へ流した嫁は、失敗からはなにも学ばない。
失敗は自らが失敗だと認識してこそ失敗だから、基本人生において失敗は存在しない。
が、自分になければ、持っている奴を襲って調達するのは得意だ。
農耕民族には考えられない非日本人的で悪魔的な狩猟能力に優れている。
「へっへぇ、今年は、間違いのない雑煮が我家に降臨するかもよ」
年が明けた正月の昼過ぎに動き出した。
「明けおめぇぇ、あのさぁ、ちょっと神門の雑煮の作り方教えてくんないかなぁ?」
相手は、レシピを送るとかなんとか言ってるみたいだ。
「っうか、あんた、毎年つくってるよねぇ、味比べしよっかぁ」
いやいや、向こうは作ってるかもしれないが、こっちは作ってないし。
「マジでぇ、でも昼酒飲むからわたしは駅までいけないよ、家に来れば」
どうやら、家に持ってきてくれるような話で落ち着いたみたいだ。
訊くと、相手は、現神門家の当主である従弟だ。
「よし!釣れた!」
「やめろよ、正月早々、Uber Eats じゃないんだから」
「なんでよ? 顔も見たいし、そういう細かいこと気にする癖、今年は治した方がいいよ」
二日の晩に、武道家でもある羆のようにおおきい従弟が、出汁を手にやって来てくれた。
翌日。
「これだわ!」
「そうそう、これこれ、さすが当主自らの雑煮は違うわ!」
「やったね!来年からこの手でいこう!」

えっ!あんた、来年も同じ手使うつもりかよ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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