八十六話 服装術

⎡鞄持ち⎦って言葉があるけど、今でも使われているのかなぁ?
⎡主人の鞄を持って供をする人⎦みたいな意味なんだろうけど。
僕も、勤め人だった二十代の頃、ある人の⎡鞄持ち⎦をやっていた。
本当に面倒な人だったが、洒落た人でもあった。
京都芸術大学を卒業し、紡績会社に入社。
戦後の国費特別留学生としてイタリアの地で産業デザインを学ぶ。
帰国後、日本メンズ・ファッション界の振興に深く関わった。
銀髪、細身、喋りは日本語、英語、伊語を流暢にこなす。
常に皺ひとつないグレー・スーツ・上質ブロードの白シャツに無地のタイを纏っている。
スーツは、ローマの仕立屋が手掛けていた。
指には、⎡六郎⎦の名に由来する⎡6⎦を紋章としたリング。
ミラノに在住する世界的現代彫刻家が地金から削り出したという。
抱える鞄は、英国 Tanner Krolle 社製の Clutch Bag
徹底して変わらないスタイル。
飲屋だろうと、何処だろうと、人前で上着は脱がない、ネクタイも緩めない。
仕事だけでなく、寿司の喰い方から、バーでの飲み方までを教わった。
年寄り臭い言回しになるが、良い時代だったと思う。
⎡大人らしい大人⎦にかろうじて出逢えた時代。
当時こういう人の⎡鞄持ち⎦だったから、着るものには無理をした。
財布に数千円しかなくても、身繕いだけはやりくりした。
今のやさぐれた格好とは大違いだ。
俺も落ちたなぁ。
それにしても、いつの頃からだろう?
男も女も、大人と子供が同じような格好するようになったのは。
たかが服なんだから、好きに自由に着りゃ良いんだけど。
ちょっと寂しい気もする。
子供が大人の真似するんならまだ救われるけど、その逆はいただけない。
多分、俺たち⎡服屋⎦が悪いんだろう。
駆出しの頃、⎡服飾術⎦について説かれたことがある。
男の服装は、感覚に頼るんじゃなくて、術で魅せなければならない。
“ Sense ”よりも、“ Technical ”な面が大切だという。
この⎡服飾術⎦、実は結構厄介なものでもある。
ファッション雑誌等の何処が頭か尻尾か解らない能書きを読んでも身につかない。
何故なら、容姿はもとより、年齢、職業、嗜好によって、対象は千差万別である。
⎡服装術⎦は個々にカスタマイズされたものでなくてはならない。
また、自分が一番自分のことがよく解らないという難解さもある。
⎡こうやって偉そうに言ってるんだから、お前はさぞちゃんとしてるんだろうな?⎦
と問われると、これが残念な風体になっている時がよくある。
⎡占い師が自分の行末が見えない⎦というのに近いかも知れない。
まぁ、胡散臭さでは似たような業界だからね。
⎡じゃぁ、自分に向いた服装術はどうやったら身につくんだ?⎦と言うと。
そこで登場するのが⎡服屋⎦である。
いや、あるはずだったんだけど。
本来⎡服屋⎦とは、顧客に向けた⎡服装術⎦を施術し商品に付加するのが仕事であろう。
それで大枚を頂戴するという稼業でなければならない。
この面倒な作業を、アルバイトとかに任せようっていうんだから乱暴にもほどがある。
でもって、結果こういう駄目駄目な始末になっちゃったという話じゃないかなぁ。
⎡服屋⎦も、もうちょっと精進しなきゃなんないよねぇ。
もう、今更って話でもあるけど。
ところで、写真のモノ気になりませんか?
次回の話で御紹介させて戴きます。

こいつ、変体するんですよ。変態じゃないよ。

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