四百三十一話 なんとかしないと

最期のお届けに。
そう言って、顧客様が採れたての野菜を山のように届けてくださった。
白菜
ブロッコリー
セロリ
人参

蓮根
菊菜
キャベツ
など。
どれもこれも特別に丹念に育てられた希少な野菜で。
スーパーやデパ地下で売られている粗略な代物とはわけが違う。
喩えば。
この葱は、原種の葱で “ 難波葱 ” という。
今では痕跡の欠片もありはしないが、その昔難波一帯は葱の一大産地だったらしい。
その難波葱が、京では九条葱となり、江戸では千住葱となる。
蕎麦屋で供される “ 鴨なんば ” の “ なんば ” は、難波ということなのだそうだ。
大阪に暮らして半世紀を超えるというのに、小耳に挟んだことすらない。
ものを知らないというのは怖い。
人参は人参で奇妙なかたちをしている。
先が二股に分かれていて、ひとの形に似ている。
形がひとに似た高麗人参が高値で取引されると聞いたことがあるが。
こういうことなのかも知れない。
大阪の南、岸和田で産まれた品種で彩誉というのだそうだ。
生で食べてみた。
人参特有の臭みはなく、とにかく甘い。
熱を通せばさらに甘いらしい。
どれもこれも大阪の地物で旨い。
だけど、育てるのは大変なのだときく。
三六五日朝から晩まで働いても追いつかないほどの労苦を積み重ねた末に成るのだと言われる。
そして、儲けはほんとに薄いのだと笑っておられた。
立川談志さんが遺された言葉を思い出した。
この方ほど理論と感覚をもって物事の本質を射抜く力量を備えた天才を他に知らない。
僕は、そう思っていまでも尊敬している。
談志さんは、晩年田圃を購入されて百姓に教わりながら自ら稲を育てられていた。
「背広着て算盤弾いて稼ぐ銭と百姓が汗水垂らして稼ぐ銭が同じ価値だというのは納得いかねぇ!」
「百姓の銭の方が三倍ほどいろんなもんが買えるような世の中にならねぇもんかねぇ」
まったくその通りだと思う。
たいした目利きもできない素人風情が、量販店や百貨店の名刺を翳して生意気にものを買い付ける。
そもそもなんにも知らないのだから、味噌も糞も一緒くたにして売る。
客が訊いても、まともに返せない。
それでいて、月末には給料をせしめて帰る始末だ。
爪の先ほどの罪悪感でもあればまだ可愛いのだが、それすらもなく当たり前だと思っている。
なので、生産者を前にあれやこれやと注文だけはつける。
皆が皆そうではないのだろうけど、僕の中ではそういう救い難い印象だ。
なんとかなんないものなのか?
まぁ、僕も口先で生きてきた人間だから偉そうなことは言えないけど。
その自覚もあるし、反省もしてますよ。

それだけに、なんとかしないと。

 

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