五百二十二話 海辺の家を

義父へ、義母へ、そしてその娘へ。
海辺の家は、世紀を跨いで継がれてきた。
どっからどう眺めても立派な館ではない。
ちょっと大きなボロ屋だ。
そんな海辺の家だけれど。
足元で起こったあの大震災からも、頭上を覆った台風からも、家主とその家族をずっと守ってきた。
もう傷だらけで立っている。
義父が逝く一月前、晦日の晩にこの部屋で言った。
おそらく、ちゃんと話せた最期の時だったと想う。
「君に、ふたつ頼みがある」
「ひとつは、来月の巴里行きを取りやめてもらいたい」
「 もうひとつは、この家を頼む」
この家とは、当然義母と娘のことだろうと思ったけど違った。
「君ら夫婦は、仕事を引いたら此処でこの家で暮らせ」
義母は、気にすることはないと遮ったが、とにかく渡仏は見合わせることにする。
そして、言葉通り月と年が明けた一四日に義父は逝く。
問題は、頼みのふたつ目だ。
我家、実家、加えて海辺の家、こうした三軒の宅をどうするか?
考えるのも面倒なので、なるだけ考えないことにしてきた。
刻が経ち、もう考えずに済まされる歳でもなくなった今、改めて義父を想う。
遠州人らしい豪快で大雑把な気性は、亡くなるまでそのまま。
私事の何かに執着したりも頓着したりもせず。
合理を重んじ、懐古にも郷愁にも縁遠い。
なにより、感傷的に子供の人生や暮らしにあれこれ口を出すひとではなかった。
そんな義父が、遺した古屋を継いで、そこで暮らせと言う。
最期の最期でそう言遺したのだから、よほどの納得がこの家にあったのだろう。
他人が羨むような贅は、家屋のどこにも尽くされてはいない。
庭には、手間ばかり喰う古木が、我が者顔で何本も居座っている。
駅からは、急な坂を登りつめてようやく着く。
理詰めの悪態をつけと言われれば、いくらでもつける。
逆に、どこが良いの?と問われると、これがなんとも伝え難い。
だけど、こんな海辺の家を “ 終の住処 ” と決めた。
挙句、大層な建築家の先生に改築設計を依頼する。
「改築設計の基本主旨をお聞かせください」
そう尋ねられた。

一言で言うなら、都落ちだよ!

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