四百三十二話 そして、神戸

そして、ひとつが終わり。
そして、ひとつが生まれ。
夢の続き見せてくれる相手探すのよ。
ってかぁ?
一九七二年暮、神戸中のおっさんが口遊んでいたのを憶えている。
千家和也先生作詞の「そして、神戸」
当時は、馬鹿じゃねぇの?と軽蔑していたけど。
妙な具合で、つい口を衝いて出たのがこの歌だった。
う〜ん、プータロウの気分ってなものはこんなものか?
まぁ、正確に言えばそうではないのだけれど、気分としてはそんな気分でいる。
この日も、学生時代の先輩が経営している大手会計事務所で用事を済ませて。
いつもなら、蜻蛉返りで店に帰るところだがその必要もない。
久しぶりというか、何十年か振りに北野町を歩いてみる。
会計事務所の在る三宮から北野町まで、一五分ほど坂道を歩いて登る。
路行きに覚えはあるのだが、風景は震災の前と後では大きく変わっていて。
懐かしさを憶えるというには至らない。
山本通りの南辺りで、昔馴染んだ場所に出逢う。
Kobe Muslim Mosque
この地に日本で最初のモスクが建てられたのは一九三五年のことである。
この界隈には、今でも印度人が多く住っている。
真珠に、繊維に、不動産を手広く商っている連中で、商いは結構上手なのだときく。
確か、この通りのどこかにこじんまりとした印度料理屋があったけど。
四〇年近く前の話で、学生時代嫁とよく通った店屋だった。
日本人家族で営まれていた飯屋だったが、客のほとんどが近所の印度人で占められていた。
口うるさい印度人が大人しく食っていたんだから、味はそれなりに本格的だったのかもしれない。
在った!

Restaurant DELHI
定休日で閉まっていたけど、あるにはあった!
こんな店屋がと言っては失礼だが、よくこうして残っていてくれたもんだ。
消え去った風景を彷徨った挙句、ようやく記憶の欠片を拾ったような不思議な気分になる。
嫁が、時間ができたらやってみたいことがあるという。
ちょっと洒落た格好をして異人館辺りの飯屋や BAR を巡りたい。
「ねぇ、来週でも DELHI に行かない?」
「いいけど、DELHI ならべつに洒落て行くこともないじゃん」
「まぁね、でもやっぱり DELHI に行かない?」
当時より、自由に使える銭はある。
今では、DELHI よりもっと本格的で旨い印度料理屋はあるのかもしれない。
だけど、それでも、DELHI に。
嫁のそれはわからなくもない。

帰り路。
DELHI の角を曲がって、鯉川通りの一本東側の坂を下る。
そこには、なにも変わらない坂が海へと続いていた。

そして、神戸かぁ。

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