九十六話 AUTHENTIC SHOE & Co.

今、なにが難しいって靴なんだよねぇ。
古典的な手縫い靴、頑強なワークブーツ、ハイエンドなスニーカーとか。
どれも全く売れない訳ではないんだけど、今ひとつ方向性がはっきり掴めない。
作り手も、売り手も、買い手も迷っている。
そんな中、竹ヶ原敏之介君の靴を見に行った。
十三年くらいの付合いになるだろうか。
彼は、良くも悪くも自分に正直な職人であり表現者だと思う。
時々の興味や気分を真正面から靴に投影させる。
そういう意味では、彼にとっての靴は鏡みたいなもんじゃないかなぁ。
あくまでも本人の興味や気分なのだから、市場の都合などは蚊帳の外である。
とは言っても。
さすがに所帯も大きくなったことだし、そういった事も考えたりもするのだろうが。
たいていの場合ロクな事にならない。
竹ヶ原敏之介の靴は古典的な風情を漂わせながらも、製作者自身の“今”を映している。
市場の都合も考えず、人の苦言にも耳を閉ざし、身勝手な創造の世界に引き蘢る。
独善的で、頑で、執拗で、退廃的で、美しい。
それこそが竹ヶ原敏之介の靴だと思う。
いつの頃からか、Authentic Shoe&Co. というラインを対外的に封印した。
二〇一二年の秋冬コレクションからその封印を解くという。
まったく自分勝手な奴だ、勝手に封ずるなり解くなり好きにすりゃ良いじゃねぇか。
と思ったが。
仕立て上がった靴を実際に目にして、ある意味で納得した。
まず、製法による縛りから解放されている。
Authentic Shoe&Co. は手縫いで、
Foot The Coacher は機械縫いというのが大方の見方だった思う。
封印の解かれた Authentic Shoe&Co. には二型の機械縫いの靴が披露されていた。
ひとつが、Engineer Boot、もうひとつが、Lace Up Western Boot である。
もちろん、他に手縫いの靴もあったのだがまずこの二足に惹かれた。
外観、足入れ、履き心地、底具合を試させて貰った。
何故、手垢にまみれたこの種の靴を、敢えて製作対象としたのかがはっきりと解る。
靴好きの方々の多くは製法に拘る。
グッドイヤー・ウェルト製法だとか、マッケイ製法だとか、ステッチダウン製法とか。
それはそれでひとつの楽しみ方だし、否定する立場にもない。
しかし、製作者にとっては手法の選択肢にしか過ぎないと思うけど。
製法に縛られて表現が窮屈になっては本末転倒じゃないかなぁ。
特に、Authentic Shoe&Co. には、竹ヶ原敏之介には、そういう束縛は似合わない。
だから、これで良いんじゃないの。
なんて、適当に思っただけなんだけどね。
それにしても、好きなもの満載のコレクションだねぇ。
僕がじゃないよ、竹ヶ原君がだよ。
先の話になるから、詳しくは遠慮しとくけど言葉だけでも紹介させて戴くと。
“Edwardian Period” “London Punk” “Victorian Era” “Western” etc.
こう訊くと滅茶苦茶だが、本人が好きなんだからしょうがない。
そして、関心が深いからこそコレクションとして筋を通し消化出来るんだろう。
アトリエの外で、初めて出逢った頃の竹ヶ原君を思い出しながら煙草を燻らせていた。
格子柄のスリムパンツにジョージ・コックス履いて、言う事聞かなそうな男だった。
kings road 辺りの連中みたいな。
そこへ、本人がどっからか帰ってきた。
⎡久しぶりっていうか、その格好どうしたの?⎦
髪をぴったり撫でつけて、クラッシック・スーツを隙なく纏っている。
⎡娘の入園式だったんですよ⎦
あんた、御嬢さんの入園式にその上海バンスキングみたいな格好で行っちゃったの?
まぁ、役者並みに着こなして似合ってるから良いけど。
時代が七十年ほど手前じゃないの?
でも、この徹底したスタイルが竹ヶ原敏之介なんだよなぁ。
後向きで明日に向かって、目一杯の速さで駈けているっていうか。
過去の古典を見据えながら、未来の前衛を目指すっていうか。
いずれにしも、厄介な男ですよ。

竹ヶ原君、言っとくけど俺の言う事なんかいちいち気にすんじゃないよ。
それこそ、らしくないから。

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