四百四話 御庭番

一七世紀頃、御庭番衆と呼ばれる者達がいたらしい。
江戸城本丸の庭を番するという名目で、市中の情報収集や雑事を引受けていた。
間者とか忍者とかと後世に伝えられているが、そこまでの裏組織ではなく。
意外と陽の当たる職で、職位も高かったようである。
その江戸城から比べると蟻の巣にも満たないこの海辺の家なのだが。
御庭番らしき者が出入りしている。
八◯歳を超える老庭師で、若い衆を連れて季節毎にやって来る。
家人が留守だと勝手に入って仕事を済ませ戸締りをして帰ることもある。
庭師だからといって庭仕事だけを担っているわけではない。
屋根の修理、扉の不具合、配管の詰まりから空調器の故障まで。
義母は、内も外も家に関わるすべてを頼って暮らしていた。
夜中の頼み事にも朝を待たずに駆けつけてくれたと聞く。
そうした関わりは、歳月にして六◯年を超える。
だから、義母が逝ったと伝えた時の落胆ぶりにはかける言葉さえなかった。
先日、海辺の家に帰ると勝手口の前で老庭師が胡座をかいている。
弟子の剪定具合を眺めているみたいなので声をかけた。
「久しぶり」
小さく頷いただけで返事はない。
相変わらず愛想の欠片も持合せていない爺さんである。
「相談したいことがあったからちょうど良かった」
「なに?」
「この家を解体して昔のままに再建築したいんだけど」
「えっ?」
「だから、当時の部材を当時のやり方で組み直したいわけよ」
「漆喰壁から柱まで徹底的に修繕して、庭もそのままに残す」
「床材やら天板など追加する建材は今から集めるけど、要は大工職人を集められるかどうか?」
「ほんまに?ほんなら、この家を残すのんか? 」
「かえでちゃんも、戻ってくるんか?」
庭師は、嫁のことを今でもかえでちゃんと呼ぶ。
「まぁ、そうなるだろうけど 」
「そんなもん出来るに決まってるやん!一緒にやったらえぇ!ずっとそなしてやってきたんや!」
それから一時間、勝手口の前で老庭師の講釈を聞く羽目になる。
あそこの工務店は代が変わったけど、昔ながらの工法で腕は落ちていないとか。
左官仕事は積むならあいつで、塗るなら別の奴が良いとか。
自分になら出来るけど、石積みは今では難しくもうこの辺りにはふたりしか職人はいないとか。
気難しく無口だという評判 からほど遠い始末だ。
ただ恐ろしく事情に通じていて。
何時?誰が?どんな仕事振りだったか?ということを仔細に記憶している。
ふ〜ん、御庭番とはこうしたものかぁ。
話の最中、通り過ぎた嫁の後ろ姿を眺めながら。
「かえでちゃんは、ほんまに変わらへんなぁ」
「膝丈くらいにちっちゃい時から儂の後をついてまわっとったけど」
「よちよちしとった頃から、歩き方まで一緒や」
爺さん、半世紀も経った今それはないだろう。

あの歩き方は、このところの力仕事で腰を痛めてるからだよ。

 

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