三百七十三話 元禄バブル

海辺の家には藤の老木が生えていて、四月も末になるとこうして咲く。
色っぽくて、艶やかな立姿でしょ?
一九三七年、昭和の名役者六代目尾上菊五郎は “ 藤娘 ” を演じた。
かつて五変化舞踊のひとつだった “ 藤娘 ” を独立させ、演出を一新させる。
新解釈では “ 藤娘 ” は藤の精として表現され、日本中に広まった。
以降、現在でもそのように承知されている。
だが、本来の藤娘はどうだったのかいうと。
妖精ではありません。
遊女です。
噺は、忠臣蔵で知られる赤穂事件が起きた元禄時代まで遡る。
空前の好景気を背景に、京の金持ちの嫁や娘が大枚をはたいて物見遊山に繰り出す。
おそらくは、大衆レジャーというものが初めてこの国に芽生えたのはこの頃だと思う。
皆がこぞって派手な装束に身を包み、とにかく他人より目立つことがカッコ良いとされた。
その様子を眺めていた遊女達。
素人衆に負けじと、より派手により目立つ格好へと凝り始める。
さらにその様子を眺めていたのが、近江国大津の又平という絵師。
片肌脱いで色っぽく藤の枝を掲げた遊女を写した戯れ絵を描く。
人気となり大津名物として国中に広まったという。
時は元禄、世はバブル。
今も昔も浮世の有り様は変わらないのだと思う。
一九八六年からの平成バブル景気もそんな感じだった。
男も女も着飾って、いい酒を飲み、旨い飯を喰い、物見遊山は海外へ。
ひとが思わぬ銭を手にしてやることといえばそんなところだ。
平成バブル景気の結末はご存知のとおりだが、元禄バブル景気はどうだったんだろう?
元禄が終わり時代は享保へ。
倹約政策で暮らしぶりは地味になり、それまで続いてきた人口の増加は止まった。
商業出版が生まれ、情報革命が起きる。
この辺りも現代と似ているかもしれない。
デフレに、少子化、インターネットといった具合だ。
では、流行という視点からはどうだろう?
元禄時代の派手な装いは野暮だとされた。
代わって、“通”  “粋” “洒脱” などの言葉が産まれる。
今様に表せば、Normcore みたいな感覚である。
かように、元禄と平成のふたつのバブルは成立ちから結末までよく似ている。
昨今、経済評論家と称する胡散臭い輩が、バブルの再来を懸念しているとか論じているけれど。
バブルなんて、景気循環の過程で起きるちょっとした変事に過ぎないのだと思う。
騒いだり、畏れたりするもんじゃないだろう。
人生のひと時、皆で浮かれて過ごしてなにが悪い。
僕は、断然バブル肯定派だ。
およそ、価値ある大衆文化の隆盛は好景気の中から生まれるものだと信じている。
絢爛な元禄文化を象徴する琳派みたいに。

それに比べて、デフレ下の Fast Fashion なんて語る気もしない。  

  

 

 

 

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