四十九話 ふたつの世界

⎡良いギンガム・チェックの生地が出来てるんですけど。⎦
—けど、何なんだ。
今、公私ともに忙しい。
この男の妖しげな誘いに乗ってはいけない。
なのに、来てしまった。
昼過ぎ、先週に続いて芝浦ウォーター・フロントのビルに。
⎡どうもで~す。⎦またまた、ANSNAM の中野靖君だ。
生地の切れ端をヒラヒラさせながら登場する。
⎡どうです?⎦
⎡どうですって? ギンガム・チェックの話じゃないの?⎦
⎡だから、これがギンガム・チェック生地だって言ってんですよ。⎦
あんたが、いきなりイラッとしてどうすんだよ。
早めに話を整理しておこう。
ギンガム・チェックとは。
経糸と緯糸との構成が全く同じで、細かな格子柄を特徴とする織物である。
そもそもにおいて、目の前にある生地はストライプだ。
縞であり、ギンガム以前にチェックですらない。
そのストライプ生地に、流水文様みたいな柄がハンド・プリントされている。
少し離れて、裏面の柄を透かすように見てみる。
まさか、下地のストライプと緯方向に施された流水文様が重なってチェックになる?
⎡そこが一番の狙いですね。解りましたぁ?⎦
⎡解る訳ねぇだろうが。暗号みたいな生地を創るんじゃない。⎦
⎡ところで、一番というからには、二番もあるの? もう、訊きたくもないけど。⎦
薄い生地の表面が妙にボコボコしている。
強度の縮絨加工を施したらしい。
それにしても、作り手と同じく、不思議な風合いと面をした生地だ。
嫌な予感がして、生地値を訊いた。
⎡高けぇ~。で、これから何創るの?⎦
⎡何創りましょうか?⎦
⎡えっ、話そこから。⎦
結局、何かが決まった頃には日が暮れていた。
⎡悪いけど、俺、これからショーに行かなきゃなんないから帰るわ。⎦
今日は、“ ファッション・ウィーク東京 ”の最終日。
Mastermind JAPAN の本間君が、参加全ブランドの最後に大トリを務める。
芝浦から六本木ヒルズにタクシーで向かう。
途中、赤く浮かび上がった東京タワーを眺めながら想った。
三十センチ四方の端切れを前に、大の男が真剣に惑う。
重箱の隅を突つくような地味な世界。
一方、会場を埋め尽くす観客と、着飾った著名セレブ達が脇を固めるランウェイ。
ファッション・ショーという名の絢爛な世界。
全く異質なふたつの世界。
しかし、どちらも目の前にある現実。
芝浦運河から六本木ヒルズへ、地味から絢爛へと、今日の切り替えはきついなぁ。

俺も、そろそろ歳かもなぁ。

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