四百四十六話 もっとも残酷な画家?

世界一残酷な絵描きと称される画家がいた。
Edward Gorey  という米国の画家で。
その展覧会の切符を、老松町に在る絵本屋の女店主よりもらった。
店主の勧めもあって、観に行ったのだが。
この絵画展、ここ数年で観たどの展覧会よりも興味深く素晴らしく驚かされた。
正直、期待が薄かっただけに、その衝撃がより大きかったのかもしれない。
「エドワード・ゴーリーの優雅な秘密」
こう題された絵画展は、伊丹市立美術館で開催されている。
現実にはありえないことだが、あったら怖いこと。
Surréalisme とはそういった事だと思うが、Gorey の作品はまさにそうである。
実際の殺人事件に基づいて描かれたものもあるが、ほとんどが非現実世界での出来事だ。
不吉で、不気味な題材を、愚直ともいえる緻密さで描写している。
時をかけて丁寧に作品ひとつひとつを観ながら進む。
不吉で、不気味だから不快なのかというと、そうではない。
むしろ、静謐で気品すら感じられ、ゆっくりと Gorey の世界に浸されていく。
不思議な感覚で、こういった作品にありがちな強引さはまるで存在しない。
「優雅な秘密」とは、良い表現で、まさにそうだ。
それにしても、Edward Gorey が、こんなにも魅力的な線を引く画家だったとは。
線の集積が面であり、その面として絵画が成立しているのだと考えると。
どのような名画も、一本の線から始まる。
だから、画家にとっての線は、画業のすべてを左右する大事なのだと思う。
Gorey の描くちいさな画面から放たれるただならぬ気品の所以。
それは、やはりその一本一本の線に宿っているのではないか?
いやぁ〜、ほんとうに素晴しい!
Edward Gorey が、どんな人物だったのか?を、恥ずかしながら初めて知った。

相当に風変わりな画家だったのだそうだ。
亡くなったのが、二〇〇〇年だからそんな昔のひとというわけではない。
眼は青く澄み、豊かな長い髭を蓄え、タートル・ネックのセーターに毛皮のロングコートを羽織る。
指にはドーナツのような真鍮製の指輪をいくつも嵌め、足元は白いスニーカー。
大柄な Edward Gorey は、いつも同じ格好だったという。
その風貌は、ヒッピーのようでも、一九世紀末の紳士のようでもあったとか。
そして、さらに興味深いことを知る。
自分が生まれる前の時代にしか興味がない人だったらしい。
Boston 近郊の Cape Cod、鬱蒼とした庭をもつ築二〇〇年の邸宅に愛する猫達と暮らして。
二七〇〇〇冊の蔵書に、美術品に、古道具に、硝子瓶に、集めた石ころに囲まれて。
Nostalgia (精神病理学上の懐古)を患いながら、画家として作家として立派に生きたのだと聞くと。

同じ病を患う者として、少しでも見習いたいものだと想う。

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