三百七十話 零れ桜

“ 零れ桜 ”
海辺の家に咲く桜です。
姥の一本桜で、咲いては散り、散っては咲きを半世紀に渡って繰り返してきました。
庭では、齢一◯◯年を超える山桃に次ぐ年寄りなのだが。
その艶姿は、こうして健在である。
喪中であった昨年は、嫁とふたりで寂しく団子を食って眺めただけだった。
それだけに、喪が明けたこの春には花筵を敷いて縁のあるひと達を呼びたい。
そう想っていた。
そう想ってはいたけれど、夫婦で仕事を抱えている身でたいしたもてなしができるわけもなく。
BBQ とチーズ・フォンデューで我慢してもらうことにする。
親戚や友人がやって来てくれた。
遠方からだったり、勤めを昼から切り上げてだったり、無理の利かない年齢だったり。
儘ならない事情をやりくりしなければならないひともいる。
それでも。
二◯歳から八五歳までのひとが集い昼酒を飲み肉を喰ってそれぞれが気儘に楽しんでいる。
肝心の桜を見上げているひとは少なかったけど。
まぁ、花見の宴なんていうものはそんな感じで良いのだろう。
家主が壮健だった頃、この家には大勢のひとが訪れ賑わった。
そんなひと頃に戻ったように、ボロ屋も華やいでいる。
この古屋には、ひとが羨むようなものはなにもない。
そこがまた良いのだと思う。
こんな桜があるじゃないか!と言うひともいるかもしれないが。
この姥桜の世話を一年でも焼けば、大抵の者は根を上げるに違いない。
此処は、気兼ねなく訪れて、気兼ねなく過ごせて、それが当たり前だと思わせる家である。
昔、ひとかどの方が、廊下で呑んだくれていたくらいだから。
ひとも家も出来ればそんな風でありたいと思っている。
この歳になると、他人に同情されるのも、逆に羨まれたりするのも面倒だ。
くだらない見栄も若い頃なら張り甲斐もあるが、歳を喰えば切なくなる。
気さえ合えば、誰とでも構えることなく隔たりなく付き合いたい。
義理の父母もそんな想いで、この古屋を遺してくれたんだろう。
だから継ぐ者は、この家が纏う開け放たれた気風を閉ざしてはならないのだと思っている。
この零れゆく桜も、婆になっても頑張ってくれているのだから。
帰りがけに言ったひとがいる。
「 次は、藤が咲く頃にまた来るわぁ」

マジかぁ? 待ってます。

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