四十六話 しながわ 翁

京浜急行電鉄の北品川駅で降りる。
京急の中で最も乗降客が少ない駅とあって、この日もホームに人影はない。
跨線橋を渡って、南側にひとつしかない改札に向かう。
かつて、ここが品川駅を名乗り始発駅だった頃の面影はない。
踏切を越えて北へ行くと、北品川本町商店街に出会う。
立て替えられた新しい建物の一階部分が、商店として軒を連ねている。
佇まいは新しいのだが、不思議と“ 宿 ”の風情が感じられる通りだ。
商店街を横切り、八ツ山通りを渡ると、戦前の時代へと風景が逆に流れる。
ビルに囲まれた猫の額くらいの界隈に、書き割りのような昭和初期の姿がある。
その一角で、ポツンと一軒の蕎麦屋が営まれている。
屋号には、“ しながわ 翁 ”とある。
⎡翁⎦と掲げているのは、目白にあった伝説の蕎麦屋“ 翁 ”に連なるお店かも。
知んないけど。
この蕎麦屋さんは、店の二階にある石臼で蕎麦の丸抜きを挽いて手打ちしている。
前にも書いたが、僕は無類の蕎麦好きである。
十割でも二八でも、挽きたて、打ちたて、茹でたて、さえ守って戴ければ大丈夫。
“ 旨い ”の許容範囲が広い、蕎麦屋にとっては適当にあしらえる単純な蕎麦好きである。
食べるのに大盛りで二分足らず、喰い終わればすぐ立ち去る。
蕎麦の産地にも、大してこだわらない。
頑張って蘊蓄を語る気もない。
だから、店の近所に居る気難しい蕎麦屋の親爺とも二十年以上の仲良しだ。
さて、話は “ しながわ 翁 ”。
いつもは、鴨ざる蕎麦だが、この日はもり蕎麦の大盛りを注文した。
良質の玄蕎麦なら二八でも充分美味しいという事を証明してくれる。
というより、鼻に抜けるようなサッパリ感は、二八ならではなのかも知れない。
出汁は、少し辛口で、鰹の香りも程良くすっきりと切れが良い。
薬味も、葱、山葵,辛み大根、選りすぐられている。
若い店だが、騒がれるだけの事はあるなぁ。
ただ、蕎麦本来の味だけど、もう少し強い方が良いんだけど。
それが、蕎麦湯にも言える。
ちょっと弱い感じが。
いや、美味しいんですよ、文句無しですよ。
まぁ、名画の額縁に付いた米粒ほどもない油染みみたいな話ですよ。
所詮、素人の的外れな好みの問題です。
お気になさらないで下さい。
これからも、寄せて戴きます。
ごちそうさまでした。

あれ? 何んか忘れてるぞぉ。
そうそう、中野靖君に会いに来たんだった。
危うく、蕎麦喰って、大阪に帰るとこだ。
しょうがない、行くか。

北品川 屋号 : しながわ 翁

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