五百五十話 台湾人の夏ごはん

八月。
この国の夏は暑いけれど、もっと過酷に暑い国も近くにある。
夏の台湾を訪れたことはないが、そうらしい。
神戸は、台湾のひとも多く棲む街で、その食文化に触れる機会も多い。
海辺を通る国道沿いに、ちいさな食堂が暖簾を揚げた。
店主は、台湾からやって来た女性だそうだ。
国立台湾芸術大学卒の水墨画家で、料理研究家でもあって、名を Lin Sieii  という。
またなんでこんな場所で? とは思いはしたが、まぁ、それなりの事情があるんだろう。

“ 小宇宙食堂 ”

屋号からして、台湾の不思議ちゃんの気配がする。
ほんとうにちいさくて、ややおおきめの屋台くらいの食堂だ。
Lin Sieii 筆の水墨画が飾られいる。
淡く素朴な水墨画だが、筆法は巧みで、値段次第では欲しいかもしれない。
ただ、描かれた題材は、やっぱりちょっと不思議ちゃんの匂いが漂う。
この日、店主不在で、店番は若いおにいちゃんがひとりで仕切っていた。
渡された品書に目を通したが、なんのことかさっぱりで、味はおろか見た目の想像すらつかない。
「滷肉飯ってなに?」
「ん?あぁ?ルーローハン?」
「いや、俺が、訊いてるから」
「つうか、おにいちゃん、日本語大丈夫なのかな?」
「えっ?なに?ちょっとわかんない」
「ちょっとじゃなくて、だいぶとわかんないよね」
去年の暮れに台湾から来たらしいので、日本語の出来としては、これでも上々の方だろう。
「じゃぁ、とにかく滷肉飯定食で、これでお腹一杯になる?」
「えっ? いっぱい? ならない、ならない、全然ならないよ」
「じゃぁ、どうすんの?」
「これ」
「あぁ、肉饅ね、これはわかるわ」
滷肉飯定食と肉饅を注文した。
滷肉飯は、醤油で甘辛く煮た豚肉がのった台湾の丼物だったと記憶している。
どちらかというとしっかりとした味を想像していたが、供された滷肉飯は驚くほど薄味だ。
口に運んだ瞬間にはただ薄いと感じた味が、段々と薬膳風の複雑な味へと変化していく。
なんのとは言えないなにかなのだが、醤油以外のもっと品のある風味が勝っていてなかなか旨い。
皿には、厚揚げのようなものが添えられている。
日本の厚揚げにしか見えないものの味は、それとはまったく異なるものだ。
発酵させたもので、チーズに近い。
よくは判らないが 、沖縄の豆腐餻みたいなものかもしれない。
そこへ、安心安全であるはずの肉饅がやってきた。
「ちょっと!おにいちゃん!この肉饅、かっちんこっちんに硬いんだけど」
「これって、どうやって食うの?」
「笑ってないで、包丁貸せよ!」
包丁で四等分にされた肉饅を食ってみる。
肉饅と聞くとふっくらしたものを想像するが、これは、台湾の胡椒餅に近い。
言ってしまえば、台湾式 Meat pie で、香辛料がほどよく効いていて悪くない。
無知故に戸惑いはしたものの、食べ終えてみると。
台湾の庶民の味を、選び抜いた食材で手間隙惜しまず 丁寧に再現した料理だと思う。
いわゆる商業的な価値では計れない誠実な食への愛情を感じる。
なんせ、時間短縮に圧力釜を用いることすら拒んでいるらしいから。
Lin Sieii さんが著した冊子を持ち帰って、後日読んでみた。
そこには、台湾の過酷な暑さで疲れてしまった胃袋を癒す朝粥の調理法が記されている。
“ 清粥小菜 ” という米と水のみでじっくりと炊き上げる粥。
いたって単純だが奥深く、台湾のひとにとっては食の原点ともいえる大切なものらしい。
食に並々ならぬこだわりをもつ台湾では、「甲飽沒?」という挨拶がよく交わされるという。
直訳すると「ごはん食べた?」
「こんにちは」「調子どう?」「元気?」とか、ひとを気遣う意味で用いられる。
ひと昔前なら、こうした言葉を日本でも耳にしていたのかもしれない。 

もう、誰も使わなくなってしまったけれど。

 

 

 

 

 


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