八十九話 豚組

あ~あ、な~んもやる気しねぇ。
それでも展示会だって言うから行く。
⎡蔭山さん、なんかお疲れじゃないですか?⎦
⎡うん、そうかもね⎦
⎡お加減でも悪いんじゃないですか?⎦
⎡そんな感じするぅ?じゃぁ、そうなんじゃないのぉ?⎦
⎡今回のうちのコレクションどうですか?⎦
⎡別に良いんじゃないの、よくわかんないけどぉ⎦
返事するのも面倒臭い。
⎡週末、何か旨いもんでも喰いに行きますか?⎦
⎡うるせぇ、俺の前で食いもんの話するんじゃねぇ⎦
もう無理だ。
ビアシンケンと、菜と、パンの食生活が一週間余り続いた。
減量という名の拷問だ。
生地獄だ。
我慢の限界だ。
タクシーに飛乗る。
⎡運転手さん、西麻布へお願いします⎦
⎡出来るだけ急いで下さい⎦
西麻布の交差点から、根津美術館方向に少し入ると豚がいる。
いや失礼、究極のとんかつ屋⎡豚組⎦がある。
閑静な家並みに建つ終戦直後の木造一軒家を店とされている。
⎡いらっしゃいませ、今日はどうなさいますか?⎦
⎡ロースを三センチの厚切りでお願いします⎦
⎡出来るだけ急いで下さい⎦
こいつは只の客じゃない、この気迫は普通じゃないと思われたかもしれない。
⎡お待たせいたしました⎦
⎡ご飯とお味噌汁は、おかわりおっしゃって下さい⎦
⎡うん、ありがとね⎦
⎡分かったから、早くあっち行ってくれるぅ?⎦
⎡とんかつに集中したいから⎦
旨い、旨過ぎる、どんだけ旨いんだぁ~。
地獄で仏とはこの事だ。
⎡あのぉ~、お客様ご飯のおかわりいたしましょうか?⎦
飯茶碗が空になっていたが、手から離さないのを見ていたらしい。
新たによそわれたご飯は、天辺が尖るほど盛られていた。
上品な店だが、客の状況によって心得た給仕を心がけてくれる。
ヨモギを喰って育つ⎡岐阜けんとん豚⎦。
岐阜養豚農家百戸の中から十八戸を選び、特別飼育管理に基づいて飼育している。
ほんとに、柔らかくあっさりとしている。
揚げ油には、⎡太白ごま油⎦に植物性油を独自に配合しているらしい。
絶妙の歯ごたえ、すっきりとした軽さは、油物を喰った後のもたれ感を忘れさせる。
通常の四倍の時間寝かせた一等粉をパン粉として使用する。
契約農家の減農薬キャベツを、注文の度に刻んで出す。
こだわりは、米からソースにまで及ぶ。
店からの受売りを並び立てただけなんだけど。
もう、半端なこだわりではない事だけは確かだ。
食後の黒糖わらび餅を腹にぶっ込んで完食。
お腹ぱんぱん。
お店の皆さんに外まで見送られて。
大満足の一食、ごちそうさまでした。
⎡とんかつ⎦を心ゆくまで、思いっきり喰いましたよ。
減量?

それがどうしたぁ?

西麻布 屋号:豚組

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