五百七話 藤田嗣治が遺したもの

すべての資産をつぎ込んで、それでも足りずに借金してまでも手に入れたいもの。
そこまでのものに出遭える機会は、そうはない。
でも、人生で一度くらいはあるかも。
ちょうど三〇年前、二八才当時、場所は巴里。
Saint Louis 島には、老舗の画廊が まだ多く立ち並んでいて、その店屋もそのなかの一軒だった。
硝子窓から覗くと、奥に立てかけてあった一枚の絵が目に入る。
うずくまった猫の素描で、F4号くらい。
ほぼ輪郭だけで、眼だけが 精緻に描かれていた。
藤田嗣治?
店に入って、恐る恐る店主に尋ねる。
Oui Léonard Foujita .
マジ かぁ! だけど、どこにも署名ねぇじゃん。
そう口にしたわけではなかったが、察した店主は、額装を解いて絵の裏面を見せてくれた。
仏語で三行くらいの文章に添えて、「嗣治」の署名が記されてある。
勤人の懐事情でおいそれと叩ける金額ではない、だけどそれでも無理をすれば素描作品なら。
C’est combien ?
相手もこんな若造が買うわけねぇだろうと思ったに違いない。
Est-ce que vous êtes japonais ?
日本人と知って英語に切替えてくれた。
This is not for sell.
画商が絵を売らない?
Monsieur Fujita should be in France.
and Work of Fujita should be also in France.
藤田は仏にいるべきで、藤田の作品もまた仏にあるべきだ。
初老の店主はそう言って、買わない客に。
額に戻した絵を古壁に掛け、その前に椅子を置き、珈琲を淹れてくれた。
Until all you want.
気のすむまで。
三〇年後の昨日。
大谷記念美術館で藤田嗣治没後五〇年展を観た。
藤田嗣治の心中を語る多くの私信も公開されている。
「私が日本を捨てたのではない、日本に捨てられたのだ」
戦時下において戦争記録画を描いた戦犯として、日本美術界から追放された藤田自身の言葉で。
戦後処理の生贄にされたことへの怨みが込められている。
日本を追われるように渡仏した藤田は、日本国籍を抹消し仏国籍を一九五五年に取得した。
名も Léonard Foujita と改め、以後仏人として生き一九六八年仏人として逝った。
その間の存命中、日本美術界が藤田の画業を正当に評価したことは一度としてない。
École de Paris を代表する画家として評価し、仏最高勲章を授け、画業を支持し続けたのは仏である。
没後、藤田君代夫人は、近代日本画家作品集への収録をお断りになられたと聞く。
もはや、遺族にとっても、近代美術史においても、藤田嗣治は日本人画家ではない。
Léonard Foujita という仏人画家なのだ。
画廊の店主が抱く藤田への想いもこうした経緯からだったのだろう。

Jean Cocteau と映る在りし日の Léonard Foujita 。
その姿も、生き方も、女遍歴も、そして作品も、最高に垢抜けていて格好良い。

藤田嗣治が遺したものは大きく、日本が失ったものも大きい。

 

 

カテゴリー:   パーマリンク