四十三話 紅茶

以前に、お金持ちの知り合いから、高級な茶葉を戴いた。
First Flush といって春摘みの茶葉らしい。
ずいぶん昔の出来事を思い出した。
大阪万博の翌年だから、一九七一年、四十年前になる。
当時、家から近いという理由だけで、ちょっとした名門の小学校に通っていた。
十年前、報道を賑わせた不幸な事件が起きて、多くの幼い命が奪われた小学校である。
僕みたいなベタベタの庶民に混ざって、関西を代表する名家の子女も多く通う。
その中に、帰り道が同じで、仲の良かった女の子がいた。
繊維事業で財を成した裕福な家に育ち、女優張りの母親に似た可愛い子だった。
夏休み前の日曜日、その彼女と映画を観に大阪に出かけた。
想えば人生初デートだったかもしれない。
観たのは、英国映画で、“ Melody Fair ”だったと思う。
チキン拉麺みたいな頭のマーク・レスターという子役が主演を努めていた。
帰りに家まで送っていくと、美しいお母さんが寄っていきなさいと言う。
たいそうな洋館の一室で、彼女と向き合って座っているとメイドさんが入って来た。
⎡紅茶、何になさいますか?⎦
⎡アッサム? ダージリン? ウヴァ? 今日は、アールグレイは切らしてますけど。⎦
何言ってんだ? この人。
しかし、彼女の手前ここでオドオドしてはいけない。
見栄と胸を張って答える。
⎡リプトンをお願いします。⎦
呆れたメイドさんが、少し経って紅茶をポットで運んで来た。
僕は、彼女に訊いた。
⎡お前ん家の紅茶、紐無いね。⎦
⎡えっ、紅茶に紐?⎦
彼女が不思議そうな顔をすると、メイドさんが答えた。
⎡お嬢様、ティー・パックといって、近頃流行のインスタントみたいなものです。⎦
⎡私、それ飲んでみたい。⎦
メイドさんが、睨むように言った。
⎡この家には、ございません。⎦
僕は、彼女にそっと伝えた。
⎡今度、俺ん家で飲ませてやるよ。悪いけどこれより旨いよ。⎦
約束を果たせないまま数年が過ぎた頃、彼女に偶然出遭った。
お互い高校生になっていたが、約束された美しさは、さらに磨かれていた。
今では、さすがにオバサンだろうけど。
紅茶の木箱を眺めながら、ふと想った。

元気で、幸せに暮らしているかなぁ。

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