三百六十五話 天才眼鏡師

意外と思われるかもしれないが、うちら夫婦は共に物欲というものがあまりない。
職業柄ものに囲まれて過ごしていると、 そうなるのかもしれない。
男は車や時計などなにかしら収集所蔵したりするものらしいけれど、たいした興味も湧かない。
強いて挙げれば眼鏡くらいのものだろう。
そんなだから、互いの誕生日になにか贈ろうとしたりすると困ることがある。
一月の誕生日に嫁から訊かれる。
「お誕生日なんだけど、なんか欲しいものある?」
「別にないけど、なんか思いついたら言うわ」
と言ったまま、自分の誕生日があったことすら忘れていた。
先日原宿をぶらついていたら、店前で巨大なバイクを弄っているオヤジがいる。
あんた若い頃散々悪さをしたよねっていう面構えだ。
こんなオヤジがなんの店屋を営んでいるんだろか?と思い、看板を見上げると。
“ EYEWEAR bond ” って、眼鏡屋?
バイク弄った手で眼鏡扱うの?
油で汚れたりなんかしないの?
面白そうなので、入ってみた。
三畳ほどの小さな店屋で、壁には一九一八年製の眼球解剖図が飾られている。
品揃えは限られているが、硬派に厳選されていて興味深い。
MAX PITTION という仏眼鏡のコレクションが上段に並んでいるのが目に入った。
Max Pittion は、天才眼鏡師として仏ではよく名を知られた存在である。
かつて眼鏡組合協議会の会長を務め、巴里国際眼鏡見本市の創設者でもあった。
一九八一年に六◯歳で引退し、仏 Jura 地方にある眼鏡の村 Oyonnax で八七年の生涯に幕を閉じた。
で、そんな作品がなんでここにあるのかを、“ EYEWEAR bond ” 社長の竹中健三氏に訊く。
The New Guitar God のひとりと称される John Mayer が一昨年 MAX PITTION の権利を譲り受けた。
そして、数々の名品を眼鏡界に送り出した Tommy Ogara と組んで、
天才眼鏡職人 Max Pittion への尊敬と追悼の情を込めた伝説の眼鏡を復刻させたのだという。
それらは福井県鯖江産地の職人の手で製造されていて、竹中氏とその職人は旧知の仲なのだそうだ。
ここまで聞くと、なにかひとつ手に入れたくなる。
あれこれ試して、これに決めた。 

量感のある厚みをもったフロント、独特のカッティングと智元の一◯金リベット。
なによりリムの下部に見られる奇妙に角ばったラインが独創的で、これはやはり名作だと思う。
Max Pittion  作品の中でも傑作だと評されていて、John Mayer 自身愛用しているのだと教えられた。
竹中健三社長、強面の割にはツボをついた売口上を披露してくれる。
「じゃぁ、これいただきます」
傍にいた嫁が。
「あっ、御支払いはわたしがしますから」
「えっ、なんで?」
「これ、誕生日プレゼントにするわ」
「誰の?」
「オメエだよ!もう歳くったの忘れたの?」

この五五歳の誕生日プレゼント、なかなかに気に入ってます。

 

 

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