七十七話 港街のパン屋

⎡浪速っ子⎦と⎡神戸っ子⎦という呼名がある。
なんとなく⎡浪速⎦には無い西洋的な洒落た響きが⎡神戸⎦にはあった。
僕は⎡浪速っ子⎦で、嫁は⎡神戸っ子⎦ということになるのだが。
学生時代、同級生だった嫁に連れられて神戸のパン屋に向かった。
さほど大きな構えではないが、独特の親しみと風格が漂う店だった。
店主と職人、メイド姿のおばさんが立働いている。
御客さんは元居留地に住まう外国の御夫人と上品そうな日本人が半々くらい。
パンには、英字で名が記されており予約品として引渡される。
⎡あの人が、フロインドリーブさんだよ⎦
⎡なに人?⎦
⎡独逸人だって⎦
⎡ふ~ん、いつもこんなとこのパン食べてんだぁ⎦
⎡いつもじゃないけど、神戸じゃ珍しい店じゃないよ⎦
所変われば品変わるって言うけどほんとそうだな。
僕んちの行きつけのパン屋は⎡矢島ベーカリー⎦。
店主は矢島さんというおばちゃんで、残念なことに独逸人ではなく多分日本人だ。
僕は、⎡石松おばちゃん⎦と呼んでいたけど。
当時、弟分の渋い甲羅を纏ったニホンイシガメが庭の池にいた。
家人呼ぶところの⎡石松⎦という。
この⎡石松⎦に、餌としてパンの耳を袋に入れて用意してくれるのが矢島さんだった。
⎡いしまつさま⎦とひらがなで書かれていて、ちょっとした予約品ともいえる。
亀だけど。
先日、久しぶりにお邪魔した。
“ GERMAN HOME BAKERY H. FREUNDLIEB ”
久しぶりとなったのは、阪神淡路大震災によって休業、その後店が移転されていたから。
今は、ヴォーリズが設計した旧神戸ユニオン教会で営まれている。
何故、かつての場所から移転されたのかを知る。
ユニオン教会は廃墟同然となり、取壊されようとしていたらしい。
フロインドリーブ夫妻が、自らも結婚式を挙げた教会を残そうと買取り店とされた。
Herr Heinrich Freundlieb は、戦争捕虜として来日し、一九二四年神戸にて開業した。
二度の世界大戦、戦中戦後を生抜き、阪神淡路大震災では休業を余儀なくされた。
相応の御苦労がお有りだったと想う。
それでも、創業の地⎡神戸⎦に尽力されている。
街場の名店とは斯くのごとし。
爪の垢でも煎じて飲まなくてはいけない。
現オーナーは、二代目の御嬢さんヘラ・フロインドリーブ・上原さんが務められている。
新たな店も素晴らしいの一語に尽きる。
肝心のパンの味について、 ⎡浪速っ子⎦の舌で語るのは憚られるが。
独逸人の血統によるのか、店の剛健な歴史によるのかは知れない。
しかし、フロインドリーブのパンについてこれだけは言っても許されると思う。
ふわふわが流行とか、もっちり感がいけてるとか、そういった類の代物ではない。
変わらない事への、また変えない事への、誇り高い力強さがある。
気取った言い方で恐縮だが、ほんとそうなんだから。
一九九五年一月十七日、神戸市中央区中山手通り一丁目。
⎡ にしむら珈琲店⎦とその隣りにあった⎡フロインドリーブ⎦は瓦礫と化した。
⎡神戸っ子⎦が愛したふたつの味が消える。
もちろん、僕にとっても、嫁にとっても、母にとっても、大切だった。
しかし、ふたつの味は、変わらぬ味として蘇り十七年後の今もこうして味わうことが出来る。
街場には、⎡亡くしてはならない味⎦があるのだと思う。
港街に在る一軒のパン屋にそんな味が残っている。

ハインリッヒ・フロインドリーブさん、我が青春の港街をこれからも見守って下さい。Danke schön.

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