五百三十二話 家曳き屋

海辺の家は、二四年前の大震災で大きな傷を負っている。
当時、一応の修繕は施したものの元通りというにはほど遠い。
何度かちゃんと治そうという話もあったが、病を抱えた高齢の家主は踏み切らなかった。
「わたしが逝った後で、あんた達の好きなようにしなさい」
義母は、そう言っていた。
好きなようにと言われて、義父や義母の趣味に合わない家を、潰して建替えたのでは身も蓋もない。
そこが、まったく厄介だ。
家は、西側部分の傷みが特にひどい。
建築家の先生の見解としては。
「西側平屋部分だけは、さすがに新築された方が、費用的にも手間的にも良いと思うけど、駄目?」
西側の端は納戸になっていて、家の三分の一ほどの床面がその方向に傾いている。
床面を水平にするには、家全体を持ち上げて基礎全面をやりかえなければならない。
屋根瓦・壁・床を撤去して家を軽くした後、水平値にまであげる。
その際、もの凄い衝撃と負荷が家に加わる。
築七〇年近いこの家は、それに耐えるのだろうか?
一体誰が?どうやってあげるのか?
建築会社が方々をあたり、そして、やって来たのがこの連中。
鳥取県に在る “ 鈴木家曳業 ” の鈴木さん。
作業着の胸には、◯ に “ 曳 ” の一文字が描かれている。
なんかこうとても頼りがいがありそな雰囲気がするんだけど。
っうか、家曳業なんていう稼業があんの?
「まぁ、家あげて曳くだけなんだけど、ちょっととりあえず図面みせて」
「あぁ、ここね、随分と下がってるねぇ」
「可能ですか?」
「えっ?なにが?」
「いや、水平になるかどうかですけど」
「なるよ」
腕の良い職人ほど、自らの仕事をいとも簡単に言う。
「家への負荷は、やはり相当なものなんでしょうね?」
「負荷?そんなものかかんないよ、瓦一枚落ちないから」
「でも、屋根瓦とか全部おろして軽くした方が」
「いやいや、そのままで、そのままで、あげるだけなら棲んでてもできるから」
「で、どのレベルまで水平になりますか?」
こう訊いた時、顔が険しくなる。
「どのレベル?一ミリでも下がっていれば、水平とは言わないだろ!」
「水平は、水平だよ」
かっけぇ〜!
周りを囲んでいた建築家も棟梁も大工も施主も、みんなでマジ・リスペクト!
こうして家あげ工事が始まった。
口で言っていたような簡単な工事ではない。
四班に分かれて、泊り込みで二週間かかるらしい。
こんな機会滅多とあるもんじゃないので、関係者皆で弁当でも食いながら見学しようと思っていた。
建築会社が請け負っている他の現場の棟梁も覗きにやってくる。
だが、実際の工事は、おそろしく地味で慎重な作業の連続だった。
ベリベリ、バリバリといった派手な工程は、どこにも存在しない。
家屋への負荷どころか、音すらしない。
別部屋では、壁の剥離作業を進めていて、そのヘラで壁面を擦る音が聞こえるほどに静かだ。
だが、しかし、家は着実にあがっていて、水平位置で次々に固定されていく。

最大あげ高二一センチ、見事に水平固定。
ただ一ヵ箇所、外側の基礎梁が中央で一センチほど膨らんでいる。
家癖といって、傾いた家を自力復元しようと頑張ったことによるものらしい。
「これは、俺たちにはどうにもならない」
「基礎を打ち替える際に、棟梁に引っ張り下げてもらうしかないな」
そう言いながら、仕様指図画を床板に描く。
なるほどね、家をあげれるけど下げられないんだ。
世の中には、面白い稼業があるものだと想う。
数々の家屋、文化財をあげて曳いてきた  “ 鈴木家曳業 ” は、現当主で五代目になる。
山形県で創業したが、大戦中に起きた鳥取大地震の災害復興要請を請けて鳥取へ。
以来、新潟地震を始め自治体に請われる度に尽力してきた建設屋なのだそうだ。
一度災害地に入ると、復興が終わるまで何年も現地で働いてきたという。
海辺の家をあげ終えた日も、鳥取には帰らず東京にそのまま向かうらしい。
国際救助隊 “ THUNDERBIRDS ” みたいな会社だ。

いやぁ〜、ありがとうございました!

 

 

 

 

 

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