九十四話 ANSNAMの憂鬱

ANSNAM 、デザイナー 中野靖君のご機嫌が悪いらしい。
話してみると、確かにかなり悪い。
というより、グレてしまっている。
⎡もう僕は、人前で色々と説明するのを止めますよ⎦
⎡はぁ? 色々ってなに?⎦
⎡自分の服の何処が良くて、他所の服となにが違うのかっていう話を止めるんですよ⎦
⎡どうして?⎦
⎡どうせ無難なものしか展開して貰えないんだったら、あれこれ説明すんの無駄でしょ⎦
⎡あぁ~、それで怒ってんだぁ⎦
⎡馬鹿だねぇ、そういう事でいちいちへそを曲げんじゃないよ⎦
⎡中野君の服、毎シーズン楽しみにしている変わった御客様もおられるんだから⎦
⎡もうデビュー以来ずっとだよ、有難いけどほんと変わってるよねぇ⎦
⎡それって、僕がまともじゃないって事ですか?⎦
⎡君もまともじゃないし、君の創る服はもっとまともじゃないって事だね⎦
⎡でも、それが良いんじゃない⎦
⎡僕は、まともなクリエーターなんて興味ないし信用もしないけどね⎦
⎡かる~く傷つく事を、さらっと言ってくれますねぇ⎦
たしかに、ANSNAM の服は偏執的に凝っている。
例えばこのシャツ。
前身と後身が異なる素材で構成されている。
前身は、Cotonificio Albini社の graph check 100番手単糸ブロード。
後身は、 白無地の 160番手双糸ブロード。
至るところにレース状のテープが配されている。
そして、アーム・ホールは無く身頃から袖まで一枚断ち。
運針はこれ以上無いというくらい細かく縫われている。
何だか解り難い解説で恐縮だが、言葉にならないのが変態シャツの由縁でもある。
明らかに上質で、明らかに凝っていて、そして残念な事に地味だ。
モードでもなく、ストリートでもなく、孤高の世界観。
ANSNAM の初回作からずっと贔屓にして戴いている顧客様が言われた。
極めつけの洒落者である。
⎡ここの服は、どんなアイテムでも同じ景色が透けて見えるんだよねぇ⎦
⎡あぁ、そうですか、見えますか?⎦
⎡僕は、あんまり見たくないですけど、その景色ってやっぱりあれですか?⎦
⎡海と空が逆さまとか、時計が逆回転してるとか、皇帝ペンギンが空飛んでるとか、その類ですか?⎦
⎡そこまで酷くないけど、とりあずモノクロームだね⎦
景色が見える見えないは別にしても。
この稼業では、デザイナーという奇妙な人種を個々に理解しなければならないと思う。
相手が相手だけに完全にわかり合えるという訳にはいかないが。
少なくとも努力はすべきだろう。
なにを表現したいのか、なにを目指していて、それに見合う腕はあるのか。
面倒だけど、時間をかけて距離を詰めていくしかない。
業界には、違う発想をするプロもいる。
名の知れたセレクトショップの役員なんだから、それなりにプロなんだろうけど。
⎡これからは、何もしなくても売れる商品だけを扱わないとやっていけませんよ⎦
なるほどね、さすがに蘊蓄ありますなぁ。
でもね、三十年のキャリアを賭けて言わして貰うけど。
世の中にそんなもん無いよ。
だいいち、何もしないんだったら銭貰えないじゃん。

こういう調子じゃ、ANSNAM の憂鬱は当分晴れそうにないねぇ。

カテゴリー:   パーマリンク