四百六十二話 日本特撮への挽歌

シン・ゴジラ
まだ公開中なので内容については言えない。
ただ劇場動員は盛況で評判もすこぶる良いと聞く。
気に病んでどうなるもんでもないけれど、ほんとうに良かったと思っている。
劇場経営者の一族に産まれて。
活動屋だった父に育てられ。
昭和という時代を過ごした。
そんな僕にとって、空想特撮映画は夢であり希望であり誇りでもある。
二〇一四年に Hollywood 版 「GODZILLA」が公開された。
圧倒的スケール感と卓越した VFX 技術による完璧な視覚効果。
また一部撮影には一九六〇年代初頭に使われていたヴィンテージ・レンズを用いるという懲りよう。
さすがに、これを観て。
それでも怪獣映画は日本の特撮だねと口にしたひとは、おそらくいなかっただろう。
だけど、しかしである。
「GODZILLA」は「GODZILLA」であって、やっぱり僕らの「ゴジラ」じゃぁない!
この違いを語るのは難しいのだが。
「GODZILLA」には、匂いがない。
怪獣の匂いではない、製作現場の匂いだ。
対して「ゴジラ」には、ゴムや火薬や機械油や汗の匂いが混ざった独特の現場臭が漂っている。
それは、戦後日本のどの街にもあった吹けば飛ぶような町工場に漂っていた匂いだったように想う。
勘と経験を頼りに工夫を重ねた職人達が、資金繰りに追われながら必死に注文品を仕上げる。
そうやって、ちょっとでも良いものをと腕を磨き頑張ってきた。
あがきにも似た愚直さが戦後の日本を支えていた。
かっこ悪く、鈍臭く、垢抜けない時代が、一九六〇年代にはまだ続いていたような気がする。
「ゴジラ」は、そんな時代に、そんな国に産まれた。
良くも悪くもその匂いが日本人の体臭であり、ゴジラの体臭でもあったんじゃないかなぁ。
「ゴジラ」が「ゴジラ」であるためには、この体臭をどう纏わせるか?
「GODZILLA」の洗練さとは異質の表現がなされなければならない。
妙に小洒落た今の日本で、「ゴジラ」を「ゴジラ」として撮れるひとは誰か?
一九六〇年日本生まれで、特撮映画の現場を知り、新世紀EVANGELIONを世に出した庵野秀明氏。
東宝幹部じゃなくとも、このひとをおいて他にないと考えるのは当然だろう。
僕でも思っていた。
二〇一二年に「館長 庵野秀明  特撮博物館」を観て。
特撮短編映画「巨神兵東京に現わる」を観て。
もし、このひとが空想特撮映画を撮ることがあって、もし、その作品が駄目だったら。
その時こそ日本特撮の引き際かもしれない。
「シン・ゴジラ」では C G が多用されており、かつての特撮映画ではもちろんない。
しかし、画面からは間違いなく特撮の匂いが漂ってくる。
それは同時に、日本人の体臭であって、さらに、ゴジラの体臭でもある。
その匂いを劇場で嗅いだ時。
特撮の神様円谷英二特技監督の遺伝子は、庵野秀明氏に正統に引き継がれているのだと思った。
観終わって、Credit Title を何気に眺めていて気付いたことがある。
野村萬斎?
どこに出演されていたんだろう?
後で知って驚いた。
シン・ゴジラの Motion Capture を担われたらしい。
能楽狂言師の首座が、ゴジラの動作を演じられたのだという。
一九五四年、円谷英二特技監督は、ゴジラの動きを Suit Actor 中島春雄に託した。
その渾身の動きを超えたといってもよい動きだった。
シン・ゴジラは、日本邦画界の意地で撮った本気の怪獣映画だと思う。
本作は、日本特撮への挽歌であり、日本怪獣映画への讃歌でもある。
一〇月には、北米での公開が決まっているそうだ。
米国人が観て、何をどう思おうが知ったことじゃないけれど。
これが、真・ゴジラだ!

シン・ゴジラ製作関係者の皆様、ほんとうにご苦労様でございました。

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