四百四十七話 簡単に喰えない飯屋

簡単に喰えない飯屋というのがある。
まぁ、理由はいろいろだが、客にとっては面倒な飯屋だろう。
面倒なので、そういう飯屋には日頃から訪れないように心掛けているのだが。
どうしてもというところも中にはある。
此処、松濤の仏料理屋 Cuisine et vin Aruru もその類の飯屋だった。
とにかく人気で予約が難しい。
何度予約を入れても取れない。
以前、Aruru のオーナー・シェフ山本夫妻と桜木町の居酒屋で偶然隣合わせたことがある。
ちょうど Aruru に予約をしたが駄目だった晩で、大人気ないと思いつつそれを告げてしまった。
とても感じの良いご夫婦は、恐縮されながら。
「ほんとに申訳ありません、懲りずにまたよろしくお願いいたします」
その晩は定休日だったので仕方ないが、それからも数度挑んでみたもののやはりありつけなかった。
ちょっと前になるが。
そんな Aruru に電話すると、ひとつだけある外の卓なら大丈夫だと言う。
「マジでぇ!良い!良い!外でも、内でも、なんなら厨房でも、どこだって構わないから」
「飯屋に雰囲気なんか求めないおっさんだし、外で飯喰うの慣れてるから」
Aruru といえば岩手の南部鉄器料理だと聞いていた。
なので、Cocotte から始める。
Cocotte とは、その名のとおり仏版鉄鍋料理であり、野獣野鳥などの煮込んだものが多いように思う。
電子レンジすら使えない素人が言うのもなんだけど、そう難しい料理ではないだろう。
だけど、此処 Aruru の鉄鍋料理は、一般的に想像するそれとは明らかに違っている。
菜の花 soufflé を注文したのだが。
とにかく度を超えてフワッフワッなのだ。
それでいて、寝呆けたような味ではない。
しっかりと力強く旬の味を伝えてくれる。
Aruru では、多くの料理に南部鉄器の鍋が使われているが。
それぞれが個性的に仕立てられていて、途中で飽きるといったようなことはない。
鉄鍋ひとつで、これほどの流れを表現出来るところに、魅力と面白さがあるのだと感心させられた。
主菜には、前菜とは真逆の歯応えを期待して子羊を注文する。
合わせて、なにか土臭いワインで良いのがないか?と尋ねてみた。
「 実は、ちょっと一般的ではない変わった BIO ワインが手元に届いているんですが」
「それって、土臭いの?」
「土臭いっていうか、言葉を選ばずにお伝えすると、ドブの臭いですね」
「ドブ?」
僕は、ソムリエにお勧めを尋ねて、ドブの臭いがするワインと返された経験はない。
これを、ふざけるな!と捉えるか?興味深い!と捉えるか?
よほどに客を見極めて口にしないとえらい始末を招くことになる。
このおっさんなら、これくらいのことを言っても差支えないと判断したんだろうけれど。
それにしても、飯時にドブとは?きわどい接客を挑む飯屋もあるものだ。
「じゃぁ、そのドブ臭いのを」
グラスを口に運ぶ手前で、ひどく臭う。
「どうですか?」
「う〜ん、確かにドブの臭いだね」
「でしょ!僕も最初びっくりしたんですよ」
が、子羊を頬張りながら流し込むと絶妙の味わいになる。
だからといって、臭いが中和されるわけではない。
逆に、獣臭が強くなっていくような気もする。
他人に勧めるつもりにはなれないけれど、僕的にはアリだった。
Aruru という飯屋は、なかなかにアクの強い飯屋だ。
成熟した日本でも、東京はさらに格別で、松濤はその東京でも最たる土地柄だろう。
通り一遍の旨いものを供したところで、誰も驚かない。
一か八かの綱を渡らなければ客は来ない。
その道理を、Aruru の山本御夫妻はよく心得られているんじゃないかなぁ。
「本日、オーナーの山本は別店舗におりまして不在にしております」
「先日のお詫びにといってはなんですが、食後にお召上がりください」
そして帰り際、角を曲がるまで若いスタッフの方々が頭を垂れて見送ってくれる。
知恵を巡らせ、手を尽くした料理が功を奏して評判となっても客に隙を見せない。

この調子だと、Aruru で簡単に飯が喰える日は当分の間こねぇなぁ。

 

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