京都生まれ京都育ちで、京都で物書きをしている知合のおとこが言うには。
脂がのっていない鯖を押した鯖寿司ほど不味いものはないらしい。
異を唱えるのも面倒なので、そうだねと返したが。
実は、肉厚で脂がのり過ぎる鯖を押した鯖寿司ほど苦手だ。
加えて、表面を覆っている白板昆布もどうしたもんだろう?
昆布の旨味を付加するためだとか、青魚の臭みを和らげるためだとか、劣化を遅らせるためだとか。
いろいろと説はあるらしいが、どうもあのヌメッとした感じが食うに辛い。
鯖のべっとりとした脂と昆布のヌメヌメ感の重なりは、何故に?と思わざるをえない。
だが、始末の悪いことに味はことの外美味い。
ほんとうに残念な喰いものだと思う。
鯖にもっとも脂がのる季節は秋から冬にかけて。
そんなに脂がのった鯖が好きなのだったら、鯖寿司も冬に食えば良い。
そう思うのだが、京都人にとっての鯖寿司の旬は初夏から夏にかけてだとされている。
なるほど、お中元に鯖寿司をいただいても、お歳暮にいただいたことはない。
京都人には、祭りの日に鯖寿司を食する習わしが生きている。
初夏の葵祭り、盛夏の祇園祭り、晩夏を過ぎて間もない一〇月の時代祭。
どの祭りの日にも鯖寿司が、晴れの卓へと供される。
先日も、梅雨に入ろうかという京都を歩いていると。
「鯖寿司あります」と書かれたのぼり旗が、嫌でも目につく。
古い商店が建ち並ぶ通りだと、五分毎にはためいていて。
もう鯖寿司以外に食うものはないというほどの脅迫めいた風情が、街中を覆っている。
ここまでされると、そんなに好きでもない鯖寿司を口にしようかという気にさせられてきた。
数件の店屋の屋号が浮かぶ。
祇園「いづう」、八坂下「いづ重」、下鴨「花折」いずれも鯖寿司の名店として知られている。
そこで、考えてみた。
鯖の脂量と鯖寿司の値は比例しているのではないか?
肥えて脂がのった鯖ほど値が張るのだから、原価に応じて鯖寿司の値も張る。
白板昆布にしたってそうかもしれない。
肉厚の昆布ほど滑っていて、やはり値も張る。
脂と滑りを抑えたければ、買値を抑えれば良いのではないか?
ちょっと安値の鯖寿司であれば、具合良く食えるのではないか?
潜った暖簾は、東福寺山門前「いづ松」
誤解のないように言っておくけど、この「いづ松」も老舗であり名店だ。
祇園「いづう」から暖簾を分けられた先代は、現代の名工と称された寿司職人だった。
ただ、お茶屋通いの常連が集う親店とは違って、此処は庶民相手に営まれる駅前の寿司屋である。
看板の品は、鯖寿司。
竹皮に包まれた鯖寿司は、ずっしりと重い。
何切れからでもとご亭主から告げられたけれど、姿で一本の方が見栄えが良いのでそうした。
想定通りそんなに肉厚ではなかったが、用済みの白板昆布は早速にめくって外す。
滑りもさほどには気にならず、酢加減、塩加減、なにより鯖の脂加減もちょうど良い。
しっかりとした味で、そのままに食うのが旨いだろう。
いや、これは悪くない。
ひとそれぞれだろうが、僕にはこの塩梅がちょうど舌に合っているような気がする。
とは言うものの、「鯖寿司は、好きですか?」と訊かれて。
「はい、好物です」と返すには至らないのだけれど。
それにしても、京都の魚といえば、鯖に、鱧に、鰊といったところだろうか。
どうやら京都人は、妙に癖のある魚を好むようだ。
だけど 、やっぱり魚は、明石の鯛にはかなわない。